第4-1話 スコーン&ジャムに鎌倉野菜のピクルスを添えて(1/4)

 「晴れていてよかったね」

 早都さとは、隣を歩く千紗ちさちゃんに話しかけた。千紗ちゃんは、同じ町内に住む早都のママ友だ。息子同士が通っていた保育園の、親子遠足で知り合ってから、彼此もう15年の付き合いになる。

「雨だったら、八幡宮の参拝は、パスだったよね」

「同感、同感。傘を差しながらの階段のぼりはきついよ」

「だよね」

「この時間は、まだ人も疎らだね。自分たちのペースでのぼれるから、いいね」

「うん。早起きした甲斐があったよ」

 横浜の端っこから、JRで鎌倉駅まで来た2人は、鶴岡八幡宮の二ノ鳥居から、段葛を通って、三ノ鳥居をくぐり、手水舎に寄って手と口を清めた後、大石段をのぼっていた。

「キツ~イ。よろけそう」

「千紗ちゃん、パンプス履いてるからだよ。私は、ほら、スニーカー。パンプスなんて、もう1年以上履いてないかも……」

「早都さん、先に行ってて」

と、千紗ちゃんが言う。

「じゃあ、先にのぼって待ってるね。千紗ちゃん、ゆっくり来てね」

 今日の早都は、ボーダーTシャツに薄手のジャケット、ネイビー色のアンクル丈パンツに、スニーカーというカジュアルファッション。対して、千紗ちゃんは、たっぷりとあしらわれたレースが印象的な白いブラウスに、サテンプリーツのミディスカート、パンプスというフェミニンな装い。大石段をのぼるには、早都の服装の方が断然有利だ。早都は、一気に大石段をのぼり切った。

 肩で息をしながら、楼門に掲げられた「八幡宮」の額の2羽の鳩の形で表された「八」の字を見上げた早都は、

(今日まで無事に過ごせました。ありがとうございます。これからも見守ってください)

 と、心の中で呟いた。お詣りは、お賽銭箱の前で行うのが常だが、早都は額の中に鳩を見つけると、何だかありがたい気持ちになってしまい、毎回ここでも神様に祈ってしまうのだった。

「千紗ちゃん、すごくいい景色だよ。あれ、海?空かな?海のような気がするけど、海って、ここから見える?」

 振り返った早都は、途中で小休止している千紗ちゃんに声をかけた。

「どうだったかな?今行くから、ちょっと待ってて」

 そう言いながら、千紗ちゃんは、再び、階段をのぼり始めた。

「わぁ、本当に今日はいいお天気。青空が広がってるね。海は……。あっ、見えてるね」

「やっぱり、海だよね!一ノ鳥居の先に見える青いのは」

「間違いないよ。今日はついてるかもね」

 そう言って千紗ちゃんは、るんるんとした軽い足取りで楼門をくぐり、参拝を始めた。早都も千紗ちゃんの隣に並び、二礼二拍手一礼の作法にならってお詣りをした。

 参拝を終えた2人は、持参したそれぞれの御朱印帳に御朱印をいただき、鶴岡八幡宮を後にした。そこから、路地を縫うように歩くことおよそ20分、少し汗ばんできた頃、住宅街の一角に「ルミ工房」が見えてきた。


 今日は、千紗ちゃんと一緒に申し込んだ「ルミ工房」の「スコーン&ジャム」レッスンの日だ。昨年の忘年会に、早都が持参した「点心教室 ICHIPAOBA《いーちーぱおば》」で習った水餃子を食べた千紗ちゃんが、

「私も何か習ってみたい」

 と言ったことがきっかけで、申し込んだレッスンだ。

(千紗ちゃんと一緒なら、「ルミ工房」)

千紗ちゃんにリクエストされた早都は、自分が通っているいくつかのお教室の中から、迷わず留実先生のレッスンを選択した。決め手は、場所が近いことだった。早都が通っているおうちカルチャーの中では、「ルミ工房」が一番自宅に近い。「これを」という具体的に習いたいものがある訳ではなく、「何かを」習いたいという時には、移動時間が短いことは大事なポイントだと、早都は思う。

(でも、習いたい「何か」があったり、「誰か」に習いたいという思いがあったりすると、移動時間はあまり関係なくなるんだよな~)

 片道2時間ほどかかるお教室にも通っている早都は、心底そう感じている。

(う~ん。でも、それって、ある意味やばいよね……)


 今日行くことになっている鎌倉の「ルミ工房」は、カルチャースクール寄りのおうちカルチャーだ。先生のほかにアシスタントさんがいて、受講生のサポートをしてくれる。材料の計量も、洗い物も、全てアシスタントさんにお任せのレッスンスタイルだ。元隠れ家レストランだったという一軒家の広いスペースをふんだんに使ってレッスンが行われることもあり、ちょっとしたセレブ気分が味わえるお教室だ。


 天然木のあたたかみが感じられる玄関ドアを開けると、アシスタントさんが、待機していてくれた。

「おはようございます。今日は、お二人でのご参加ですか?お名前をお聞かせください」

「はい。2名で申し込んでいます。原田と言います」

「門田です」

「よろしくお願いします」

 挨拶の後、持参した上履きに履き替えた早都と千紗ちゃんは、アシスタントさんに促され、レッスンルームの先にある、サロンへと向かった。

 玄関に続くレッスンルームは、東側に大きな窓があり、中庭を眺められる作りになっている。この季節は、新緑が眩しい。反対側の壁には、大きな棚が備えつけられていて、ボウルや鍋などが程よい間隔で収まっている。レッスンルーム中央のスペースには、4つの作業テーブルがあり、2人分ずつの調理道具が並べられていた。作業テーブルが置かれているエリアとカウンターで仕切られた向こう側には、オーブンや冷蔵庫が配置されている。

「原田さんは5番、門田さんは6番の場所をお使いください。向かって左奥の作業テーブルになります」

 レッスンルームを通り抜ける時に、アシスタントさんが、早都たちの作業場所を案内してくれた。

「同じテーブルでよかったね」

「うん。2名で申し込むと配慮してくれるんだね、きっと」

「うん、うん」

 2人は、自分たちの作業テーブルを目で確認し、サロンへと進んだ。


 隠れ家レストランだった頃は、個室として使われていたスペースだろうか、「ルミ工房」で「サロン」と呼ばれている部屋では、クローゼットに荷物や上着を仕舞ったり、工房が用意してくれているエプロンを身に付けたりと、実習に備えて身支度を整えることになっている。「サロン」はまた、レッスン前にはオリエンテーション、レッスン後には試食が行われる場所としても使われている。


 「お好きな席に座ってくださいね」

 アシスタントさんが声をかけてくれる。サロンには大きめのテーブルが2つあり、受講生が4人ずつ座れるようになっていた。早都たちがサロンに入った時に着席している受講生は、まだ1人だけだった。早都と千紗ちゃんは隣合わせに席を取った。バッグから、フリクションボールペンとスマホ、ハンドタオルを取り出し、あとはクローゼットへ入れる。早都は、脱いだジャケットもクローゼットのハンガーに掛けた。テーブルの上に置かれたエプロンを頭から被り、紐を結んでから、椅子に座ると、すぐに冷たい飲み物が運ばれてきた。

「レッスンが始まるまで、もう少しお時間がありますので、お待ちください」

 アシスタントさんが持ってきてくれたのは、グラスに入った透明に輝く刈安色のハーブティーだった。喉が渇いていた早都は、それを一気に飲んで、小さなため息をついた。

「朝から、頑張って歩いたよね。ここで、ひと息ついておかないと、実習が終わるまで体力が持たないかも……」

「そうだね。私も、ちょっと休んどく」

 千紗ちゃんは、ハーブティーを2口3口飲んだ後、サロンの窓から外を眺めた。早都も釣られて、外の景色へと視線を移した。程よく手入れされた中庭の樹々、風に吹かれて揺れている葉は、きらきらと光を反射して、新緑の美しさをより一層際立たせている。

(爽やかな季節、心が洗われる~)

 と、早都は思った。

 緑を見て、少し落ち着いた早都は、テーブルに置かれたレシピを手に取った。「ルミ工房」のレシピは、材料と作り方が文字で書かれているだけの、とてもシンプルな作りだ。完成品の写真が掲載されたレシピを配布するお教室が多い中、ここのレシピには、写真やイラストは使われていない。

(このシンプルさも、また、いいんだよね)

 と、早都は思う。簡潔に書かれた文章を読んで、でき上がりをイメージする時間、それはそれで、特別な楽しい時間だ。だから、この時間が持てる文字だけのレシピも、早都は好きなのだ。

 早都がレシピを読んでイメージを膨らませている間に、次々と受講生がやってきた。残りは1席。アシスタントさんが、7人目の受講生にハーブティーをサービスしていると、突然、教室の電話が鳴った。

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