第25話 仕掛け
近書院(近畿文学書院)の不正を暴露するために本多が取った手段は、簡単明瞭であった。近書院から本を出すのだ。ただ、二年前と異なり、本多の著書を出版するのは止めて、靖子の紀行文を起用しようと考えた。武術専門書よりはるかに注目度が高く、不正を暴くには格好の材料であったのだ。
大学の古武術研究クラブの機関誌が三カ月に一度発行され、部員やO・Bに向けて配布されているが、そこに発表したものが一冊の本として十分な量をなしていた。二年前、北原の相談を受けたときは、古武術の体系と歴史についてのまとめを出版するつもりだったが、専門書であり売れる部数はたかが知れていた。そんなものより、O・Bや部員たちのみならず大学の文芸部からも絶讃された、靖子の紀行文の方がはるかに出版価値があり、今回の仕掛けには打って付けだった。
「ええ、〈ザ・古武術〉担当の後輩から、〈ローレライ〉を出版したいって、何度も申し込みを受けているけど。でも、どうして大阪にある出版社から出すほうがいいの?」
日曜日に自宅を訪れた靖子に事情を話すと、突拍子もない提案に怪訝顔を浮かべた。〈ザ・古武術〉というのは機関誌の名称で、〈ローレライ〉は靖子がライン川沿いを旅したときの紀行文のタイトルだった。
「いや、実はね。近畿文学書院の経理に不明朗な点があって、それを調べるために君の〈ローレライ〉をそこから出版してほしいんだ。価値が高ければ高いほど、捜査当局が詐欺罪で立件する可能性が高いから」
リビングで、靖子が入れてくれたダージリングを味わいながら、本多は苦笑いを浮かべ協力要請に至った概略を説明する。
「‥‥‥ひょっとして、これが裏の仕事ということなのね。こないだの水曜日に、ママが直則さんに話していたのは、このことだったのね。―――さあ、どうしようかな」
これで靖子に裏の仕事そのものは、完全に知られてしまった。ただ、単なるサイドビジネスの域を出ないもの、との認識しか持っていないようで、わざとらしく思案顔で立ち上がるとベランダまで歩いて京都の町並みに目を落とした。
「裏の仕事のことを隠していたのは悪かったよ。謝るから、何とか頼まれてくれないかな」
近書院の不正を短期かつドラスティックに暴くには、〈ローレライ〉は捨て難い魅力があるのだ。
「いいわ。許してあげる、裏の仕事を隠していたのは」
靖子は笑顔で振り向いたが、
「‥‥‥でも、近畿文学書院というのは、北原さんが本を出していた出版社じゃなかったのかしら」
出版社の名前に聞き覚えがあったらしく、テーブルに腰を下ろすと本多の顔を覗き込んだ。
「―――そう、やっぱり北原さんが出していたとこなの。で、具体的にはどんな不正が行なわれているというの?」
「うん、考えられるのは、次の二つの方法によるものなんだが、その前に出版の形態として―――」
本多は靖子に出版の形態から分かりやすく説明する。二年前、徹底的に調べ上げたこともあり、話している本人が驚くほど淀みなく口を吐いた。
現在、出版の形態は大まかに三つに分けられ、第一は出版社による版権の買い取り。これは買い取られた金額が作家の手元に残るだけで、本がいくら売れようと、それ以上の利益を作家が手にすることはない。第二は自費出版。これは文字通り作家の費用で出版するのだが、売れれば再版分については、次の企画出版と同じ扱いを受ける。第三の企画出版は出版社の費用で本を出し、印税が作家に支払われるというシステムである。なお最近、第二と第三の中間形態の、協力出版ないし共同出版が巷で騒ぎを巻き起こしているが、第四の出版形態としての認知を確立するには、出版社の営業努力に負うところが大きいであろう。
さて、近書院のような在阪の、資本力の小さな出版社は大半が自費出版であり、企画(出版)は余程のことがない限り行なわれていない。ところで、この自費出版は自費部分の部数が消化されると企画に切り替わるが、自費部分が売れなくとも出版社に損は生じないわけで、編集費用その他の名目での収益と、売れた自費部分の四O%近い利益も出版社にもたらされることになっていた。
問題は右以外にも、近書院が不正手段で利益を得ているのではないかという点だった。まず第一の方法は、例えば千部売れているのに五百部しか売れなかったと作家に納得させ、五百部の利益しか渡さないというもの。第二は、売れると見込んだ本の場合、例えば三千部印刷するところ、あらかじめ五千部刷って、二千部分の利益を出版社が丸取りするというものだった。なお自費出版でありながら、売却代金を費用負担者の作家にまったく渡さず丸取りする出版社もあるが、これは論外で、負債に喘ぐ出版社が陥るパタンである。
「でも自費出版の場合、出版社は出版の取次をするんでしょう、法律的に構成すれば。‥‥‥すると、商法五五八条にいう準問屋ということになるんじゃない。だったら当然、本が売れたときは作家に通知する義務があるわ、―――商法五五七条だったかしら。それに作家には帳簿を閲覧する権利があるんだから、そんな不正はすぐ見つけられるんじゃないかしら」
本多の説明を聞いて、靖子は意外な表情を浮かべた。
「法律をよく知る者と違って、作家は帳簿を見せろなんて滅多に言わないよ。余程権利意識の高い人は別だけどね。だから、大半の人がやらないことを、我々が彼らに代わってやってみようというわけなんだ。北原の頼みでもあったわけだから」
「なるほど。―――で、報酬はいくらくらいなの? 裏稼業だから、弁護士報酬より高いのかしら。ちょっと興味があるわ、駆け出し〈必殺仕事人・お靖〉としては。それに〈ローレライ〉の著者としても」
イソ弁(居候弁護士)の友人たちの給与が頭をよぎって、一応口には出してみたが、頓着していないのは靖子の笑顔と冗談が物語っていた。
「そうだな。今度、ママに一度聞いておこうか。ひょっとして、ベストセラー作家の印税が回復されたりすると、彼がポンと大金を支払ってくれるかも知れないよ。それに〈ローレライ〉の作者も有望だな、不正が暴けて有名になると間違いなくベストセラーだよ。印税の一部を寄付してくれるだけで、我々仕事人に大金が転がり込んでくること請け合いだよ」
「はい、はい。分かったわ、分かりましたよ。私の〈ローレライ〉が売れるか全く自信がないけど、もし不正が行なわれていたんだったら北原さんも被害にあっていたことになるから、先輩の弔い合戦のつもりで仕事人仲間に入れてもらいますから」
「うん、有り難う。本当に助かるよ」
この仕事を受けた最大の理由に靖子も思い至り、本多は頼もしい仲間の出現とともに、事件解決が一気に加速する予感が湧いてくるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます