… 5

駅までの途中で美樹と別れ、わたしは少しだけ離れた駅まで歩く。サラリーマンやOL風の人達とたくさんすれ違い、特に危ない街という印象は無いので、 言った という、不安と表裏一体な安堵感に浸りつつ、ビルを見上げたりしながらゆっくりと歩く。

 


有楽町駅に差し掛かる手前で、何人かの男の人に声を掛けられる。スーツ姿の人が多く、ナンパでは無さそうだけれど、最後に声を掛けてきた人が道を塞ぐようにしてわたしを立ち止まらせたり断っているのに付いて歩いて来たりして、少し怖くなってきたので走り出そうかと思ったその時、もうひとりの男性がわたし達の会話にならない会話に横槍を入れてきた。


「何してるの?」


あんなにしつこかった男の人が、スッと真顔になって、すぐにその場から立ち去った。


「あっ…」

小さく呟いた。


   

   下井くんだ



すぐにそう気付いたけれど、これまで 下井くん と呼んだことが無いし、咄嗟とっさにそのようにだけ反応した。


わたしがその後何も言葉を発さなかったからか、


「寺田さん… だよね…?」

と、助けてもらったのに、名前を確認させてしまった。


「……うん」

首を大きく縦に振る。


その後、「有楽町まで?」 恐らく “歩くのか?” という意味で聞いてきたのだと受け止めて、


「日比谷まで」

と答えると、そこまで送ると言って一緒に歩いてくれた。


駅の入り口で別れた後になって、どうしてここにいるのか、何をしていたのか 今日仕事はどうなっているのか など会話の材料になる事があのシチュエーションでは多かったはずだと冷静に振り返る。何を質問するわけでもなく、沈黙が続いた後、ただ、別れる寸前にお礼を言っただけで終わった。


  

  感じ悪いかな……わたし



電車に揺られ、もうすぐ降りる駅という所でメールの着信音が鳴った。ママからだ。


 『今、どこ?もし近くまで帰ってるなら急いで。もうすぐパパが帰ってくるよ』


門限を過ぎている訳ではないけれど、最近帰宅するのが遅かったり今日に至ってはレッスンを飛ばしたりと、パパにお説教をされる要素が積もってきているので、わたしの立場を考えて気を回してくれたのだろう。


 『ありがとう。もうすぐ駅に着くから急いで帰るね』





「ふぅー」


まだ帰って来てないよとママがジェスチャーで教えてくれたのを見て、慌てて2階へ上がり鞄と上着を置いてくる。それから玄関を伺いながら洗面室へと早足で向かう。


「帰ってきた?!」


車のライトに反応して二人して声を揃える。


そう思っていた矢先、いつもより家に入って来るまでの時間が長いので、何をしてるんだろうと再び玄関の様子を伺いに行くと、そこには、裕泰くんの姿も一緒にあった。ほぼ同時に着いたようだ。


「遠慮しないで上がってよ」


「いえ。今日はお邪魔せずに帰ります。……サモサの散歩まだですよね? 散歩しながら話します」

「加世子、いい?」


わたしはコートを取りに戻り、庭へ回った。


サモサを撫でている裕泰に声をかけ、二人は歩き出す。


「連絡するより先に行こうって思って。 ごめんな、急に」


「そんなことは別にいいの……」


リードは裕泰が持ち、加世子は半歩後ろを付いていく。


中型寄りだけれど大型犬の枠に入るサモサを散歩するのは、大体はパパの役目となっている。朝と夜で、気分転換と運動を兼ねてちょうど良いらしい。朝は時々ママが代わりに行ったり、年に何回かはわたしが行くこともある。夜は大概パパで、こうして裕泰くんが家に来た時に限っては、わたしと裕泰くんで行く流れになることが多い。


デートとまではいかないけれど、初めて二人きりで外へ出たのも、サモサの散歩だったし、告白をされたのもサモサの散歩中。ファーストキスをしたのも普段より少し遠出した時の散歩の途中だった。なのでわたしにとって裕泰くんとサモサとのお散歩は、何だか感慨深いものを感じている。





「なんで、あんなこと聞いたの?」


薄暗い公園に差し掛かった頃、白い街灯に照らされた裕泰くんの顔が振り向く。


すぐに目を逸らして何も言わずうつむいてしまった。


「……この間、見たんだ…… 代官山で……」

「女の人と一緒にお店に入って行った……」


「あー、なんだそんなこと」


笑った顔をしながらそう言ってサモサの方に視線を落とす。


「打ち上げだよ、実行委員の。だから二人だけなんて事はないよ」


「そうなの?……本当?」


「当たり前だろ」

「なぁ、サモサ。何言ってるんだろな、飼い主様は」


サモサのフワフワな顔を両手で触りながらおどけているようにも見える。


「だけど…… 最近裕泰くんの噂っていうか、……仲良くしている女の人がいるって……」


「俺のこと、信じらんない?」


急に真面目な顔をして、こちらに詰め寄る。


わたしは何も返せず、裕泰くんの目をただじっと見つめると、左手にリード、そして右手でわたしをそっと抱き寄せた。


「遅くなるから、帰ろ」


耳元でそう囁くと、何事も無かったかのように、今度見に行く野球の話とか、たわいもないごくごく普通の会話をしながら家に戻った。




  誤解だったのかな……

  

  信じてみようか……



ソファに腰かけ、クッションを胸に抱えながら目を閉じた。 


「裕泰くん、こんな時間に何の用事だったの? パパは今日話しておきたい事があるらしいって話してたけど」


そう言ってママがハーブティーを置いてくれた。温かい。身も心もなんだかホッとする。


「大した事じゃないの」


と、作り笑いをひた隠しにするように、バイオリンのレッスンの日にちの事へと話題をすり替えた。





「一応 誤解は解けた という事になるのかな……」


後日、有陽ちゃんと約束をしていた日に、口から湧き出てくるこれまでの経過を兎にも角にも一方的に聞いてもらった。


「そうだったんだぁ…… けど誤解で良かった。あんなに加世子想いな彼が浮気するなんて考えられないよ」

「絶対、大丈夫」

「愛されすぎると不安になるものなのかな?わたしはそんな経験がないから良くわからないけど」


そう言って笑いに変えてくれた。


有陽ちゃんにそんな風に言われて、ようやく少し安心出来た気がした。


有陽ちゃんがバイトに入るまでの1時間弱の間を借りていたため、今日はここまでとなった。わたしもキャンセルしたレッスンの代替日が今日なので、家路を急ぐ。


難なく、レッスンを乗り切ると、溜まっていた疲れなのか何なのかがふぁーっと抜けていった気がした。



「おやつあげる」

サモサのいる庭に下りてふわふわに触れる。

……サモサ、大好き。





パパは外で食べてくるので、今日の夕飯はママと二人で済ませる。それからテレビを見ながらくつろいでいると裕泰くんからの着信があったので、そのことをママに伝えながら階段の方へ向かった。


「昨日はごめんね」


謝る必要はないのかも知れないのに、この言葉がつい、出てしまう。


「あ~、野球、楽しみ。車、加世子の家に停めさせておいてもらえるかな。飲みながら見たいし」


「パパに言っておく」


わたしが疑いを持った事に関しては一言も触れない。単に今週の日曜日の時間を決めるためだけの電話だった。メールで済まされないだけ、まだ良かったのかなと自分を納得させる。


それから、授業の課題を済ませ、バイオリンの弦を拭いている時に有陽ちゃんからメールが届いた。


 『もしかして、なんだけど』

 『下井くんと何かあった?』


一瞬 ? となったけれど、そういえばあの夜偶然下井くんに会った時の話を有陽ちゃんにまだしていなかった事を思い出した。


 『裕泰くんのことばかり話して忘れてた 

実はこの間、偶然下井くんに会ってね。夜だったから駅まで送ってもらったの』


 『でも、どうしてわかったの?』


この小さな謎は、直接会った時に解かれる事になる。











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