第4-2話 スコーン&ジャムに鎌倉野菜のピクルスを添えて(2/4)

 「何が見えてますか?」

 受話器を手にしたアシスタントさんが質問をしているのが聞こえた。しばらく間があって、今度は道案内をし始めた。

「そこからもう少し先へ進んでいただくと、右手に駐車場が見えてきます。駐車場の手前を左に曲がっていただいて、その道をお進みください。今から、見えるところまで、出ますね」

 電話を切ったアシスタントさんが、状況を説明してくれる。

「もうお一人いらっしゃる予定の方が、道に迷われたみたいで。すぐ近くまでいらっしゃっているようなので、ちょっと様子を見てきますね。申し訳ありませんが、もうしばらくお待ちください」

 少し早口でそう言い置いて、アシスタントさんは足早にサロンから出ていった。


 「1人だったら私もたどり着けなかったかも」

 千紗ちゃんが呟いた。

「確かにわかりにくいよね。私も、別の路地に迷い混んでしまったことがあるよ」

 早都も呟く。

「同じような角がいくつかあって、迷いますよね」

 千紗ちゃんの向かいの席の女性が話しかけてきた。すると、他の受講生も、

「私も迷って、行ったり来たりしました」

「地図を見ていたんですが、距離感が掴めず、間違った路地を曲がってしまいました」

「私だけかと思っていましたが、皆さん同じですね」

 と、次々に体験を話し始めた。ほぼ初対面のメンバー同士、少し居心地の悪さが感じられるサロンだったが、共通体験の「道に迷ったエピソード」で、一気に和やかな空気が広がった。

「留実さんのスコーンが大好きで、遥々習いに来たんです」

 千紗ちゃんの向かいの席の女性が、再び、話しかけてきた。

「どちらからですか?」

「名古屋からです。今朝、始発に近い新幹線で来ました」

「名古屋!」

 今日のメンバーの中で一番若そうな名古屋さんは、緩めのカールがかかったオリーブアッシュのロングヘアがキュートな顔立ちにとても似合っている20代と思われる女性だ。

「私、広島です。昨晩は、娘のところに泊めてもらって」

 早都の向かいに座った女性も話に入ってきた。ショートカットで、メガネがおしゃれな50代マダム、広島さん。マダム広島さんが続ける。

「留実さんのお店は、スコーンも美味しいですけど、ジャムも絶品ですよね。でも、ちょっと値が張るので、なかなか買えなくて……。それで、自分で作れるといいかな、と思って今日は来たんです」

 早都も、同じだ。

「みんな、留実先生のお店のファンなんですね。ホントに美味しいですよね。自分で作れたら、いいですよね」


 留実先生は、スコーンのお店もやっている。早都が、この教室を知ったのは、偶然、留実先生のスコーン屋さんを見つけたことが、きっかけだ。


 それは、数年前、早都が学生時代の友人と鎌倉へ遊びに来ていた時のこと。銭洗弁財天から鎌倉駅へ戻る途中、裏道に迷いこんでいた早都の目に、ブラックボードの看板が飛び込んできた。そこに描かれていた手書きのイラストが、シンプルでかわいくて、早都たちは吸い込まれるように、そのお店に入ってしまった。それが、留実先生のスコーン屋さんだった。そこで、家族へのお土産に購入したのが「プレーンスコーン」と「グレープフルーツのマーマレード」。国産グレープフルーツをふんだんに使った、フレッシュ感溢れるマーマレードをのせて食べたスコーンは、週末のご褒美ブランチにぴったりだった。それ以降、早都は、鎌倉へ来る度に留実先生のお店へ足を運ぶようになった。留実先生のスコーンを目当てに、夫を誘い出し、鎌倉散策を楽しむこともあったくらいだ。

 お店に貼られたポスターで、留実先生が、お教室を開いていることを知った早都は、

(お気に入りのスコーンを自分で作って手軽に食べたい)

 と思い、すぐにレッスンの申し込みをした。「スコーン」クラスは日程が合わなかったため、まずは、焼き菓子のレッスンをいくつか受講した。念願の「スコーン」レッスンは、今日が初めてだ。

 留実先生のお店の商品は、HPからの購入もできるので、全国各地にファンがいる。だから、遠方からの受講生も多いのだ。


 「遅れてすみません」

 息を切らした女性が、アシスタントさんと一緒にサロンに入ってきた。道に迷った経験を共有している受講生は、笑顔で迎える。

「大変でしたね~」

 声には出さないけれど、みんなの表情が、そう語っている。


 受講生が全員揃ったところで、いよいよ留実先生の登場だ。


 「おはようございます。三島留実です。皆さんお揃いになられたので、レッスンを始めましょう」

 薄いブルーの割烹着というにはオシャレすぎる、長袖のスクラブと言う方がイメージにぴったりなユニフォームスタイルで、留実先生が姿を見せた。

「実物だ~」

 千紗ちゃんの小さい声が、耳をかすめる。千紗ちゃんは、最近、留実先生がテレビに出演しているのを見たそうだ。名古屋さんと広島さんも、顔を紅潮させている。早都も、釣られてテンションが上がってきた。留実先生は、全体を見回し、今日の受講生の構成を把握しているようだった。人好きのする笑顔、でも、その眼には経営者としての鋭さがちら見えする、いつもの留実先生だ。


 「早速、デモンストレーションを見ていただくので、レシピを持って、カウンターテーブルの回りに集まってください」

 留実先生の声に従って、受講生が動く。デモンストレーションは、カウンターを調理台として使って行われるのだ。


 「まずは、スコーン生地から作ります。グラニュー糖、塩、牛乳、生クリームをホイッパーで混ぜます。生クリームは、脂肪分35%のものを使っています」

 留実先生は、右手で軽快にホイッパーを動かしながら、材料の説明をする。

「次に、粉類をふるいながらボウルに入れ、バターを加えて、カードで切り込んでいきます。ご自宅では、フードプロセッサーを使っても、大丈夫ですよ」

 この工程では、留実先生の両方の手が、サクサクと、小刻みによく動いている。特に、右手の動きが軽やかだ。「ルミ工房」では、動画の撮影は、禁止されている。早都は、この作業工程を写真に残そうとシャッターを押すが、留実先生の動きが速すぎて、思うような写真が撮れない。何度かチャレンジして、まあまあだと思うものが撮れた時には、留実先生の手は、既に止まっていた。

「バターが、このくらいの大きさになったら、両方の手ですり混ぜます」

 早都は「このくらいの大きさ」を目で確認すると、レシピに楕円形を書いてみた。写真に撮るより、イラストでメモした方が、確実に残りそうだ。

「粉チーズ状になるまですり混ぜたら、合わせておいた液体を加え、ゴムべらで混ぜます。ある程度混ざったら、台に出します」

 スピーディーなデモンストレーションが、続く。メモも追い付かない。

「今度は、手の付け根を使って、生地を台に擦り付けるように、伸ばします。これを繰り返し、全体にきれいに混ざったら、一まとめにします。ここまでできたら、ラップに包んで、冷蔵庫で休ませます。さあ、皆さんも作ってみましょう」


 留実先生の掛け声で、受講生は、それぞれの作業テーブルに散らばった。早都と千紗ちゃんも、アシスタントさんに教えてもらった作業テーブルへ移動する。テーブルを挟んで、向かい合って立っていると、計量された材料が次々に運ばれてきた。

「まずは、牛乳・生クリームが入ったボウルに、グラニュー糖を加えて混ぜてください」

「危ない、危ない。粉からいくところだった~」

 粉類が入った袋の結び目を解こうとしていた早都は、舌を出した。

「あるよ、あるよ。そういうこと」

 千紗ちゃんが慰めてくれる。

「かな~?」

 そう笑いながら、ホイッパーでグラニュー糖を溶かす。

「ごめん、飛んじゃった」

 千紗ちゃんのボウルから、液体の滴が飛び出した。

「力、入れすぎ、入れすぎ」

 また、ふふっと笑顔。気心が知れた人が、一緒だと失敗しても落ち込まなくてすむ。

「次は、粉をふるって、バターを合わせていってください」

 留実先生の声が、響く。

「粉ふるい、苦手。すぐに、粉がボウルからはみ出しちゃうんだよね」

 不得手な作業に取りかかる前に、ちらりと弱音も吐ける。

「少しなら、こぼれても大丈夫だよ」

「そうだね。テーブル布巾もあるしね」

 粉をふるって、バターを入れ、カードで切り込む。「ルミ工房」の他のレッスンでも、この工程を経験したことがある早都は、少し慣れた手付きで、作業に集中した。

「門田さん、左手も使ってみてください」

 作業テーブルを巡回してきた留実先生が、千紗ちゃんにアドバイスをしている。千紗ちゃんが、すぐに反応する。

「そうです。その方が、全体が均一に、早く仕上がっていきますよ」

「ありがとうございます」

 留実先生が、隣のテーブルへ移っていった。

「もうそろそろ、すり混ぜに入ってください」

(隣のテーブルの方が進捗速そう。もうちょっと急いだ方がいいかな)

 早都が、そう思っていると、

「原田さんもすり混ぜていいですよ」

 振り返った留実先生が、早都にも次の工程へ行くように促してくれた。

(そんなに遅れていないみたい。よかった~)

 すり混ぜをし、液体と合わせる。台の上で作業をした後、生地をひとつにまとめて、ラップに包んだ。切り込み作業に戸惑い気味だった千紗ちゃんも、あっという間にコツを掴んだようで、いつの間にか早都に追いついている。

「できたね~」

「うん。できた、できた」

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