第1-2話 今日のレッスンメニューは小籠包(2/4)
「それでは、お時間になったので、レッスンを始めます。今日は「ICHIPAOBA」一番人気のレッスン、小籠包です。このレッスン、このお教室では、包むのが2番目に難しいメニューです。「ICHIPAOBA」のレッスンが初めての方もいらっしゃいますが、頑張りましょう」
「初めての方」というところで、早都は、佐和先生と目が合った。佐和先生は「頑張りましょう」と言い終わるまで、早都の方を見て、話しをしているような気がした。確かに、「点心教室 ICHIPAOBA」のHPでも、「小籠包は、包むのが難しい」と書かれていたが、点心を習いたいし、特別器用ではないが、特別不器用でもない、と自己評価している早都は、その難易度にも迷うことなく、このレッスンを申し込んだのだ。
(先生は、間違いなく私の方を見ていたよね。ちょっと早まったかな。大丈夫かなぁ?)
早都は、ちょっと胸がドキドキした。
佐和先生から、材料と作成手順の前半部分についての説明が行われた後、実習が始まった。
「まずは、具を作ります。具の材料は、レシピの2倍の分量で、量ってあります。お隣さんと2人一組で、作っていきましょう。滝川さんは、私とペアになります。2人分作ってくださいね」
早都の隣は、優しそうな方だった。身長が高めで、ややぽっちゃり型の体型、柔らかい素材のワンピースを着ている感じから、早都は、
(職場にいる北島さんタイプだな)
と、思った。
北島さんは、会社の同僚だ。2年前に転職した早都は、今の職場で北島さんと知り合った。知り合った頃の北島さんは「子どもたちのピアノの先生 村瀬先生タイプさん」だった。程なくして「村瀬先生タイプ」から独立した「北島さん」。「北島さんタイプ」の誕生だ。
今日のお隣さんは「村瀬先生タイプ」というよりも「北島さんタイプ」、なんとなくそんな感じがした。「村瀬先生タイプ」も「北島さんタイプ」も系統は似ているので、タイプ分けはあいまいだ。いずれにしても、おおらかでお茶目なしっかり者の方に違いない。
(北島さんタイプさんのお隣に座れて、ラッキー。頼りにしちゃおう)
早都は、一瞬で心に決めた。
佐和先生が、キッチンから豚肉の入ったボウルを3つ持ってきた。
「まずは、豚肉と調味料を混ぜます。混ぜる担当を決めて、担当になった方は、手袋をしてください。もう一人の方は、調味料を小さいヘラで混ぜた後、ボウルに入れてください」
佐和先生から、最初の作業指示が出た。
「私が、お肉を混ぜますね」
北島さんタイプさんが、にこやかに声をかけてくれた。
「お願いします。私は、調味料を担当しますね」
早都が、応じた。北島さんタイプさんが、手袋をはめた右手をぐるぐる回して、豚肉を混ぜてくれている。途中で早都が調味料を投入した。その調味料の水分が無くなった頃、佐和先生から次の指示が出た。
「豚肉に粘りが出てきたら、手袋は外していいですよ。残りの材料を順番に入れて、ゴムべらで混ぜてください。最後の材料、ネギを加えた後は、軽く混ぜるだけにしてくださいね。ネギが散らばれば、具の完成です」
「ゴムべらは、お願いします」
北島さんタイプさんは、早都にゴムべらを手渡した。北島さんタイプさんが、残りの材料を順番に投入してくれる。その度に、早都は、ゴムべらでボウルの中をかき混ぜた。
「そろそろいいでしょうか?」
「いいと思いますよ」
にっこり。絶えず、にこやかに対応してくれるところは、さすが北島さんタイプ。許容範囲が、広そうだ。早都は、ますます北島さんタイプさんに親近感を覚えた。
早都の向かいの席に座っているのは、ハンターだった。早都は「自分がやりたい事や成し遂げたい目標に貪欲な人たち」を「ハンター」と呼んでいる。早都は、「ハンター」が苦手だ。欲求に素直すぎるその行動に、戸惑いを感じることが少なくないからだ。「目くじらを立てるほどのことでもないけど、ふつうはそうしないよね」とか、「輪を乱すほどのことでもないけど、それは違うよな」とか、「ハンター」の行動に、軽い違和感を覚えることが多い。なんとなく心がざわつく。願望に忠実な行動を躊躇なくとれる「ハンター」に、嫉妬している部分が多分にあるとは思うのだが。
お教室のハンターは、佐和先生と同じくらいの年齢のほっそりとした体つきの女性だった。襟元にフリルがついた白いブラウスに大花柄のひざ丈のAラインスカートという装い。ラベンダー色のエプロンの紐をキュッと結んでいる。ショートボブの黒髪に、クリッとした大きなよく動く目をしていた。視界が広そうなアグレッシブな瞳は、早都が「ハンター」と名付けている女性に共通の特徴だ。佐和先生の説明を聞きながら、材料や調理用具を、射るような眼差しで、何度も素早く確認している姿は、正に「ハンター」だった。ハンターは、佐和先生からの作業指示が出ると、すかさず手袋を手に取って
「混ぜる係をやります」
と、宣言した。豚肉に調味料を混ぜ込んだ後も、ハンターは、そのままボウルを持ち続け、ゴムべら混ぜも担当していた。ハンターのお隣さんは、調味料や材料をボウルに入れる裏方にならざるを得ず、具の作成に直接携わることはできなかった。
ハンターは、「調味料を入れてもよいか」「残りの材料を入れるタイミングはこれでいいか」「ネギの散らばり具合はよいか」と、何度も佐和先生に確認していた。佐和先生が、他の人にアドバイスをしていても、お構いなしで会話に割り込んでくる。「ハンター」は、狙った獲物はもちろん、タイミングも絶対に逃さないのだ。
早都が、「ハンター」と名付ける人物は、朝の通勤電車にもいる。通勤電車のハンターの目標は、座席に座わることだ。早都が乗車する時には、座席はすでに埋まっている。早都の隣の駅から乗ってくるハンターは、次の駅で降りる人の真ん前に立とうと、そのつり革を第1ターゲットに乗り込んでくる。次の駅で降車する人を、かなり把握しているのだろう。ハンターの狩猟は、電車に乗る前から始まっているようだ。減速しながらホームに入ってくる電車の中のターゲットを、窓の外から探す。乗り込むとすぐ、わき目もふらず、一目散に目標のつり革を取りに向かっていく。ターゲットが見つからなかった時には、一旦、仮のつり革につかまり、ターゲットを探し続ける。座っている人の動きをつぶさに監察し、少しでも降りそうな気配の人を察知したら、電車が動き出していてもその人の前へ移動する。それが、等間隔で立っている人の間に割り込む形になったとしても、ためらうことはない。多少無理矢理にでも、降車しそうな人の真ん前のつり革を確保する。「隣との間隔が狭くなりすぎないためには、どの位置に立てばよいか」、「乗ってくる人の邪魔にならない場所はどの辺か」等と考え、座りたい時にもチャンスを逃してしまいがちな早都にとって、ハンターの生き方は、ある種の憧れでもある。
「包む作業が始まるまで、作った具は、冷蔵庫に保管しておきます」
佐和先生が、みんなが作った具を一つにまとめ、キッチンの冷蔵庫へ持っていった。しばらくして戻ってきた佐和先生の手には、粉の入ったボウルがあった。
「皮の材料は、1人分ずつ用意してあります。一緒に作っていきましょう」
佐和先生は、粉の入ったボウルをクッキングマットの上に配っていく。
「ボウルが配られた方から、作業を始めてください。まずは、粉と水分を混ぜていきましょう。初めは、捏ねないでくださいね」
ボウルが配られた受講生は、皮を作り始めた。
(捏ねないって、どうするんだ?)
早都が、周りをキョロキョロしていると、
「まずは、指をひろげて、混ぜてください」
ボウルを配り終わった佐和先生が、実際にデモンストレーションをしながら、早都に声をかけてくれた。
「混ぜていると、だんだんボウルがきれいになってきます。こんな感じになったら、両手で捏ね始めてください」
佐和先生がボウルの中を見せてくれる。
(私のと全然違う。早く追いつかなきゃ)
悪戦苦闘している早都をしり目に、他の受講生のボウルの中の粉の状態は、どんどん変化していっていた。佐和先生は、時々デモンストレーションを中断し、受講生の作業を確認する。
「深谷さん、もう捏ねてもいいですよ」
佐和先生がハンターのお隣さんに声をかけた。
「滝川さんも捏ね始めてください。他の皆さんは、もう少しですね」
早都はこれ以上遅れまいと、必死に手を動かす。
「まだ捏ねていない皆さんも、そろそろ捏ね始めていいですよ」
全員が捏ね始めたところで、佐和先生がデモンストレーションを再開した。
「両手で引っ張りながら捏ねます」
それを見ながら、早都も一生懸命に皮作りをこなした。
一度めの作業が終わり、5分ほど生地を休めた後、2度めの捏ね作業が始まった。
(あっ、すごい)
何気なく視界に入った深谷さんは、流れるような動作で、しかも力強く粉を捏ねていた。
(深谷さんの動きも、きれいだな)
早都は、佐和先生と深谷さん、二人に交互に視線を送って捏ねる動きを観察した。というより、二人の美しい動きを観賞してしまっていた。
「原田さん、手が止まってますよ」
佐和先生の声に、早都は我に返った。
(観賞している場合じゃないっ)
「こんな風になめらかになったら、ラップに包んで休ませましょう」
粉を捏ねるという料理の経験が無いに等しい早都にとって、佐和先生やみんなと一緒に皮作りを進める作業は、プレッシャーだった。どうしてもペースが遅れがちになる。案の定、一番最後まで捏ねていたのは早都だった。それでも、皮が、何とかラップに包める状態になって、ほっとした。
(やっぱり、このレッスンを申し込んだのは、時期尚早だったかな?)
早都の心に、不安がよぎった。
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