第6-3話 憧れの和シフォン山桜(3/4)
「材料を計るよ。卵黄と卵白はKIKIさんとミント。粉とお砂糖はコウさん。牛乳と油はレオくん。小豆と桜の塩漬けはさと。レモン汁はナカっち。私の分も含め、7人分計量して」
「はい」
中級コース以上のレッスンでの計量は、材料ごとの担当制で行うことになっている。計量を間違えると全員のシフォンケーキが失敗することになるから、とても緊張する。
「小麦粉、グラニュー糖などが足りなくなったら倉庫棚から取ってくる。質問はある?」
受講生は再度レシピを見たり、顔を見合わせたりするだけで、誰からも質問の声は発せられなかった。
「じゃあ、15分で計量して。その間、ちょっと席はずすね」
下川先生がレッスンルームから出ていった。ドアがトンと閉まる。その音に反応し、なぜかみんなの動きが止まった。
「さあ、やりますか」
KIKIさんの一言で、瞬間フリーズしたかのようだったレッスンルームの空気が動き出す。早都も椅子から立ち上がり、テーブルの上に広げていたレシピを椅子の上へ。戦闘モードに切り替えた。
早々にKIKIさんが卵を割り始めた。すでに3個めの卵を手にしている。
(まず、粒餡を入れる器を用意しなきゃ。何に入れようかな?)
早都が粒餡の入った袋を手にし、助けを求めるようにKIKIさんを見ていると、
「粒餡は棚にある白い器を使って分けたらいいよ」
KIKIさんが早都の疑問に答えてくれた。
「ありがとうございます」
早都はKIKIさんにお礼を言い、白い器を使って粒餡の計量を始めた。粒餡の計量が済むと、早都はまたキョロキョロ周りを見始めた。
「何、探してる?ラップなら後ろの引き出し、上から2段め。キッチンペーパーなら、左側の棚にあるから」
またしてもKIKIさんからフォローが入る。さりげなくみんなのことを気にかけて、常にフォローをしてくれるKIKIさんは気配りの人だ。
「キッチンペーパーを探していました。いつもありがとうございます」
KIKIさんに向かって軽く会釈した早都は、塩を洗い流した桜の塩漬けを8片ずつキッチンペーパー挟んでいく。早都が7人分の桜のセットを作り終わる頃には、ほとんどの作業が終わっていた。テーブルの片隅には、計量済みの粉とグラニュー糖が載せられた天板が互い違いに重ねられていた。
計量を続けているのは、KIKIさんとミントさんの卵黄卵白チームのみになった。そこもあとは卵黄の計量を残すのみとなっている。
「計量、もうすぐ終わります。量り終わった卵黄にラップをかけて配ってください」
KIKIさんの言葉にナカっちが反応した。
「はい」
返事をしながらナカっちがラップを手に立ち上がる。
「天板も配りましょう」
そう言いながらコウさんが天板を1つ取り上げた。ナカっちが最初にラップした卵黄ボウルをその天板に載せ、下川先生の分として取り置く。
「これ、回してもらえますか?」
ナカっちが、次にラップをした卵黄のボウルを早都に手渡す。早都は奥の席のコウさんの前の天板にボウルを置いた。その次のボウルはレオくん、次のはナカっち、そして自分の前の天板に置く。残り1つのボウルはテーブルの隙間に置いた。
「これで終わりかな?」
KIKIさんが、最後の卵黄を量り、テーブル全体を見渡した。最後のボウルにもナカっちがラップをかける。ミントさんが冷蔵庫の中の卵白を確認する。
「卵白のボウルは7つ入っています」
「卵黄も行き渡りました」
ナカっちも答える。
「何分経った?」
KIKIさんが聞く。
「そろそろ15分になりそうです」
今度はコウさんが答える。
「急ごう」
KIKIさんとミントさんが猛スピードで余った卵黄・卵白やスケールを片付け始めた。テーブルにスペースが空くと、コウさんが素早くテーブルを拭いて、KIKIさんとミントさんの分の薄力粉とグラニュー糖が載った天板を2人の前のテーブルに置いた。それを合図に、それぞれが計量した材料を各々の天板に載せていく。瞬く間に、すべての材料が天板の上に揃った。
「計量、終わった?」
まるで最後のバタバタが収まるのを見ていたかのようなタイミングで、下川先生が戻ってきた。準備が整っているのを確認し下川先生は続ける。
「時間ないから、早速デモンストレーション行くよ」
デモンストレーションが始まった。
「桜の花の塩漬けの水分をしっかり拭き取って、型の底に張り付ける。8等分した時に1カットに1片ずつ桜が載るように、等間隔で張り付けるよ」
下川先生は桜の塩漬けを1つずつ、指でしっかりシフォン型に押さえつけた。
「次は、卵黄生地行くよ」
卵黄のボウルを手に持ちラップをはずすと、すぐにホイッパーで卵黄をほぐし始めた。
「卵黄をほぐしたら、粒餡、牛乳、油、粉の順に加えていく」
下川先生の動作は軽やかだ。無駄な力みがない。一見、力を抜いて道具を扱っているように見えるが、決して力を入れていない訳ではない。材料には、うまく力が伝わっている。
(力を抜きすぎて、NGを出されたこともあったな)
下川先生の手を見ながら、早都は習い始めた頃を思い出していた。当時の早都は「力を抜きなさい」というアドバイスを誤って解釈していた。無駄な力、余計な力を抜いて、体が自然に動ける程よい力加減で作業しなさいっていう意味だったのに、本当に力を抜いて作業をしていた。
「そんなお上品な混ぜ方じゃ、いつまでやっても混ざらない」
その時に注意された下川先生の言葉まで思い出される。
(確かに、ゆらゆらなびかせているだけじゃ混ざる訳ないよね……)
自分の間違いに気づいた早都は、柔らかさをイメージしながら動くようになった。
(「抜く」ではなく「柔らかく」という感じの方がイメージに近いのかな)
材料を加えたらホイッパーをシャカシャカ動かし混ぜる。次の材料を加えて混ぜる。流れるような繰り返し動作に早都が見惚れていると、下川先生はホイッパーを動かす手を静かに止めた。
「こんな感じね」
ここで見せてくれた卵黄生地は、この時点で、すでにかなり美味しそうだった。
「はい、次、メレンゲ」
下川先生が冷蔵庫から卵白の入ったボウルを取り出した。そして、ハンドミキサーを軽快に操り始める。
「はじめは低速。ここはミキサーを動かさない。じっくり待って」
「卵白が絡んできたら、高速。ここからは腕を素早く動かす」
ハンドミキサーの音が大きくなる。
(最初はこの音と動きに圧倒されたんだよな~)
下川先生の動きはリズミカルだ。常に一定のリズムを保っている。手にしている道具が、ホイッパーでも、ハンドミキサーでも、ゴムべらであっても。
ここでも早都は下川先生の動きに見惚れてしまった。早都がはっと我に返ると、メレンゲはほぼ出来上がっていた。
(あれっ?もう、メレンゲあんなにツヤが出てるけど……)
テーブルの上に並べられていたシフォンの材料が、計量カップに入ったレモン汁を僅かに残すのみとなっている。
(下川先生の手の動きに注目しすぎたな~)
早都がそんなことを思っている間に、ハンドミキサーの音がトーンダウン、下川先生がメレンゲのキメを整え始めた。ゆっくりゆったりと肘から下が動く。
「絶巧のメレンゲには、シフォンの神さまが降りてくる。だから、絶巧のメレンゲを作れるようになれ」
下川先生の口癖だ。シフォン作り上達のためのポイントを一つに絞るとなると、メレンゲということなのだろう。下川先生のメレンゲはいつ見ても衝撃的な美しさだ。
下川先生が卵黄生地にメレンゲを混ぜ始めた。
(ゴムべらでの混ぜ。速っ。軽っ)
この工程でも、早都は失敗を繰り返していた。力ない動きは「混ぜたつもりになっているだけ」「ただただ生地をいじってるだけ」だった。
(ちゃんと力を伝えないと、いじっているだけになるんだよね)
「メレンゲの泡をつぶさず、空気を抱きこまず、均一に混ぜる。回数は、人それぞれ。私はこのくらい」
しなやかにゴムべらを操っていた下川先生が動作を止めた。あっという間にシフォン生地ができあがった。
シフォン型に生地を入れ、マーガレットの模様をつけたら、オーブンに入れて完了。
「焼き時間の半分が過ぎたら、型の前後を入れかえる。それも、各自やること。何か、聞きたい事ある?」
ここでも、誰からも発言がなかった。
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