第2話

一番前の左側。

老人の指定席。


その席は少し空間が広く、座りやすいのだろう。

しかも出口が近く、すぐに降りられる。


私の座る席も決まっている。

運転席の真後ろ。


事故が起きた時に、

比較的安全な座席だと聞いたことがある。

が、そこに座るのに理由はない。


老人は自立して歩けるが、その歩みは遅い。

膝が悪いようで、思うように曲がらないらしい。


座席に座ると、すぐに帽子を脱いで、膝の上に乗せる。


わざわざ横を向かなくても、動きは分かる。

視界に自然に入ってくるのだ。


だが時々、私は首を四十五度動かし、

目に映るものを確かめる。


老人の被る帽子は茶色。

色褪せ、一部、生地が破れかけている。

長い間愛用してきたのだろう。


相当お気に入りなのか?

それともそれしかないから使用しているだけなのか?

新品なら、中折れのおしゃれな帽子なのだろう。


いつも少し微笑んでいる老人は、

帽子を膝の上に乗せると、静かに目をつむる。


自分が降りるバス停に近づくと、ゆっくり目を開け、

「おります」ボタンを押す。

そして静かに膝の上の帽子を持ち上げ、

丁寧にそれを頭の上に乗せる。


バスが完全に止まってから立ち上がり、

ゆっくりと小銭を料金箱へ入れる。


少し震える手で手すりを持ち、

用心深く大きなステップを降りていく。


細い体の後ろには斜めのヒモがぶらさがり、

そのヒモの先で、小さな巾着が小刻みに揺れている。


老人が降りる動作をしているうちに、

一人の若い女性が乗ってくる。


二十代前半。

いつも大きくて真っ赤なバッグを重たそうに肩にかけている。


彼女は毎回、一番後ろの座席にどっかと座る。

そして大きな欠伸。


「あーあ」と聞こえてくるその音は、

始まったばかりの朝に対する挑戦のようだ。


彼女の姿は、バス前方についている大きなルームミラーの

ど真ん中に映っていて、私は振り向かなくとも、

その姿を確認することが出来る。


長めのスカートをはき、

足元はだらしなく広げられ、

突っ掛けただけのサンダルがくっついている。


大抵いつも同じような恰好だ。

髪の毛も伸び放題で結んだりもしていない。

欠伸はするが、車内で眠ったりはしない。


老人が完全に降りるのを見送って、

再びバスは走り出す。


エンジン音と運転手のため息が混じる。


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