第2話

 原稿をあげた彼等は織田の紹介したい人との待ち合わせ場所である洋食屋へ向かう。その人は6時に洋食屋に来るというのだ。6時までは時間がある。二人は散歩をしながら時間まで待つことにした。松永は先日会った美女について、織田に妄想を含めながら興奮気味に話す。織田は笑顔でその様子を楽しげに眺めている。


 織田という人物は松永の小学校以来の同級生であったが昔から全く変わらない無邪気な松永の姿形を愛していた。それにより世間からは遠ざかっている存在の松永と同等に付き合うことができる友達として長々と付き合ってきたのだ。

 やがて、時間が近づいてくるにつれ松永の興奮はだんだんと冷めてきた。織田の紹介する人間には2パターンある。親しくなった女性か、松永のパトロンになってくれる男性の紹介か、である。松永は正直どちらでも良かったが、出来れば肩肘張らないで済む女性の方がありがたかった。


 洋食屋に入ると松永の目に、先日の縹色のワンピースが見えた。彼の心臓は鼓動の速度を増した。「もしかして、あの美人ではないか」そう、彼は期待した。ぱっちりと大きな瞳、小さな口、理想の君ではないか。その女に織田は声をかけた。松永の頬が朱色に染まる。その人が振り返る。切れ長の潤んだ瞳に華やかな唇、通った鼻筋に、つやつやとした黒髪を耳の辺りでカールを巻いている。彼の理想とは違う顔ではあったが、一般的には美人と呼ばれる類の女性だ。松永を見て立ち上がっだその人は身長が高く、あの日会った女性だと松永に確信させた。艶っぽい声で彼女は自己紹介をする。


 「はじめまして。藤堂鏡子と申します。小説家さんとお会い出来て光栄ですわ」

 会釈するその姿も美しい。アングルまで完璧だ。松永は理想とは違うが、このような美女が来るとは思ってはおらず、藤堂鏡子を独り占めしていた織田に若干の嫉妬すら覚えた。


 「鏡子さんはな、お前の小説のファン、だそうでな。俺とは付き合いがあるって言ったら是非紹介をと言われたんだ」

 「先生の小説の女性の表現の美しいことったら。以前ご発表された『素朴な生活』の佳代の姿の表現が巧みでありましたわ」

 松永は自分の小説がこんなに褒め殺しに合うのもくすぐったい気分であった。しかも、自分が会いたかった女性にである。だからこそ、彼は藤堂鏡子と話をし、幻滅されることが怖かった。彼にとって普段であれば女性と話すことは容易いことだ。しかし、今回は違う。彼には珍しくまごまごとしているのである。織田が眉根をひそめている。


 「おい、松永大丈夫か」

 「ああ……うん。松永と申します。こちら名刺です」

 「恐縮ですわ」

 ほっそりと長い指先が松永のペンだこだらけの無骨な手に僅かに触れる。そのほんの少しの触感でさえも彼の心音を上げるのに大きな役割を果たす。


 「あの……この間……軍港で夕陽が落ちるまで海を眺めていませんでしたか」

 「あらやだ。きっと私ですわ。最近は行ってなかったのですけど、海がとっても好きなの。先生は海に関するご本も多く出していらっしゃると存じますが」

 「ええ、私も海が大好きなんです……今度良ければ私と一緒に海に参りましょう。こう見えて私、スケッチも描いております。それを踏まえて小説を書いていますので、ぜひ」

「あら、嬉しい。是非ともよろしくお願いしますわ」

「おお、松永よかったな。ところで鏡子さん食事にしましょう。何を召し上がりますか」

 三人はテーブルにつき各々の食事を注文する。メニューを持つ鏡子の指先が松永にとって気になって仕方ない。あのほっそりとした滑らかな肌で触られたらどんな男でもたちまちに落ちてしまうだろう。そんなことを考えながら松永はコロッケ定食を注文した。織田は酒を飲むと薀蓄を語りたがり、自論を述べたがる癖がある。食事が進むにつれ、織田の癖が出てくる。松永は織田の論に深くうなづき反論するのがいつもの彼等の食事の取り方だった。しかし、今日は鏡子がいる。鏡子は織田の論にはにこにこと微笑み黙って聞いているが、松永が話し始めると、とたん反応し切れ長の目を丸くし、感嘆をするのだ。松永はその様子がほんの少しだけ誇らしくあった。あの鏡子がこちらを見てくれている、その優越感ともとれる感情が松永にとって織田に鏡子を紹介されたという事実を忘れさせるほどのものであった。やがて、織田が疲れ果てて寝てしまうと松永は胸にあった重い石を取り除くため、鏡子に話しかけた。


 「ところで、藤堂さん。織田とはどのような関係ですか」

 「鏡子でよろしいですわ、先生。織田さんとはお仕事を通じて知り合いましたの」

 「仕事。あなた、職業婦人なのですか」

 鏡子は軽やかな笑みを浮かべ、そのふっくらとした唇に人差し指をつけた。

 「秘密です。秘密は女を美しくしますから」

 そのとき、机に何かが落ちるような音が聞こえた。織田が、寝こけて頭を机に打ちつけたのだ。

 「あら、仕方のない方。私もそろそろ帰らないと。また後日、お手紙を差し上げてもよろしいでしょうか。先生とはまたお会いしたいですわ」

 「お送りしますよ」

 「いえ。私は自動車を拾いますから。それよりも織田さんをお送りなさってあげてくださるかしら」

 そうして、織田をおぶった松永と鏡子は別れた。

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