第3話

腕を~前から上げて、背伸びの運動~



 朝六時、わたしは結構な人数の大人と子供たちにまじって近所の公園で「レイディオ体操」に参加していた。



 わたしが小学生だったころは、子供たちしか参加しない行事だったのだが、昨今の社会事情もあって父母が一人は参加するということになり、それならば、ということで高齢の方々を中心にご近所の面々が参加するようになった次第だ。



 わたしが、しょうがくせいのころ――か。


周りに気を使って、少しだけ小ぶりに腕を回しながらわたしは考える。


なんだかずっと昔のような、ついこのあいだのような。


高校生なんて、まるで違う星の人間のように思えていた、マメ人形みたいにチビだったくせに何でもできる自信に満ちていたころ。


数え切れないほどの道を前に、そっぽを向いて笑っていられた贅沢な季節。


あれから数年、いろいろあってわたしはこんなところにいる。


どんなに無数の道があったところで、結局、歩ける道はひとつしかありはしない。

ちらり、と隣の少女を見ると、日に焼けた腕をぶんぶん振って、キラキラに元気よく体操していた。



 八月一日、アイツと約束した日。


早朝だというのに、朝からセミさんたちは全開だ。


今日は今日しかないって、彼らは知っているんだ、きっと。


大脳新皮質の、もっとずっと深いところで。



 「タオルよし、ペットボトル二本よし、おべんとうよし」


シャワーを浴びた後部屋で全身に日焼け止めクリームを塗り、ベッドの上に広げた持ち物を指差し確認する。


「冷却剤よし、応急セットよし、デジカメよし」


半袖、半パンの白いスポ-ツウェアを着て帽子をかぶり、UVカットのサングラスをかける。


いざ出陣。


マウンテンバイクの整備は、昨晩終わらせてある。


「いってきます」


真新しいスポ-ツシュ-ズをひっかけて、わたしは外に出た。



 佐野植物園はゴミ焼却場の熱を利用して作られた熱帯植物園を中心に、かなりの広さを持ったきもちのいい公園だ。


ただ、場所自体がへんぴな所にあるのと宣伝不足のせいであまり人気が無い。


わたしは正面入り口にマウンテンバイクを停めて、入ってすぐのひさしのあるベンチに腰掛けた。


午前八時四十分。


アスファルトからは早くもゆらゆらと陽炎が昇り、太陽は今日も一日熱血していくつもりらしい。


あいかわらず全開で鳴りつづけるセミの雄たけびを聞きながら、凍らせておいたミネラルウオ-タ-のボトルを額に当てた。


・・・あの坂が無くなるって聞いたら、あいつ、何て言うかな。


わたしは少しじれながら、約束の時間が来るのを待った。



 み~んみんみんみん


命みじかし、恋せよセミさん。


夏の風物詩とはいえ、こんな大量に、しかも大きな音で鳴かれたんでは情緒もへったくれもない。


切羽詰った事情があるとはいえ、よくもまあ一日中鳴いていられるもんだ。


そう、一日中。


とうに役に立たなくなってしまったひさしの下、わたしは半分食べたお弁当をッデイパックの中にしまいこむ。


午後二時四十八分。


わたしはノロノロと立ち上がり、デイパックを背負った。


・・・なにやってんだか、わたし。


もう三時になるよ、三時。


これが遅刻なんかじゃないってことはとうにわかっていたはずじゃない。


なにもこんな時間までここにいる必要なんかなかったんだ。


・・・でも、今日この日にここに来る、と決めていた心と体は、ここ以外のどの場所にも居場所が無いような気がして。


結局三時。


ボトルの中のぬるま湯を、どぼどぼと愛車のハンドルとサドルに掛ける。


こうしないと、乗るどころか熱くてさわれない。


わたしは金属部分が肌に触れないように少し遠めにハンドルを持つと、手で押しながら公園に別れをつげた。



 すこしだけ涼しくなった風が汗まみれのからだに心地いい。


わたしは全力でマウンテンバイクを走らせる。


家に帰る前に、寄って確かめたいところがあった。


ふだんは通らないあぜ道や田舎道を選んで走る。


途中、たんぼの中からトンボが2匹やってきて、わたしに伴走してきた。


アップダウンを力強くクリアしながら、わたしは、自分に準備がととのってきたのを知った。



 目的地に着く頃には夏の空もだいぶ紫がかり、ぽつぽつと街灯が灯り始めていた。


わたしは100度の坂の前にいた。

見上げると、コンクリ-トはすっかり剥がされて地面が剥き出しになっている。


工事計画の看板を見ると、明日から地面を掘り返しての各種配管工事が始まるらしい。


工事の開始は、9時となっていた。


それだけ確かめると、えいやっ、とマウンテンバイクを反転させ、全速力で家へ向かった。


・・・門限、まにあうかな。

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