第10話 イデアとポータル

「何だ、この人たちは君の友達か?」

「…友達というよりは、顔見知りぐらいの関係よ」


 神凪楓は"スイカ"と呼んだ鳥にそう伝え、検査機の側に立っているニットと向かい合った。


「あんた、どうやってここに来たのよ?」

「その人がPASPOを持っていたんだ。わたしは"ナイトメアのスパイ"じゃないのかって疑ったのだが…」  

「それは無いわ。こいつは最近真白町に越してきたばかりで、ユメノ世界と連絡を取り合うような素振りも見せていなかった。何よりも致命的に少ない"創造力"が証拠よ」


 何事もなく会話を交わしている鳥と楓。その光景に雨宮紗友里は苦笑しつつニットへと視線を送る。彼は神凪楓に「ここは一体どこなんだ?」と尋ねた。 


「見ての通り空港よ。他の国へ飛ぶためのね」

「いや空港だけどさ~。今さっきまで私とニットは裏路地にいたんだよ~? そこからワープでもしない限り、こんな空港に来れないって~!」

「そうね。ここは現実世界じゃなくて"世界の裏側"に位置する"ポータル"だもの」


 ポータル。

 ニットと雨宮紗友里はそれを聞いて、二人で顔を見合わせる。


「おい、その話をこの人たちにするつもりか? 本当は"ナイトメア"だったりするかもしれないんだぞ!」

「このまま何も教えずに見逃したら、どんなことを表で口に出すか分からないわ。ここできっちりと話をして、変なことを言わないように口止めさせた方がいいのよ」

 

 そう喚くスイカに神凪楓は反論し、ニットと雨宮紗友里へ付いてくるように指示をした。彼は雨宮紗友里と共に、楓の後に続いて歩き出す。


「…まずは"イデア"について話をした方が良さそうね」

「イデア…?」

「簡単に言えば"理想"のことよ。"こういう人になりたい"、"こういう仕事に就きたい"。…みたいな"理想"のことをイデアと呼んでいるわ」 

 

 理想イデア。この言葉は自分がこういう過程を遂げて、このような状態に辿り着きたいという意味。ニットは「将来の夢みたいなもの?」と楓に尋ねてみる。


理想イデアと夢は似ているようで少し違うのよ」

「違うってどこらへんが~?」

「そうね。"白昼夢"ってどんなものか分かるかしら?」


 雨宮紗友里はしばらく首を傾げながら考え「分かんない」と清々しい笑顔を楓へと向けた。  


「…白昼夢は私たちが目を覚ましながら、現実から離れて何かを考えている状態のことよ。よくあるでしょ? 授業中に窓の外を眺めながら、『もし突然テロリストが乗り込んできて学校を支配したら』とか『もし突然化け物が現れて、自分に特別な能力が目覚めたら』って考えることが」

「あるある~! 私なんてそういうことを考えるのが日常茶飯事――」


 一人だけ盛り上がって共感する雨宮紗友里。彼女はニットと神凪楓が無表情で自分へと注目していることに気が付き「じょ、冗談だけどね~」と露骨な嘘をついた。


「…それが理想イデアよ。夢は努力をすれば叶えられるもので、理想はどうやっても叶えられないもの。そう覚えておくといいわ」

「なるほど! わっかりやすい~!」

「で、ここからが大事な話よ」


 連れて来られた場所は、眺めのいい展望台。

 二人はそこから見える光景を目にすると、言葉を失った。


「…なにこれ?」


 見渡す限り、様々な色に様々な模様の旗が掲げられている。青・赤・黄色・緑の色などに、縞々・水玉・ギザギザなどの模様。いくつあるのかと数えてみようとしたが、果ての見えない地上に無限に近い数の旗。すべて数え切るのは不可能だとすぐに諦めた。


「あの旗は"国旗"。人間たちにとっての"理想の世界"」

「理想の世界?」

「"理想イデア"が集合体となって創られた理想の世界。それを"ユートピア"と呼ぶの」


 ユートピア。"理想"を抱き続けることで生まれる世界。それは理想を抱いた本人にとっては"国"と同等の扱い。だからこそ"国旗"が立てられているのだろう。


「私たちが暮らしているのは"表ノ世界"。ああいうユートピアが創られるのは"裏ノ世界"。私たちはそう呼んでいるわ」

「へぇ~。色んな人がその"裏ノ世界"って場所で、沢山の国を作ってるんだね~」

「残念なことに、そんな呑気なことを言ってられないわよ」 


 感心する雨宮紗友里に、神凪楓はそう否定をした。


「つい最近まで、理想もユートピアもその人の頭の中で生まれて消えていく。それが常識だった。けれどその常識が崩壊してしまったのよ」

「崩壊した?」

「…これを見れば理解できるかしら」


 そう言って神凪楓は先ほどまで何も持っていなかった右手に、どこへ隠していたのかバスケットボールを取り出した。


「え、さっきまで何もなかったよね? マジックか何か?」

「これはマジックでも何でもない。私が自分の理想イデアを消費して創り出したのよ」


 神凪楓はニットにそのバスケットボールを投げ渡す。彼はドリブルをしたり材質を確かめたりしてみるが、どこからどう見てもただのバスケットボール。


「私たちが今いるこの場所は、"表ノ世界"と"裏ノ世界"の境界線。この理想イデアの力は、あそこに見える"裏の世界"にしか集まらない。けどそれがこの境界線まで浸食を始めているのよ」

理想イデアが増えすぎちゃった…ってこと?」

「その通りよ」


 彼女はそう言いながら、窓の向こうに立てられている無数の国旗へと視線を移した。


理想イデアがここまで急増したのは、"とあるモノ"が原因よ」

「"とあるモノ"って~?」

「あなたたちも使っているコレよ」


 神凪楓は制服のポケットから黄色のカバーを付けたスマートフォンの画面を二人へと見せる。


「それって、Sweepスウィップ?」  


 そこに写っていたのは、Sweepのログイン画面。二人は朝のホームルームが始まる前に、伊吹大智に勧められそのアプリをインストールし、アカウントを作成していた。


「人間たちの理想イデアが、溢れ出すまでに増えた原因は"インターネット"。ここが最も理想イデアを放出し、ユートピアを創り出すキッカケになるの」

「でもでも、ユートピアを創り上げて根本的に何がいけないの~?」

「そうね。勝手に自分の理想の世界を築き上げること自体は問題ないわ。ただ、人の"ユートピア"を故意で"ディストピア"へと変えて、"理想イデア"を収集しようと考える連中がいるというのが問題なのよ」


 神凪楓は真剣な眼差しを窓の向こうに広がる数多くのユートピアへと送る。 


「ディストピア…?」

「"他者を傷つけずに自身の理想が描かれた世界"、それがユートピア。ディスピアはその逆。"他者を傷つけることで自身の理想が描かれた世界"のことよ」


 ユートピアは『お金持ちになりたい』『異性からモテたい』などという他者に悪影響を及ぼさない理想の世界。それに対してディストピアは【復讐をしたい】【世界を支配したい】などといった他者に悪影響を及ぼす理想の世界。神凪楓はニットと紗友里にそう説明をした。


「人間たちの理想イデアが増えるキッカケを与え、それをかき集めようとする者たち。そいつらは"ナイトメア"と呼ばれる宗教団体。水面下で"表ノ世界"を支配しようとしているのよ」

「私たちの住んでいる世界を…?」

「えぇ、理想イデアを利用すれば容易い事よ」


 ユートピアは人々の理想イデアが混合することで生まれる。本来ならユートピアやディストピアは、裏ノ世界だけに存在するのだが、


「もし理想イデアが"表ノ世界"へと流出すれば、多くの人間たちのユートピアやディストピアが、表ノ世界へと創り出される」

「そんなことが起きたら、表ノ世界は――」

「お察しの通り、理想イデアを放り込まれれば、表ノ世界は"欲"と"理想"に塗れて文明が丸ごと崩壊するわね」 

 

 雨宮紗友里は息を呑んだ。ユートピアやディストピアが"表ノ世界"へと出没すれば、文明が崩壊するだけではなく、必ずそこに"争い"が生まれることになる。  


「ディストピアはユートピアと比べて、何十倍もの理想イデアで形成された世界。ナイトメアのやつらはそのディストピアへと侵入して、理想イデアを集めようとしているのよ」

「警察に言おうよ! ナイトメアの人たちを捕まえれば、何の問題もないは――」

「無駄よ。そんな話をしたところで厄介払いされるだけ。ナイトメアを止められるのは、『レーヴ・ダウン』か私やスイカだけなの」


 神凪楓は二人の顔を交互に見ながら、そうハッキリと断言した。彼女の瞳には、確かにナイトメアを止めようという強い意志を感じられる。


「運が良かったのはこの"ポータル"からユートピアやディストピアへと渡来できること。ナイトメアの企みを阻止するには、狙っている人物の世界に侵入して…。そこで理想イデアを収集している相手を倒せばいいだけ」


 楓はニットと紗友里の背後の方にある一つの扉を指差した。


「あれが出口ね。ここに来たこと、そして私から聞いた話。この二つは絶対に口外するんじゃないわよ」


 彼女は二人に注意喚起を促せば、来た道を引き返していく。ニットは「まだ聞きたいことがある」と後を追いかけようとしたが、神凪楓は立ち止まらずそのまま空港の奥へと去っていった。


「あはは~…なんか変な経験しちゃったね~?」


 言われた通り楓の指差したその出口を潜ってみれば、いつの間にか裏路地へと立っていた。雨宮紗友里は無理して笑いつつも、スマートフォンで時刻を確認する。


「今日はもう遅いし、帰ろっか」


 彼は「そうしよう」と肯定し、最寄りの駅である『紫黒駅』へと向かう。その日はそれ以降彼の身の回りで特に何か起きるわけでもなく、普段通りに夕食を取り、普段通りの時刻に就寝をするだけだった。

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