第4-4話 スコーン&ジャムに鎌倉野菜のピクルスを添えて(4/4)
アシスタントさんが、トレイに載せて持ってきた小さい器を、受講生一人ひとりに行き渡るように置いてくれた。
「お配りしたのは、鎌倉野菜のピクルスです。スコーン屋さんでは、期間限定でピクルスも販売しています。今の時期は、製造・販売をしていませんが、今日の試食時用にお作りしました。そちらもお召し上がりください」
留実先生は、カウンターの奥から、籠に載せた野菜を出して見せてくれた。
「お出ししているピクルスの材料です。昨日の朝、レンバイで買ってきました」
籠の中には葉っぱがついたままの野菜や、普段スーパーではあまり見かけないカラフルな野菜が並んでいた。早都の目にとまったのは、艶々で美味しそうな細長のラディッシュ。早都の表情を読み取ったのか、留実先生が、ラディッシュを手に言葉を続ける。
「これは「ロングスカーレット」というラディッシュです。人参みたいな細長い形がかわいいでしょう。濃いピンク色のピクルス、味わってみてください」
早都は、早速、ロングスカーレットのピクルスを口に運んだ。
「ううっ、みずみずしいっ」
咀嚼する口の中で、いつまでもシャキシャキしている。
「野菜の密度が濃いね」
「うん、うん。ずっしりしてる」
千紗ちゃんと笑顔でうなずき合う。
「それぞれの野菜の味が、しっかりしていますね」
マダム広島さんも微笑んでいる。そんな受講生を留実先生は目を細めて見ていた。
「鎌倉野菜というのは、鎌倉で生産された野菜のことを言います。この時期、葉付きで売られている新玉ねぎ。新玉ねぎのピクルスも味わってみてください」
留実先生に勧められ口にした新玉ねぎのピクルスも、瑞々しかった。
「「レンバイ」って「鎌倉市農協連即売所」のことみたいですよ」
名古屋さんが、教えてくれた。スマートフォンでネット検索したようだ。
「駅から徒歩3分くらいだそうですよ。ほら」
見せてくれたスマートフォンには、所狭しと並んだ色とりどりの野菜がアップになっていた。
「帰りに寄っていけますね」
「でも、買い物すると、荷物になりますよ。おうちまで、大丈夫ですか?」
「そうですね……」
「難しいかもしれませんね……」
名古屋さんとマダム広島さん、2人の表情から笑みが消えた。
「だけど、行ってみようかな。葉物なら、持って帰れそうだし」
気を取り直したように、名古屋さんが呟いた。
「皆さんのスコーンも、焼きあがったようです。ご試食が終わられた方から、袋に詰めてお持ち帰りください。今日のレッスンは、以上になります。ありがとうございました」
作業テーブルに戻った早都と千紗ちゃんは、スコーンの仕上がりを確認する。
「めっちゃいい色~」
「塗り卵って、こんなにいい仕事をするんだね」
「焦げ具合もいいし、美味しそう」
「端っこを丸めたヤツは、やっぱり割れちゃったね」
賑やかに話をしながら、スコーンを袋に詰めた後、2人は、挨拶をして教室を出た。
「試食で、かなりお腹が満たされたね」
「ランチでも、と思っていたけど、そんなには食べられそうにないね」
「もう一か所、参拝して帰るっていうのは、どうかな?学問の神様 荏柄天神社はどう?」
「いいね。来年、子どもたち、受験だしね。行ってみようか」
「あっ、荏柄天神社も階段があるけど、千紗ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫」
「そう言えば、最近、千紗ちゃんのパンツスタイル、見ないね。どうして?」
「きっかけは、洋輔」
「洋ちゃん?」
千紗ちゃんは、3人の男の子のお母さんだ。長男が、洋輔くん。5人家族の門田家の中で、女性は、千紗ちゃんだけだ。
「洋輔が、併願校を決める時に、「男子校は絶対嫌だ」って言ったの。理由は、何だと思う?「女の子が、いないから」だって」
「え~っ。洋ちゃん、そんなこと言うの?」
「そうだよ。結局、洋輔は、県立に行ってるけど……」
「で?」
「門田家の女は、私だけでしょ。この先、寛太や優志が「併願は、男子校でもいい」と言ってくれたとして、だよ。もし、男子校に行くことになったら、日常的に接する女子は、私だけになるわけでしょ。その時は、私が、世の中の女子代表として、頑張らないといけなくなるじゃん。そうなった時のことを考えて、今のうちから、女らしさを全面にアピールしておこうかな、と思って……」
「ん?それで?」
「うん。それで、服装も女性らしく、スカートを選ぶようにしたの。ふふふ」
(わかったような、わからないような……)
でも、千紗ちゃんの服装が、フェミニンなものに変わったのは、息子を思ってのことであるということは、間違いないようだ。
「千紗ちゃん、時間があったら、留実先生が言っていた「レンバイ」に行ってみたいんだけど」
参拝の後、鎌倉駅に向かいながら、早都が、聞いてみる。
「いいよ。行ってみよう。新玉ねぎがあったら、私も買って帰りたい」
「新玉ねぎは、ありそうだね。行こう、行こう」
鎌倉駅に続く交差点をそのまま直進してしばらくすると、屋根に取り付けられた「鎌倉市農協連即売所」の看板が見えた。
早都は、千紗ちゃんとともに、恐る恐るレンバイに足を踏み入れる。買い物客が少ない時間帯のようだ。品物を選んでいる人よりも、お店の人の方が多いのでは、という印象だ。早都は、緊張しながらも、通路の両側に並んでいるお店を観察する。レトロな雰囲気の質素な木製の台に広げられたクロスや新聞紙の上に、色彩豊かな野菜が並んでいる。留実先生が言っていたように、葉つきで売られている野菜も多い。
「留実先生のピクルス、美味しかったし、作ってみようかな」
入り口に近いお店で売られている野菜の名前を確認しながら、早都が呟く。
「ラディッシュ、シャキっとしていて美味しかったね。新玉ねぎも甘くて美味しかった」
「ピクルスにするなら、きゅうりも良さそう」
「迷うね」
「でもさ」
千紗ちゃんが、小声になる。
「ピクルスって、作ったら誰が食べる?」
「私だけ……かな」
「だよね。うちも……」
会話しながら、なんとなく2人の身体は野菜の台から離れていった。通路の真ん中を歩いて、奥の方へと移動する。
「あっ、詰め合わせがあるよ」
「温野菜セット?」
千紗ちゃんの視線の先にあるのは、プラスチックの籠の中に並ぶ、鎌倉野菜のブランドマークが印刷された袋に入ったカット野菜の詰め合わせ。袋の中を確認しようと、早都たちは商品が並ぶ台に近づいた。
「フライパンにオリーブオイルを入れ、野菜を並べるの。野菜は、食べやすい大きさに切ってね。大さじ1の水を入れたら、フタをして中火で2~3分蒸す。塩をパラパラッと振ってね。それだけで美味しいですよ」
台の向こう側から、お店の方が教えてくれる。
「ピクルスにしようかと思ってるんですが、この野菜でもできますよね?」
早都が尋ねる。
「ピクルスにもいいですよ。いろんな野菜の味が、楽しめますし」
袋に入っているのは、食べ切れそうなサイズ感にカットされた数種類のカラフルな野菜たち。確かに、お試しには良さそうだ。
「これにしようかな。この量だったら、1人でも2日くらいで食べきれそうだし」
「そうだね。私も買おうっと。私は温野菜サラダにして食べるよ」
帰り道の電車の中、
「明日は、ヨガに行く?」
千紗ちゃんが、質問してきた。
「明日は、シフォンなんだ。今週末は、おうちカルチャー、連チャンになっちゃった」
「そうなんだ。残念」
「ところで、早都さんは、何がきっかけで、お教室に通い始めたんだっけ?」
ふいの問いかけに、早都は、心の奥が、キュッと疼いた気がした。
「そもそもは、シフォンケーキがうまく焼けなかったから、上手に作りたいなと思って。それが、どんどん広がって、何だかいろんなものに手を出しちゃってるよね。シフォンは、相変わらずうまくいかないから、明日もしっかり習ってくるんだ」
「早都さんのシフォンケーキは、十分美味しいよ。でも、「もっと」って思うなら、頑張って」
「うん。もう少し、うまくできるようにレッスン受けてくる。また食べてね」
家に戻った早都は、レッスンで作ったスコーンが入った袋とジャムを、ダイニングテーブルに置いた。
「すごくいい匂いがする。美味しそうだね」
夫が呟く。
「あっ、でも、これは明日の朝食ね。スクランブルエッグとサラダを作って出かけるから、スコーンは軽く温めて、ジャムをつけるとかして食べて。夕食は、別に作るから」
「明日は、シフォンだっけ?」
「そう。8時には出ないと間に合わない」
夜、横になった早都は、ふと、昼間の千紗ちゃんとの会話を、思い出した。
(あの時感じた胸の痛みは、何だったんだろう?ん?穴?)
(あっ、雨の音がする。明日の朝までに、止んでくれるといいな)
(そうだ。ハンドミキサー、忘れないようにしないと……)
次から次へと、いろんなことが思い浮かんできてしまい、胸がキュッとした原因を深く考えることもないまま、早都は、あっという間に眠りについた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます