第78話 閑話 喜怒哀楽の去りし山

『クァッハッハッハ! よーやった! ほんによーやった! 儂らの子は、ほんによか男ばい!』


 赤い体躯の4メートルはある大男、黒い長髪はクセ毛ではねている。


 意志の強そうな太めの眉に、鋭い眼力を持つ眼は黒く、視線の先には、困ったような笑顔で見つめ返す女が、いましがた産まれた我が子を抱いている。



『ドキ? あんまり大声で叫ばないで。ショウキが起きてしまうわ』


 金髪のショートカットがサラリと揺れる。

 優しそうな瞳は少し垂れ目で、白く透き通るような肌は、細い身体をより細く見せ、どこか儚げな雰囲気をだしている。



『おぉ、こりゃすまんかった。それにしてもアキ。ありがとうな』

 胡座をかいたまま頭を下げるドキ。


『危ない! もぅ! ドキの角は長いんだから気をつけて?』


 ドキの額には、一本の長く捻れた角が生えている。

『あぁ! 本当にすまん! この角は折ってしまおうか?』


『なに言ってるの? そんな事したら泣くわよ?』

 涙を浮かべるアキ。


『うーむ、アキくらい小さければ、邪魔にならんかったんだが』


 アキの側頭部には、小さく、少し丸みを帯びた角が二本。


『この子はどちらに似たのかしら? ドキに似て、立派な角だったらいいわね』

 赤ん坊の額を優しく撫でる。



『ショウキが邪魔に思わなければ、それでよかばい』

 大きな手で、恐る恐る撫でるドキ。


 赤鬼のドキと、黄鬼のアキ。


 二人の鬼神の間に産まれた橙鬼トウキのショウキ。


 鬼有の北部。三人家族で幸せな時間を過ごしていた。






 鬼有の東部。


 憎い……何故、あの泣くしか能の無い黄鬼が、ドキと子を成すのだ。


 最も優秀な子を成すのなら、我しか居らぬではないか。

 何故だ……何故……


『ァ……ァ……アァアアァァァァァァァァァァァァ!!』


 憎しみに心を蝕まれる白鬼。

 


 白鬼が知ったのは一月前になる。


 聞いた時は鼻で笑い、そんな事があるはずも無いと信じていなかった。


 黄鬼からの手紙が来るまでは、




 白鬼は、腰まである白く美しい髪を振り乱し、切れ長の眼は充血、

 薄く紅い瞳孔は、忙しなく辺りを見回す。


 

 白鬼の住む社は爪痕が残り、白鬼の血で汚されている。


 白鬼の慟哭は止むことなく続き、人々を恐怖に怯えさせ、近寄る事さえ許さなかった。


 白鬼は病み、堕ちていく。






 ショウキが攫われたのは、それからもう一月経った頃。


 

 ドキとアキは鬼有を探しまわる。


 白鬼が居るはずの東部に探しに行くと、人間は病いに倒れ、白鬼の姿も見えない。



 アキは人々を黄鬼の力で癒し、

 ドキはアキに任せ、白鬼の足取りを掴むため、また鬼有を探す。




 キキが合流したのは、アキが病いに侵された後になる。




喜鬼キキよ。儂も病んでおる。

 ……哀鬼アキはとうに堕ちて痾鬼アキになった。


 ……楽鬼ガキは何故、儂らの子を……いや、笑鬼ショウキが戻ればそれでいい。



 ……儂が堕ちたら……後を頼む』


 赤鬼、怒鬼ドキは、もう何度も記憶が飛んでいた。


 鬼が堕ちる。


 それは死と同義。


 鬼は、一つの感情を司る。


 負の感情に蝕まれ、飲み込まれると、感情を制御出来なくなり、暴走する。



 怒鬼は、初めから怒と言う負の感情を司り、他の【喜】【哀】【楽】に比べると、長く蝕まれ、苦しんだ。




『俺が必ずショウキを見つけて来る。それまで待っていてくれ! 必ず見つけて来る!』



 キキは疾走する。


 ドキもアキも必ず元に戻ると信じて。



 日の本の集落にたどり着いたキキは、いつものように人間に尋ねてまわる。


 恐れられ、逃げられても、根気よく尋ねていくと、人間の子供が教えてくれた。




 聞いた場所に行くと、ショウキが誰もいなくなった夕暮れの森で、数を数え、一人で隠れて、



『もーいーかい? まーだだよ』


 と、楽しそうな声で、誰かに向かって話している。




 それがとても悲しくて、哀しくて。


 キキは隠れて泣いた。


 キキは涙を拭いて、いつもの調子で声をかける。



『見ぃーつけたっ!』


 ショウキは驚いていたが、すぐに笑顔になり、

『見つかっちゃった!』

 

 笑うショウキを抱き上げて、

『お迎えに来たよ。お父さんとお母さんの所に帰ろうね』

 頭を撫でる。



 ショウキは、まだ小さな体を震わせ、大声で泣き出した。



 まだ、子供だ。一人の夜は孤独で寂しかっただろう。



 キキはショウキを抱えて、全力疾走で鬼有まで向かう。






『なぁ、楽鬼ガキ? ……いや、餓鬼ガキ

 何故、儂らの息子を攫った?


 ……あぁ、それはもういいから、今すぐショウキをここに連れて来い』



 ドキの上げた右腕の先には、髪を掴まれ、全身が赤く染まったガキの姿があった。



『あぅ……ぁ……愛してる……ドキィ……ぁイを……好きだと……ィってぇ』



 もう身体も動かない白鬼は、壊れたようにドキを求める。



『もういいと、もヴァがァアァ!


 っ……ショウキを……何処に連れて行ったんだ?』


 

 怒鬼は呶鬼ドキに堕ちそうになると、折った自分の角を身体に刺し、痛みで自分を保っていた。




 黄鬼のアキは、ドキの横にいる。


 いち早く白鬼と対面したアキは、自らの生命を捧げる代わりに、ショウキを返してと、ガキの袖にすがる。


 ガキは願いを聞くと言い、アキの頭を落とすと、楽しそうに派手に笑い転げる。



 ドキは一足遅かった。



 静かに熱を帯びていく身体を抑え、脳がチリチリと焼き付いていく痛みに耐えながら、倒れたアキの身体を優しく抱きしめ、そっと横に寝かせる。


 頭を抱き上げ、口付けをすると、寝かせた身体の、元あった場所に置いて。



 笑わなくなった白鬼を乱暴に引き寄せ、死なないように壊していった。





 白鬼が糸の切れた人形の様になり、全てが赤く染まった。


 呶鬼の咆哮は雲を呼び、海面を蒸発させ、草木を干からびさせる程、熱を帯びていて、辺りは轟々と軋んでいる。



 そしてキキも一足遅かった。


『ドキィ!! すまない! 遅くなった!』


 キキは見た瞬間、言葉を失ったが、自分を強く抱きしめる小さな身体に、言葉を絞り出す。




『……あぁ……ショウキが帰って来たばい。……アキ……寂しい思いをさせたな……もう少し待て』




 白鬼の首を握り潰すと、


『喜鬼ぃ! あとは頼む! 笑鬼ぃー! 

 ……達者で暮らせ!』



 自分の角を喉に突き刺す。


 最後の力でアキを抱き上げると、身体から炎を噴き上げ辺りを燃やし尽くした。



 キキはショウキに見せない様に強く抱きしめ、その場を後にする。






『今日から俺を親父と呼べよ? はいどーぞ!』


『やだ!』


 キキは、新米パパになり、ショウキを育てる。 


 


 ドキの燃やした跡は、大地が隆起し、山となった。


 少し離れた場所には、秋になると珍しい黄色のコスモスが咲いているのが見受けられ、人々の心を癒し。



 数年に一度、噴火し、白い灰を積もらせる。



 三神の山として、人々はこの山を崇める。



 その後、笑鬼と泣鬼が鬼有を去ると、山は熱が冷めたように静かになり、


 人々は、鬼を忘れていった。

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