第2話
「なあ、白山いかないか?」
そんなお誘いを受けたのは、今学期最後の「100度の坂」に、今まさに挑戦しようとした瞬間のことだった。
「え?」
わたしはなんのことかわからず、前傾姿勢で右のペダルに全体重をあずける直前の姿勢のまま横を向いた。
「白山だよ、ハクサン。知ってるよね?」
わたしはぽかん、とソイツの顔をながめたまま固まっていた。
「夏休みの間、体力落ちたらマズイだろ。そこで、白山ツーリングってわけ。この坂ほどじゃないけれど、あっちもなかなかのモノですよ」
はあ。
返事とも溜息ともつかない音を出して、わたしは姿勢をもどした。
そりゃあ、しってますとも。
ウチの校歌にも謳われている白山。
校歌のとおり学校から遠くに仰ぎ見る感じでそびえているその山は、昔から霊峰としてこのあたりで崇められてきた。
それから、てっぺんに不思議なかんじの神社があること、そこで年に一回、真夜中にお祭りがあること。
・・・・ってか、これは。
「デートのお誘いなの、それ」
「はあ」
今度は、ソイツがぽかん、とした表情を浮かべる番だった。
「デート?なんで?」
・・・・・・えっと。
「そんなうわっついた事じゃあ、いつまでたったってこの坂を登るなんて出来やしない!明日っから夏休みだってのに、そんなことじゃ二学期になる頃にはヤル気も体力もすっからかんになってるに違いない!」
「は、えっ、あ、ごめんなさい・・・」
「よって!」
ソイツはふんぞりかえって腕組みをする。
「白山において夏季強化練習を行う。期日は八月一日、朝九時にふもとの佐野植物公園前に集合。十分な水分と軽食を持参の事。服装は運動に適したものとし、前日は・・・・」
「ちょ、スト、スト―――ップ!」
わたしは叫んで両手をバツの字に交差させた。
「なにかね、キミ!質問は最後にしたまえ」
「ちがうって。勝手にもりあがってるトコ悪いんだけど、わたし行くなんて一言もいってないじゃんよ」
「来ないの?なんで」
「なんで、って・・・」
なんでだろ。
「サイクリング嫌い?」
「や、むしろ好きだけど・・」
「用事があるとか」
「ううん、いまのところ・・」
「もしかして俺が嫌だとか?」
「や、そういうわけじゃ・・・・ない、けど」
「じゃ、なんだよ」
「えと・・・なんだろ」
鳴きはじめたセミがやけにうるさい。
夏の太陽ははやくもあたりを白く染め上げ始めていた。
その日の夜、わたしはまあまあだった通知表と保留にしていた高校の入学祝いをあわせて、父にマウンテンバイクをおねだりしたのだった。
高校に入って初めての夏休みに入り、わたしは新車のならしも兼ねて朝から午前中にかけて、あちこちをマウンテンバイクで走った。
高校ともなると生徒達の住んでいる場所はかなりバラバラで、クラスメイトなんかにはほとんど会わなかった。
アイツにも、会わなかった。
名前も知らないアイツ。
そういや、結局校内でも一度も顔をあわせなかったな。
もしかしたら先輩なのかな。
だとしたらずいぶんな口の利き方をしてしまったけれど。
ぼんやりとそんな事を考えながらマウテンバイク(わたしは、決してこの子をチャリ、とか自転車、とは呼ばない)を走らせていると、いつのまにか例の坂の前まで来ていた。
どうやら体が勝手に、走りなれた登校コ-スを選んでしまったらしい。
わたしは苦笑いを浮かべながら坂を見上げた。
いつもはうっそうと木の影に覆われて人気の無い坂に、数台のトラックやらないやらが駐車して道を塞いでいた。
坂のふもとには立て看板。
おきまりの、ヘルメットをかぶって頭を下げたヘタな絵が描かれている。
一瞬、なんのことかわからなかった。
隣に立ててあった工事計画の看板。
そこには迂回路と、この坂がそっくり階段に作り変えられる旨が記載されていた。
無くなる。
「100度の坂」が無くなる。
胸がぎゅう、と絞まり、お腹のあたりがずん、と重くなり、冷や汗がうかぶ。
なんだろう、取り返しのつかないことになってしまった、ってわたしはかんじてる。
会わなきゃ。
わたしはマウンテンバイクから降りて、くるりと車体を後ろ向きにした。
アイツに会わなきゃ。
わたしは何のあても無いまま、街へとマウンテンバイクを走らせた。
公園、本屋、ゲームセンター、オモチャ屋、自転車屋、ジ-ンズ屋にスポ-ツ用品店。
門限ギリギリまで走ってはみたものの、結局アイツに出会えることは無かった。
明後日の八月一日を待つしか、もうわたしには方法は残されていなかった。
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