第11話 勧誘と夜遊び

 次の日の休日。彼は真白町にある"ニュアンス"というデパートで買い物をしていた。主に買うものは食材や部屋を飾り付ける雑貨。一人で黙々とカゴへ放り込んで、買い物をし終える。


「すいません」

 

 そんな彼に声を掛けてきたのは、水色の長髪の後ろにリボンを付けた女性。服装は猫の模様が載せられた長袖のワンピース。そしてその隣に桃色の長髪を持った少女。服装は和装に近いもの。


「この世界のこと、お兄さんはどう思う?」


 道を聞かれるのかと身構えていれば、聞かれたのは世界のこと。少女にそんな壮大な質問をされるとは予想外だったため、彼は「せ、世界?」とやや困惑してしまう。


「この世界には"ゆめ"がないなーって思わない?」

 

 彼は「夢がない?」と返答する。


「毎日毎日、目的も無いのに勉強して…! 毎日毎日、お金を稼ぐためだけに働いて…! ぜんっぜん"ゆめ"の無い生活だと思うでしょ! "あちき"は絶対にそう思う!」


 少女の言っていることに一理あるかもしれない。今の人間たちは夢を持ったところで、叶えられないとすぐに現実を見て、無難な選択をする者が多い。彼は「少しだけ共感できる」とやや賛同する。


「でしょ!? あなた、"あちき"たちと一緒に世界変えてみない!?」


 "あちき"という一人称のインパクトが強すぎて、彼は苦笑いをしてしまう。それに加えて、水色髪の女性が何も喋らずに見守っている姿がとても不気味だった。


「今、"あちき"たちは世界を変えるために活動してるの! "量産型世界"を"個性のある世界"に変えようっていう活動で…」


 ニットは宗教的な勧誘だと確信しながらも、「個性って?」と質問をする。


「え? 個性って…ほら、あちきみたいな?」

     

 間違っているようで合っている。彼は何となく納得をした素振りを見せていたが、少女の隣に立つ女性は「やれやれ」というように首を左右に振っていた。


「"皐月さつき"、ワタクシは前にも言ったはずです。どんな質問をされても、テキパキと答えられるようにマニュアルを読んでおきなさいって」

「覚えらんないよ! だってあんな辞書みたいに分厚い本の内容なんて、勉強より難しいのに!」

「みんな、ちゃーんと覚えているの。文句を言わずに今日も復習を二時間やりますよ」

「えぇー!? 嫌だぁ! あちき、遊びたーい!」


 ニットが立ち尽くしているのに気が付いた少女と女性は、顔を見合わせて頷けば、


「あちきたちの仲間になると遊び放題! 給料も出るし有給もありだよ! 土日も休みだし! 覚えることもそんなに多くないんだ!」

「どうでしょうか? 一度、お話を聞きにでもワタクシたちの教会に――」


 先ほどのやり取りを聞かれていないとでも思ったのか、とんでもない大嘘勧誘を再開した。完全にブラックな職場だと彼は察して、断りを入れようとした瞬間、


「あー…何をしてるんだ?」


 従姉弟の恋人である雨空霰が、ニットに声を掛けてきた。彼は「声を掛けられたから話をしていた」と霰に伝える。 


「…お前たちは一体どういう用件でこいつに声を掛けたんだ?」

「そんなの決まってるでしょ! "あちき"たちはこのお兄さんを勧誘――」

「ただの談笑ですよ。それでは、ワタクシたちはこれで」


 少女がそう言いかければ、それを遮るように女性が雨空霰に微笑みかけ、少女を連れてどこかへと去っていった。


「…あれが耳にしていた"宗教勧誘"とやらか」


 二人の後ろ姿を見つめている霰に、ニットは「知ってるのか?」と問いかける。


「まぁな。最近、真白町で宗教勧誘をする怪しい連中がいる…なんて話を聞いていた。まさかあんな年齢の少女までいるなんて予想外だったよ」


 雨空霰は大きな溜息をつきながら「よりによってお前が勧誘されるとはな」とこちらの顔を見てくる。ニットは念のために「ありがとう」と感謝の言葉を伝えておく。


「それにしても困ったもんだな。宗教勧誘は別に犯罪でもないから取り締まれない。あの連中が何かを企んでいることは分かっているのに、それをどうやって暴けばいいのか…」


 彼は雨空霰に「それが仕事なの?」と尋ねてみる。


「俺は『レーヴ・ダウン』という組織に勤めている。まぁ俺だけじゃなくて、村正や絢も同じ仕事だよ。勿論、お前の従姉弟の雫もだ。あいつからそういう話を聞いてなかったのか?」


 仕事に関して微塵も話をされたことがなかった彼は「全然知らなかった」と答えた。霰はその返答を聞いて「やっぱりか」と頷いている。


「お前には一応注意しておくが、"ナイトメア"という宗教家のやつらには気を付けろよ。"レーヴ・ダウン"は今現在あいつらに細心の注意を払って牽制をしている。俺がここにいるのも、あいつらが変な行動に出ないか見回りをするためだ」


 前日に"表ノ世界"と"裏ノ世界"へと訪れた際に、神凪楓やあの鳥が言っていた"ナイトメア"という言葉。それを雨空霰の口から聞いた彼は軽く頷いて「分かった」と了承する。


「どちらにせよ、さっきの二人には接触しない方がいい」


 雨空霰は見回りの続きをするために「じゃあな」と彼へ別れの挨拶をして去ろうとしたが、ニットはスーパーの袋から一本の缶コーヒー『BUSU』を霰に差し出す。


「…くれるのか?」


 彼はその問いに頷くと「仕事頑張って」と言いながら、その缶コーヒーを手渡した。


「…ありがとな。この缶コーヒーのカフェインで、少しは目が覚めそうだよ」


 霰はニットに感謝の言葉を述べ、見回りをしに向かい側にある歩道へと向かっていく。

   

『汝、宿命へ挑む力――"現実"の信頼トラストを得よ』


 脳内に響き渡る声。彼はスマートフォンを起動して、例のアプリを探してみる。


『虚栄ノ夢』


 そこには今まで名前が記載されていなかったはずのアプリに、しっかりとそう記されていた。ニットはそのアプリをタッチして、項目欄を確認してみれば、


 現実

 ランク1 第六感が少しだけ鋭くなる 

 ランク2 ―――

 ランク3 ―――

 ランク4 ―――

 ランク5 ―――


 そこには『第六感が少しだけ鋭くなる』と書かれた信頼トラストが増えていた。第六感は、五感以外のもので五感を超えるもの。「嫌な予感がする」というような、危険察知能力みたいなものだ。彼はスマートフォンをポケットにしまうと、夕陽が沈む時間帯だと気が付き、そのまま帰宅することにした。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 マンションへと帰宅をする最中、近くの公園の前を通り過ぎる際に足を止める。 


「……」 


 夕陽はとっくに沈んでいるのにも関わらず、ベンチへと座り込んでいる青年。彼はその姿に見覚えがあったのだ。


「…おおう、何だお前か」


 伊吹大智。ニットはベンチでスマホを弄っている彼に「何してるの?」と声を掛ければ、少々驚き気味に微笑む。


「ちょっと、な。ここで時間潰してんだ」


 彼は私服の姿。

 ベンチの側にはあのボロボロな黄色の自転車が置かれている。どこかへ出かけた帰りなのかと考えたが、その割に私服のしわがあまりにも少ない。ニットは「どうして時間を潰してるの?」と尋ねた。


「オレさ、おまえに言ってなかったけど…。昔っから、ずっっと"成績不振"なんだ」


 ニットはその言葉に首を傾げる。伊吹大智は最も優秀なクラスである三年一組に所属しているではないか。それなのに彼は"成績不振"と自称しているのだ。ニットは「でも三年一組にいるから頭が良い」と"成績不振"という言葉を否定をしてみた。


「それはオレのお袋や親父が学校側に頼み込んでるからなんだ。『大智はやれば出来る子だ』とか『クラスを下げないでくれ』とか」


 伊吹大智は俯きながらぽつぽつと喋り続ける。


「お袋たち、昔っからオレにとてつもなく"期待"しててさ。オレの将来の職は"医者"だとか"政治家"だとか、デッカイ夢ばっかり想像しちゃってよ。こんなに期待されるこっちの身にもなってほしいよな…」


 虚しい大智のから笑い。

 それをニットはただ黙って聞いていた。


「オレって小学生の頃は"神童"って呼ばれてたんだ。勉強も運動も、何もかもが完璧でいつも憧れの的だった。だからかな、お袋たちがここまで過度な期待をしたのは」

 

 幼少期に神童と呼ばれるほど、完璧な子供だったこと。誇れる過去のはずなのに、伊吹大智の表情は未だに曇り続けている。


「中学生までは上手くいったのに、高校に入ってから問題。本当に、何にも上手くいかねぇんだ。勉強も運動も、何もかもがダメで、落ちていくばかりで…」

 

 伊吹大智はそこで世界の広さを知った。自分はどれだけ狭い世界で威張り散らしていたのか。現実を見せられるかのように、何もかもが地に落ちてしまう。


「バスケ部の新藤良輔ってやつ、お前は知ってるだろ? 実はオレも元々はバスケ部でさ。去年の今頃は良輔に負けないよう、勉強知らんぷりで、必死にボールに食らいついてたんだ」


 そこで伊吹大智は勉学を捨てることにした。長所である身体能力をバスケ部で活かして、レギュラーを奪い取る。新藤良輔は良き宿敵ライバルとして、その座を奪い合っていたのだが、


「けどお袋たちに学業のことがバレちまって、部活動を辞めさせられた。オレはお袋たちに抗議したけど『部活も学業も完璧にしろ』とか言い出してさ。『レベルが違い過ぎてオレには無理』っつても『あんたはやればできる子』なんて便利な言葉使うんだ」


 完璧を求めていた伊吹大智の両親がそれを許さなかった。両立なんて不可能、彼は何度もそう訴えたのだが聞き入れて貰えない。こうして伊吹大智は部活動も学業もやり切れず、娯楽となることだけしか見えなくなった。


「そんで毎日毎日、お袋たちはオレのことで大喧嘩。……ほんっと居づらいよ」


 ニットは理解する。伊吹大智がこの時間帯に公園で時間を潰している理由。それは喧嘩をしている両親たちから逃げているからだと。

 

「…何かわりぃな。湿っぽい話をしちまって」


 彼は「大丈夫」と平気な顔を伊吹大智へと向ける。


「んじゃあこれから夕飯でも食いに…って、もうお前んちは夕飯決めてんのか」


 ニットは「良ければ食べに来る?」と伊吹大智の気分を晴らすために誘ってみた。


「いや、遠慮しとくわ。急に上がり込むのも申し訳ねぇし…」


 しかし伊吹大智はその場に立ち上がり、自転車の鍵を刺す。


「また今度食いに行こうぜ。それまでにオススメのラーメン屋でも探しておくからよ」


 話をして楽になったのか、大智は普段通りの笑顔を浮かべていた。それを見たニットは「楽しみにしてる」と返答し、そのまま再び帰宅路につく。


「…あいつ、やっぱいいやつだな」

 

 伊吹大智がニットの後ろ姿を見送り、自転車に跨って夜の街へと旅立とうとした時、


「こんばんは、少しいいですか」

「ん、何だ?」


 水色の長髪を持つ女性が彼に声を掛け、


「あなたはこの世界のこと――どう思いますか?」


 笑みを浮かべつつも、静かにそう尋ねた。


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