遮光の庭

第1話



 この国に愚劣な王はいらない。

 冷たい声でそう告げると、鈍く光る剣を振り下ろした。


 国の歴史を物語にした本にその一文を見つけた時、カリムは背筋が凍りつくのを感じた。その話が真実なのか物語に過ぎないのか今となっては知る術は無い。

 背筋を伸ばして主を見守りながらカリムは頭にこびりついて離れない本の一文をまた思い出していた。

 ------この国に愚劣な王はいらない。

 それは国民の総意だろう。

 たかだか王の血を引いているだけの、馬鹿な人間が権力を握ったら国がどうなるかは火を見るよりも明らかだ。

 いっそ自分に王になる権利があれば、と思ったことは一度ではない。

 名君になるとまでは言えない。だが〝アレ〟よりはよっぽどマシな治世ができると思う。せめてこの人なら国を任せてもいいと思える人物が現れるまでの繋ぎでも構わない。

 暇だ暇だと大声で喚きながら不遜な態度で臣下を蹴飛ばして笑っている彼は、今年で十六才になる。十六年も高等な教育を受けた人間の姿がアレなのだ。王子よりひとつ年上の影武者として育てられたカリムは絶望を感じていた。王位継承権は彼にある。世にも恐ろしい暗君が治める世界が未来に待っている。

「カリム!お前も来いよ!」

 笑顔で彼はカリムを呼ぶ。

「こいつ、兵士の癖に俺の蹴りで足の骨折れてやんの。だせぇ」

 腹を抱えて王子は笑う。彼は恐らく自分を強い人間だと思っている。

 なぜ、かしずかれているのかを理解していない。

 血が王族だからと言って、王にふさわしい人間が誕生するわけではない。それを身をもって証明している王子が偶に哀れにさえ思えてくる。

 もし、王族ではなく一般市民として生まれていれば、彼もあそこまで愚かな人間にはならなかったかもしれない。

 彼は今日も綺麗に整備された花壇の花を踏み散らかしながら、我が物顔で庭を駆け回っていた。

「王子、カリム。王がお見えになる。支度をしなさい」

 王子とカリムの教育係であるウカが冷たい声で告げる。

「なんだよ、何しに来たの?」

「さあ、私に王のお考えがわかるはずもありません」

「そうだよな。おまえ馬鹿だもんな。よくオヤジに怒られてるし」

 王子はけたけたと笑う。ウカは静かに佇んだままピクリとも表情が動かない。王子の言葉を気にする様子もなくカリムの背中を軽く押す。

「さあ、いつものように王子と同じ服を着てきなさい」

「はい」

 素直に頷きウカを追い越しカリムは自分の部屋に着くと、王子の服と全く同じものが揃えてあるクローゼットを開ける。王子の影武者として生活しているカリムには王子と同じ服が支給されている。いつ何時、人前に出ることがあっても王子として振舞うことができるように。

 けれど着るようにと言われたとき以外は自分用の服を着用している。影武者は王子と間違われることが無いよう黒衣を着るように定められている。王子は今日、白地に金の竜の刺繍をあしらった服を着ていた。同じ服を見つけ着替えると王子の部屋へ向かう。

 王はいつも王子の部屋に足を運び、王子と他愛もない話を少しして帰っていく。公務が忙しく長居する時間がないのだ。

 その日はいつもより早く着いたらしく王子の部屋の前で護衛と一緒に立っていた。カリムは慌てて王の前に跪いた。本当なら先に部屋に入り王子と二人で王を迎えなくてはいけないのに。

「申し訳ありません。遅くなりました」

「いや、わたしが早く着いたのだよ。立ちなさい」

「はい」

 立ち上がると豊かな髭を蓄えた好々爺が立っていた。一見すると国王には見えない優しい雰囲気を持っているが、その眼光だけは鋭くただの老人ではないことが解る。王子は王が年を召してからやっとできた一人息子だ。今までは娘しかできず王子の上には五人の姉がいる。だが皆嫁いでしまいこの城には王の子供は王子のみだ。

 そのせいか、影武者であるカリムにも分け隔てなく優しく接してくれている。カリムにとってはとてもありがたいことだ。

「昔はそっくりだと思ったが、最近は息子より精悍な顔になってきたな」

「私は一つ年上ですから。王子もあと一年すれば見違えるかと思います」

「いや、あれは……」

 王は声を落とした。

「ダメだろうな」

「王?」

「お前が跡継ぎだったらと、思う」

「また、お戯れを…」

 王にそう言われるのは初めてではない。ここ数回、会うたびにお前が跡継ぎだったらと嘆息交じりに言われる。最初は冗談だと思っていたがこれは何かを試されているのだろうか。跡継ぎになれるかもと調子に乗るような人間かを試されているのかもしれない。

 王はカリムをしばらく見つめた後無言で王子の部屋に入っていった。

 慌ててカリムも後を追い、部屋の中の王子の隣に立つ。王が来た時には影武者としてどのくらい役に立つのかを確認するために最初に同じ格好で謁見するのが決まりだ。あまりに王子に似ていない容姿になってしまったら影武者としては失格になる。

 だが恐らく後二、三年もすれば影武者としては役に立たなくなるだろう。血の繋がりの無い者同士が、成長した後も似た容姿でいる事は不可能だ。その後は王子の傍付として仕えることになっている。影武者はまた背格好の似たものを探すことになるだろう。

「王子よ」

「はい、父上」

「先日、警護兵の足を折ったそうだな」

「はい。彼は仕事中にも関わらず猫と遊んでおりました。なので主として罰を与えました」

 王子は胸を張り、意気揚々とそう告げた。悪いことは何もしていないと心底思っているらしい。カリムは心中でため息をつく。

 王もまた大きくため息をついた。呆れたような憂うような複雑な表情だ。

「お前は、主とはどういう立場のものだと思っている」

「下のものを管理し、導く立場の者です」

「その結果が暴力の上に嘲笑か。足が折れたと笑っていたらしいな」

 王子は少しバツの悪そうな表情を浮かべたが、すぐに気を取り直した。

「ですが父上。上に立つものがしっかりしていないと、下の者は怠けてあっという間に堕落してしまいます」

「お前は堕落の意味をはき違えている」

 王子は首を傾げた。そのまま重苦しい空気が漂う。王はもう一度、今度は何かを吹っ切るように大きく息を吐いた。

「王子とカリムには同じ教育を施している。そうだな?」

 王の右斜め前に姿勢よく立っていた教育係のウカに視線だけ向けると、ウカは「はい」と短く頷いた。

「間違いはないか」

 今度はカリムを鋭い目で見つめる。父ではなく王の目だ。背筋が凍りそうなほど鋭い視線にカリムはごくりと生唾を飲み込んだ。

「間違いありません。王子と共に勉学や武術を勉強させていただいております」

「俺の方が優秀だけどな」

 王子が馬鹿にするように鼻を鳴らした。

「カリムが自分を立ててくれていることにすら気付いていないのか?それとも悔しさからそう言っているのか?」

 冷たく硬い声だった。舐めたような態度だった王子の顔にも少し恐怖が滲む。

「ほ、本当のことです。勉強も武術も負けたことはありません」

「…どうやら本当に、私の息子は出来が悪いらしい」

 今まで聞いたことのない地を這うような怒気を孕んだ声だった。

「お前は生まれた時からとても体の強い子供だった。力も強くその年で鍛え抜かれた兵士の足を簡単に折るほどに。武神に気に入られたのだろうと思っていた。多少政治に疎くてもその分をカリムが支えてくれるだろうと期待していたんだよ、私は」

「心中、お察しいたします」

 ウカがかすれた声で苦しそうに言った。

 王子は気位だけが高く、勉学もまともに向き合おうとせず、武術もすべて力任せで行こうとするためカリムが気を使って受け身を取りながら倒れてくれているだけで、その実一度もカリムを本気にしたことさえない。手を抜かず自分は天才ではないからと努力を惜しまず、力では王子に劣る分スピードを鍛え、武術の師範代であるウカにも迫ろうかという実力を持っているのは結局カリムの方なのだ。

 王もウカも、何度も説教をした。宥めたり賺したり怒ったり、あらゆる手を使って将来王として立つ者の道理を言って聞かせたが、わかった理解したとその場限りの適当なことばかりを調子よく言うだけで本当に理解してはくれなかった。

 カリムはウカが孤児院から見つけてきた子供だった。影武者として、良き遊び相手として王子を陰から支えてくれる子供を探していた。たまたま王子と顔立ちが似ており、性格もどちらかと言えば温厚でウカに気に入られ王家とは知らず引き取られた。

 ウカは二人になるべく分け隔てなく接するよう心掛けていた。将来を考えればこそ王子の方に少し厳しくなってしまったかもしれないが、特段酷い教育をした覚えはない。なぜ王子だけがこんなに自己中心的な性格に育ってしまったのか、自分が悪いのではないかとウカもかなり悩んだ。

 資質がなかったと言ってしまえばそれまでだが、できることなら諦めたくはなかった。

「今日より、王子としてカリムを迎え入れる」

「……え?」

 二人の声が重なった。カリムも王子も突然のことに理解が追い付かない。

「王子は今日よりただの庶民だ。私とは父でもなければ子でもない。王族を名乗ることも禁ずる」

 王はそう言い放つとそれ以上何も説明せず部屋を出て行った。

 何が起こったのか解らない王子はえ、あ、と意味の無い単語を口にするばかりで混乱したまま有無を言わさず兵士に引きずられて行った。あとに残されたカリムはウカを見る。

「ウカ様!? これは、どういうことですか!?」

「今日より私のことはウカとお呼びください」

「で、ですが」

「王子の名前は公表しておりません。慣例に倣い国民に発表するのは十八の誕生日です。名前をカリムのまま使用しますか?それとも王子の名を引き継ぎますか?」

「と、突然、そのようなことを言われましても」

 動揺するカリムの前にウカは跪き暖かく大きな手で両手を握る。

「何も相談できずに申し訳なかったと思っています。けれどカリムならできると私から王に申し上げました。あなたは利発で勤勉だ。あのような王子でも、国を導くことのできない王子だと心底思っていても、あなたは恐らく一生あの王子を支え続けることでしょう。けれどそれでは国は亡ぶ」

「ウカ様…」

「今この国は飢えている。王都には緑も溢れているが、郊外に出れば大地は枯れその日食べるものもままならない地域は珍しくはない。暗君を据えている余裕はこの国にはないのです」

 悲痛な叫びだった。いつも冷静でめったに表情を崩さないウカが眉根を寄せすがるようにカリムの手を握る。

「ですが、ウカ様。私は人の上に立つような人間ではありません。もし王子を王座に据えたくないのなら誰か他の優秀なものをお選びいただいて、私が補佐についた方が」

「なりません。王子を入れ替えるなど本来はあってはならないこと。今日の件も限られた腹心のみしか知らぬことです。死ぬまで心に秘めていただく。もしあなたがどうしても嫌だというのなら、あなたの命を頂かなくてはなりません」

 ウカは震えながら目を伏せた。

 本気なのだ。王もウカも。本気でカリムを王座に据えるつもりなのだ。この国に生きとし生けるすべての者のために王は子供を切ったのだ。



 自分の方が王に向いているかも知れない。

 そう思ったことが何度もある。だがそれはあくまで余りにも目に余る暴君であった王子を、目の前にしていたからこそ思ったことだ。生来の自分に人を治める能力があるなどとは思っていない。それでも、もし自分がこの国を統べるのならこうしたい、ああしたいと様々な事を夢想した。何の責任もない立場だからこそできたことでもある。

 実際にこの手に国が乗っていると思うと、その重責に手が震えることがある。夢想していれば楽しいが現実になると実に重いものだった。

 それから二年。ウカに支えられ王のもとで学び、今日、十八歳の誕生日に王子として国民の前に初めて姿を現す。本当の年齢は十九歳になるが一歳差等誰も不思議に思わない。本当の十八歳の誕生日は王とウカと数人の側近達が細やかながら祝ってくれた。それがとても嬉しかった。

 今までは王子をさせられていた子供だった。

 だが今日からは名実ともに王子として、行く行くは王として生きていかなければならない。本当の王子はどうしたのか。殺されてしまったのか誰も教えてくれなかったが、なんとなく生きているだろうという予感がある。

(取り返しに来たりするのだろうか。簒奪された王位を)

 その時、自分はどうするのだろう。全く想像がつかない。

 名前はカリムのまま使うことにした。王子の名は、王子の物だ。本人に託されたわけでもないのに名乗るわけにはいかない。それにもし将来王子が会いに来た時に真実の王であることを証明するのに名前が必要になるかもしれない。

「だけど、僕もそうやすやすとはこの国をあげることはできないよ?」

 空に向かって呟く。

 生まれは恵まれたものではなかった、生み捨てられ死にそうなところを孤児院の経営者にたまたま拾われ、ウカに拾われここに立っている。偶然なのか運命なのか未だにわからない。

 いつかこのために生まれたのだと実感する様な何かを見つけることができるだろうか。

「さあ、王子」

「はい」

 ウカに背中を押され、王子を一目見ようと集まった国民たちの前へ大きな一歩を踏み出した。

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