第9話 8歳 エルフのお仕事

「ねぇ、お父さんはいつも何処に行っているの?」


 ついに私は朝食を終えて出かけるお父さんにそう質問をした。父パウロは、弓と矢筒を背負って家から出るところだった。


「仕事に行っているんだよ。お父さんと遊びたいかい?」


「大丈夫! お父さん、行ってらっしゃい!」


 私に『大丈夫』と言われて少し落ち込んでいる様子だった。


 でも、パウロさん……。私は、仕事に行っているのは知っているよ。知りたいのは、その中身! 弓矢を背負って外出しているから、狩人かなとは思っているのだけど、具体的に何をしているのかが気になる。


 もうちょっと詳しく突っ込んで聞ければ良いのだけど、どうも語彙力というか、7歳の語彙力が追いつかない。


 でも、パウロさんや……。「仕事」と答えられても……。もっと具体的に説明して欲しいなぁ。パウロさんは爽やかイケメンなのだけど、ちょっと大雑把なのかな?


 でも、そんな時は、やっぱり母だ。


「お母さん、お父さんは何処に行っているの?」と、テーブルの食器を集めて、台所に持っていくついでに母に尋ねた。


「少し待っていてね。先に台所をやっつけちゃうわ。清浄なる水よ、これらの食器を清めたまへ……『ΣυιΣεν』!!」


 お母さんは相変わらず厨二病だなぁ。本当に残念だ。


 ・


 私がリビングで待っていると、母親が台所から戻ってきた。


 母曰く。


 お父さんの仕事は、というか、家族のほとんどが世界樹の森の番人らしい。


「エステルも大人になれば分かると思うのだけど、森はこのコップと同じなのよ。コップに沢山の水が入ったら……」


 母はそう言いながら水瓶の水をコップに注ぐ。コップに水が注がれていく。満杯になっても、母は注ぐのを止めない。


「コップが水で一杯になると、水は溢れ出る。水が溢れ出るだけなら良いのだけど、時として……いえ、絶対にあってはいけないのが、中に入った水によってコップが壊れてしまうことなの。コップが壊れてしまっては、もう二度とは戻らないの。そして、コップというのがΔάφνηと、その周りの森なの」


「それって、狼とかを退治するということ?」


 森のバランスを取るということだろうか。


「そうとは限らないわよ。エステルも森に降りられるようになったら分かるのだけど、Δάφνηの葉に落ちた雨の雫が、森の土へと落ちる。その水は草や花や木々を育て、そしてそれを食べる生き物の命へと変わる。そしてその生き物の命がリスや小鳥の命になる。そして、その命は、狼だとか鷹や……そして私たちに受け継がれる。兎を鋭い爪で捕らえた鷹は残酷なことをしているように見えるけれど、それはΔάφνηの大きな命の循環の輪の中にいるということなの」


 う……ん。今日の母は、少し哲学的な気がする。眉間に皺を寄せて考え込む私の頭を母は優しく撫でた。


「大丈夫。難しいことじゃないわ。そもそも森自体が自然にバランスを取ってくれているの。Δάφνηの恩恵で豊かな森だし、秋に栗がならないなんてなんてことはない。森に住む狼だって、兎を取り尽くすほどに増えたりはしないわ。兎だって賢いもの。簡単に食べられたりはしないわ。そうね……警戒すべきなのは、この森に入って来ようとする者達かしら。コップの水が溢れそうになるのは、外から森に入ってこようとするものたちがいる時ね。野蛮で、森にある全てのものを取り尽くそうとする……。森を焼き払い、山を掘り返して、地中深くに眠っている毒を地上に出そうとする……。私たちは、そんな者達から森を守っているの。森の外からコップに水が過剰に入ってこないようにね」


 生態系を壊さないようにするのがエルフの仕事ということだろうか。だけど……私は嫌な予感がする。とっても嫌な予感だ。だけど、私は質問せずにはいられなかった。


「森の外から入ってくるものって、どんな生き物?」


「そうね……オークやゴブリンなんかも、森に入ってくることはあるわ。だけど、群の数が多くなりすぎた時だから、しっかりと話し合えば大丈夫。鉱物を求めて移動するドワーフも、取り過ぎないようにちゃんと考えてくれるから話し合えば大丈夫。一番厄介なのは……人間よ。人間だけは森に入れちゃ駄目。彼等は、Δάφνηを枯らす存在。森を焼き、考え無しに山を掘り返す」


 母の顔は真剣だった。そして、その瞳には憎悪や怒りが浮かんでいた。


 正直に言おう。


 私はショックだった。


 正確には分からないけれど、おそらく、母が言っている「人間」というのは、私の想像している人間のことだろう。つまり、私の中身と同じ、人間だ。


 私という存在は、どうやらエルフから疎まれている……いや、憎まれている存在らしい。


 私の肉体は間違い無くエルフだ。だけど、精神は人間だ。前世の記憶があるから、人間だ。


 でも、「人間」は、優しい母が明確に敵意を露わにするほど、憎まれている。


 私はそのことがショックだった。 

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