第4話

ある日のこと。

弁当を忘れ、購買で初めてパンを買った。

要領がさっぱり分からず、

一年生に背中を押され、

やっとの思いで取り上げたパンはイチゴのジャムパン一つ。


「珍しいね、お弁当じゃないなんて」

目の前で弁当を広げる友人に言われ、

「忘れてきちゃったの、最悪」

とパンの封を開ける。

水筒も忘れたので、自販機でいちごミルク飲料を買った。

二つともイチゴ。

初めてのことで、緊張した結果。

「怒られない?弁当忘れちゃうと」

と友人が言う。

イチゴミルクの違和感など感じていなさそう。

「たぶんね、せっかく作ったのにって言われる」

と返す。


学校の昼休みは大嫌いなのに、

定番の弁当を忘れるとこれまた面倒な会話が必要となった。


今後、卒業するまで二度と弁当を忘れまいとこの日思った。


帰りのバスに乗り遅れると、

次のバスは一時間後となる。


私は授業が終わると、

時間に追われていない自転車通学の友達とはさっさと別れ、

一人バス停に立つ。


男性の運転手は、

坂を走り下りてくる私を待っていてくれた。

確実に発車時刻二分は過ぎているのに、だ。

「そんなに慌てなくていいですよ」

その運転手が話しかけてくるのは、

走り込んだ私が無事にバスへ乗り込んだときに限ったことだった。

息を切らしている私は無言でバスに乗り込み、

「すみません」と言う代わりに、

激しい呼吸を繰り返す。

運転手は最初の一言以外、

特に何も言わないまま、

ゆっくりとバスを発車させる。


またある日の下校時間。

その日は特別だった。


バス停で待ち、普通にバスに乗り込んだ。

私はいつものように運転席の後ろに座る。

乗客は私一人。

教科書を広げる。


中間地点。

赤いバッグの女性が、朝の動きを巻き戻し、

再生したかのようにバスに乗り込んできた。

この時間に乗るなんて珍しい。

私は開いていた教科書を閉じた。

バスは静かに走っていく。


老人の降りる病院の前。

真っ赤なバッグの女性が立ち上がり、ドタドタ。

料金箱を通り過ぎようとするとき、運転手が言った。

「私は今日のこのバスが最後の運転になります。ご乗車ありがとうございました」

突然発せられたイレギュラーな言葉に、女性は多少戸惑った様子だったが、

「あら、そうですか。ご苦労様でした」

と意外に甲高い声で答えてバスを降りて行った。


私の目の前でそのやり取りが起きていた。

確実に私は存在しているのに、

何の関係もない人のように扱われたような気がしてならなかった。


終点までもう少し。

運転手は最後の運転を続けている。

私は一人、

ただ座席に座り、

教科書は閉じたまま、

到着を待っていた。


駅前は、帰宅するサラリーマンや学生の姿。

電車が到着するタイミングで、

混雑の波が押したり引いたりしている。


バスが停車するまでの窓の外を、

私はいつもより長い時間眺めていた。


定期を取り出し、運転手に見せる。

何一つ変わらないいつもの動き。

そして、運転手もいつもと変わらない声で、

「ありがとうございました。卒業まで頑張ってね」

と言った。

特に寂しそうな声でもなく、

私に笑顔を見せるわけでもなかった。

私は何か一言、言おうとした。

でも、どんな言葉も思い浮かばなかった。

心臓だけがいつもより早く動いていた。

私は小さく会釈をし、

黙ったままバスを降りた。

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