Luna:【バレンタイン】


 二月十四日。

 誰もが胸を躍らせるだろうこの日は、"バレンタインデー"。女性が男性に対して、親愛の情を込めてチョコレートを贈与する日。カップルの愛の誓いの日。様々な捉え方をされている。


「え~っと…? これを溶かすんだよね~?」


 私の名前は"雨宮紗友里あまみやさゆり"。真白高等学校に通う高校三年生。それと女子高生。女子高生。大事なことだから二回言いました。


(今年こそ、今年こそは絶対にこの気持ちを伝えるんだ…!)


 私が好きな人。その相手は同じクラスメイトの"雨空霰あまぞらあられ"という男子生徒。高校に入学してから、配属するクラスは三年間ずっと一緒。交流もそれなりに深い相手。私は彼に明日のバレンタインで"好き"という一言を伝えるために、現在チョコを作っている。


「姉さん。何やってるんだ?」


 そんな私に声を掛けてきたのは、義理の弟の月影村正。彼もまた三年一組で、私と同じクラスだが…。実際は弟という感覚の方が勝っているため、あまりクラスメイトという実感が湧かない。


「見ればわかるでしょ~!? チョコを作ってるんだよチョコを!」


 私は板チョコを銀のボウルに投入しながら、弟の月影村正を一喝する。どうやら寝起きのようで、欠伸をしつつも私の背後にある冷蔵庫を開けた。


「誰にあげるんだ?」

「それは内緒――」

「あぁ。霰にあげるのか」

「いや分かるんかい!」


 ツッコミを入れた私は、思わず前のめりにずっこける。その様子を見た村正は、イチゴ牛乳をコップに注ぐと、それを片手にリビングのソファーへ腰を下ろした。


「姉さんってさ。そういうの分かりやすいんだよ」

「そうかなぁ…?」

「アイツがたまたま鈍感だったから気が付いていないだけで…。他の男子だったら絶対に姉さんの気持ちに勘付いてるぞ」


 村正はテレビで放映されている報道番組を流し見しながら、スマートフォンを弄る。私は首を傾げつつも、板チョコの入った銀のボウルを熱湯の上に乗せた。

 

「そうだ! 村正って、霰と仲が良いでしょ~? 何味のチョコが好きなのか教えてよ~」

「"ただ"で教えるのか?」

「マメダのモーニングセット奢るから~!」

 

 私が情報収集に必要な対価を提示すると、村正は「仕方ないな」と条件を呑んでくれる。コイツは姉をも金づるにしようとするのだ。過程はともかく、結果としては不良と何ら変わりない。 


「アイツはそもそもチョコが好きじゃない」

「えっ!!?」

「理由は知らんが…。アイツは頑なにチョコを避けている。アレルギーだったりするのかもな」


 その情報は聞いたことがない。高校一年生から二年生の間、ずっと知らずに"義理チョコ"を渡し続けていた。私は板チョコの入った銀のボウルを、熱湯から即座に上げる。 


「本当にアイツのことを狙っている連中は、チョコなんて渡していない。主にマカロンやキャンディーを渡している」

「でも他の子はどうやってそんな情報を手に入れ――」


 私はあることに気が付き、ハッとした顔で村正に視線を送る。


「村正。まさかこの情報を既に流して…?」

「姉さんと同様に聞かれたからな。取引をしたうえで、その情報を教えてやった」

「ちなみに、何人その情報を手に入れようと…?」

 

 村正は空いている手で三本の指を立てた。そして私に人差し指を向け、その指の数を四本に変える。つまり私で四人目。私を除いて他に三人いたということだ。


「忠告だけしておく。姉さんよりも先に聞いてきた三人は――かなりガチだ」

「ガチって…?」

「姉さんの知らないところで、あらゆる恋愛フラグを立ててきている。もしこれがアイツ視点のギャルゲーだったら、間違いなくヒロインはあの三人になる。姉さんはただの"友人枠"になるだろうな」


 とてつもなく分かりやすい例えに息を呑んだ。"恋愛フラグ"というものは、結ばれるために必須な要素。私はそんなものを立ててきた覚えはない。


「い、今からでもその中のヒロインに入れるかな…?」

「どうだろうな。ただ他の三人は明日に全てを賭けている。姉さんと同じように"ソレ"を作ってな」

「草も生えないよぉ~!」


 私は身に着けていたエプロンを外して、ソファーへ横になる。村正はそんな私に哀れみの視線を向けていた。


「作らないのか?」

「だってチョコ作るための材料しかないもん~! また買い出しいかないとさぁ~!」


 そもそもチョコさえ作れない私に、マカロンやキャンディーなんて作れるのか。愚問、作れるはずもない。買い出しに出掛けたところで、無駄足になること間違いなし。


「哀れな姉さんだけに特別な情報を教えてやろうか?」

「え? なになに~?」

「"敵"の情報だ」

  

 村正はスマホを何度かタップして、クラスPINEの一覧を見せてきた。


「一人目の敵は雨氷千鶴うひょうちづる。冷静沈着・無表情・常識知らずの三拍子が揃ったヤツだ」

「あの子かぁ…」

「コイツ相手なら、まだ姉さんにも勝機はある。」


 雨氷千鶴。決して明るい性格ではないが、どんな時もクールな立ち振る舞いが一部の男子生徒の憧れとなっているらしい。しかし村正の言う通り、まだ私にもどうにか勝機が見えそうな相手だ。


「二人目は霜月咲耶しもつきさくや。三人の中で誰よりも"策士"だ。何を考えているか想像がつかん」

「狐の面の子かぁ…」

「コイツは言葉を巧みに扱うからな。ある意味、敵の中で最も厄介な相手だろう」


 霜月咲耶。常日頃から狐の面を顔に付け、素顔を隠している女子生徒。悔しいことに私よりもスタイルが良い。男子からの評判も私より高い。今まで言葉回しで勝てたことが一切ない相手。


「三人目が最も凶悪な敵だ」

「最も凶悪…?」

「姉さんの宿敵だよ」


 私は村正のスマホに映し出される一枚の写真を見て、唖然としてしまった。


「東雲、桜…」


 東雲桜しののめさくら。真白高等学校では"副生徒会長"を務めている女子生徒。その知名度と人望は校内の生徒たちだけではなく、校外の生徒にまで好評。所属するテニス部ではレギュラーとして、好成績を残し続けている。


「あいつかぁあぁぁぁーー!!!」  


 私は叫びながら、左右の拳で交互に何度かソファーを殴る。


「女子力、人望、純粋無垢な可愛さ。男子にとって高嶺の華。姉さんとは雲泥の差だろう」

「でも、アイツには負けたくないぃ…!!」


 東雲桜はどんな者にも優しく平等に接することで有名なのだが…。それは私を除いての話。


「姉さん。アイツに嫌われるようなことをしたのか?」

「してない! アイツは自分とキャラが被っているから、私に対して冷たいんだよ!」


 そう。東雲桜は私にだけ異様なほどに冷たい。明らかに私のことを嫌っている。だから私も東雲桜のことは嫌いだった。


「ていうかそれプリクラだよね!? なんで霰と二人で写ってるの!?!」 

「二人で出掛けたらしい。東雲桜から前に送られてきた」


 雨空霰の右腕に自身の両腕を絡ませ、距離はもはや"密着"の領域。満面の笑みを浮かべている東雲桜の表情は、まるで私のことを嘲笑うかのよう。


「わ、私はまだ二人で出掛けたことなんて…」

「姉さんは謙虚すぎるんだ」


 ソファーに置かれたクッションへ顔を埋めている私を他所に、村正はスマホを弄りながら立ち上がる。 


「だが運が良かったのは、霰があまりにも鈍感だという点だろう。恋愛フラグをいくら立てたところで、アイツは全く気が付いていないからな」

「そう、だけど…」

「後はすべて姉さん次第だ。これからどうするのかをよく考えた方がいい。俺は今から出掛けてくる」


 村正がリビングから出ていく。その後ろ姿を見送ることもないまま、私はしばらくソファーと一体化していた。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆



 ~バレンタイン当日~


「うぅ…。結局チョコしか作れなかった…」


 あの後、チョコ以外を作るために他の材料を求め、デパート"ニュアンス"に出向いた。けれど不幸なことに、求めていた材料のほとんどの在庫切れ。仕方なく事前に購入していた材料で、予定通りのチョコを作るしかなかったのだ。


「で、でも! "気持ち"を伝えることが大切だから…!」


 そう自分に言い聞かせ、手提げの鞄の中を覗き込む。そこに入っているのは黄色のハート型の箱。勿論、箱の中身は手作りチョコ。自分なりに上手くできたと自負している。


「おはよ~」

「おー。今日は時間通り起きれたみたいだなー」

 

 私は能天気でゲーマーな月影雅斗つきかげまさとに挨拶をする。


「ほい~! チョコあげるよ~!」

「サンキュー」


 事前練習として、彼に友チョコを渡す。雅斗はバレンタインデーに然程興味がないようで、私から受け取ったチョコはすぐに鞄へ放り込んだ。

 

「それよりもよぉー? "彗太"が"美玲"から本命チョコ貰ってたぜー」

「えぇっ…!? ほんとに~!?!」

「おいおいー。オレが嘘を吐くとでも思ってるのかよー?」


 想いを寄せていた相手から、本命チョコを貰ったという話。それを聞き、私も心の内で少しずつ焦り始めた。


「雅斗、これあげる」

「サンキュー千鶴」


 私に撮って敵の一人である雨氷千鶴が、雅斗にチョコを渡しに来た。包装からして恐らく"義理"だ。その証拠に彼女はチョコを渡すと、すぐに自分の席へと戻っていった。


「これで何個目なの~?」

「義理はお前からので四個目だなー」

 

 雅斗によれば、ゲーマー仲間の優菜。アニメ仲間の美玲。腐れ縁の千鶴の三人から貰っているらしい。私との関係性は偶々席が近かったから仲が良くなったというだけ。  

 

「カースト底辺のオレよりもさー。カースト上位の連中を見てみろよー」


 私は雅斗に言われた通り、カースト上位に食い込む者たちを一人ずつ確認してみる。


「零。チョコをあげますわ」

「まぁ、その、何だ…。お前にはそれなりに世話になってるし…。私からもあげるよ」

「チョコは正義だが…。それを貰ってしまう俺は悪だな」

  

 生徒会長の神凪零は、生徒会仲間である五人組の女子から一人ずつ受け取っていた。それ以外の女子にも渡されているのか。数個ほど机の上に置かれている。


「駿くん。その、チョコ作ってきたから…」

「あぁ、嬉しいよ。ありがとう。ホワイトデー、楽しみにしておいてくれ」


 学級委員の西村駿。彼の机の上には、神凪零とは桁違いなほどのチョコが置かれていた。カースト最上位のイケメン枠。東雲桜とタメを張れるほどの人望があるからだろう。


「晴樹。これは此方からの感謝の気持ちです」

「雨音様…。このクッキーは、おひとりで作られたのですか?」

「いいえ。あなたの姉である"癒衣"に作り方を教えてもらいました」


 校内一の紳士と呼ばれる男子生徒、神和晴樹。彼はよく共に行動をしている"白金雨音"からチョコを貰っていた。懐中時計の型をしたクッキーが、透明な袋に入れられているようだ。


「絢ー! わたしのチョコ食べてー!!」

「絢くん。ついででいいから、これも食べて欲しいな」

「皐月と智花ありがとな! ちょうど甘いものが食べたかったんだ!」


 クラスのお調子者、朧絢。彼もまたモデルとして活躍している内宮智花。そして子供っぽい紅皐月からチョコを貰っている。他の女子生徒からもまずまずの量を受け取っているようだ。


「ん、これ」

「何だ。お前がくれるのか?」

「つべこべ言わずに受け取りなさいよ! それと、ちゃんと"家で"食べるのよ!」


 私の義理の弟も神凪楓から唯一チョコを貰っている。不良のような見た目が故に、一目惚れをする女子生徒が多いだとか。しかし当の本人は"鬱陶しい"と感じていると前に愚痴っていた。


「……」


 私が想いを寄せている霰は、今のところ一つもチョコを貰っていない。それもそのはずで、彼は一般的な女子ウケはそこまで良くないからだ。あくまでも好意を寄せているのは、私のような変わり者のみ。


「あっれ? お前、なんにも貰ってないの?」

「うるせぇ。逆にお前は俺が貰えるとでも思ったのか?」

「俺と絢は思っていたぞ」


 絢と村正にからかわれている。その会話を盗み聞きしていたのは、雨空霰に好意を寄せている私を含めた四人だけ。


「やぁ玄輝。僕はチョコを一つ貰ったよ」

「はぁ!? 誰から貰ったんだよ!!」

「お母さんから」

「そんなの貰ったうちに入らねぇよ! お前はおれと同じゼロの立ち位置だ!」

 

 横から聞こえてくる雑音が耳障り。私は少しだけイライラしながら、村正たちの会話に耳を傾けていれば、


「おはようございます」

「あー? 霜月か」

「今日は何の日かご存知ですか?」


 霜月咲耶が雨空霰に接触を試みた。


「バレンタインだろ?」

「正解です。今日は男性に女性が『愛を伝える日』です」


 説明をしつつ、霜月咲耶は背後に隠し持っていたものを彼に差し出す。小さな袋に入っているのは"マカロン"。


「これは――"本命"です」 

「なっ…!?!」

「私はあなたのことを、心から愛しています」


 教室中に響く声量で、そうハッキリと告げる。その言葉は公然の場で告白をしたことと変わらない。私は思わず声を上げてしまった。


「……」

「それでは、返事を期待していますよ。私の最愛の人」


 伝えたいことだけを伝え、霜月咲耶は去っていく。霰は急な告白をされたせいで、呆然としていた。


「霜月、頭いいよなー」

「え?」

「本命チョコを渡すのは、あれぐらい早めの方がいいんだぜー。ああやって公然の場で告白して、マーキングができるからなー。もし霜月以外にも本命渡したいやつがいいたらさー。流石に気まずいだろー」


 村正から言われていた"策士"という言葉。それが見合うような先手を打たれ、私は表情を険しくさせる。


「…これ、本命」

「お前もかよ」

「食べたくなかったら…。食べなくていい」


 霜月咲耶に便乗するかのように、雨氷千鶴も青色の箱を霰に手渡す。誰も近づけない雰囲気を、"常識知らず"という性格で斬り捨てる。特に言葉もないまま、自分の席に戻っていく。  


「おおん!?! 何でわいはチョコを貰えんのやぁ?!」

「おう。キレやすいからだと思うぜ!」

「おおん。なんやて…!?!」


 後方で怒声が聞こえてくる。この三年一組は本当にやかましい生徒が多い。


(連絡、しないと…!!)


 人気のない場所で、一対一で、本命を渡す機会。私はそれを作るために、PINEで雨空霰へ『放課後の十八時頃。教室に来てほしい』というメッセージを送った。


『分かった』


 すぐに既読マークが付けられ、了承の答えが返ってくる。取り敢えずは自分の時間を確保できたと一安心する。


「もしかしてお前もついに本命を渡すのかよー?」

「ん~。どうだろうね~」

「おいおいー? 親友のオレに教えてくれてもいいだろー?」


 勝負は放課後。私は手提げの鞄に入れられた本命チョコを見て、想いを伝えてみせると強く決心をした。

 


 ◇◆◇◆◇◆◇◆



「うぅ…。緊張してきた~」


 約束の時刻まで残り数分。夕陽が差し込む放課後の教室で、私は本命のチョコを隠し持って、雨空霰がやってくるのを俯いて待っていた。


「……」


 一分が、一秒が過ぎるのがとても遅く感じる。この教室という空間だけ、現実とはかけ離れた世界なのではないか。そう思えてしまうほど、長かった。


「…!」

 

 教室の引き戸が開く。私はついにこの時がやってきたと顔を上げれば、


「おー。何やってんだよー? 居残りかー?」

「なんだ雅斗かぁ~…」


 雨空霰ではなく、月影雅斗がそこに立っていた。彼は忘れ物をしていたようで、自身のロッカーから水色の包装が施されている箱を取り出す。


「それなに~?」

「何でもないぜー」 

 

 余程見られたくないのか、ロッカーから取り出せば、すぐにその箱を鞄へ放り込んだ。誰かから渡された大切なチョコなのだろうか。 


「そういやさー。さっき体育館裏に霰と桜がいたぜー」

「え…?」

「チョコを渡していたなー。義理チョコにしては、かなり表情が硬かったぞー」


 時計を確認してみると、約束の十八時はとっくに過ぎていた。


(どうして桜を…?)


 訳も分からず、頭が混乱する。理解できたことは、私との約束を破ったという事実。私よりも桜を優先したという真実。隠し持っていた本命のチョコを、床に落としてしまう。


(そっか…。私なんか、霰の眼中にないよね…)


 思わず笑みがこぼれる。こんなに期待していた。こんなにも緊張していた私が馬鹿みたい。床に落ちている本命チョコを拾い上げ、教室のゴミ箱へ投げ捨てる。


「おいおい? どうしたんだよ?」

「ううん。何でもないから」

「おい待てよ――」


 教室を飛び出し、廊下を走り抜けた。悔しい、悔しい、ただ悔しい。何もしてこなかった自分を呪いたい。安直な考えで、この気持ちを伝えようとした自分を殴りたい。


(ああ、私って本当にダメだなぁ…)


 村正に言われた"謙虚すぎる"という言葉が、何度も脳内に木霊する。目的を見失った両脚は、私を校舎裏へと誘った。


「くやしい、なぁっ…」


 涙が止まらない。涙腺崩壊という言葉は、まさにこういう状態のことを言うのだろう。夕陽に照らされる校舎が真っ黒な影となって、私に覆い被さる。


「本当にっ…好きだったのにっ…」


 初めて異性を意識した相手。初めて好きだと想いを芽生えさせた相手。初めて"この人と一緒にいられたらどれだけ幸せなのか"と夢見た相手。あらゆる"初めて"が詰まった初恋は、自分の甘さのせいで儚く散ってしまった。


「…やっと見つけた」

「……?」


 その場にしゃがみ込み、泣きじゃくる私に声を掛けてきたのは、


「お前、何でこんなところにいるんだよ」


 私の初恋の相手――雨空霰だった。


「待ち合わせ場所は放課後の教室のはずだろ。それなのにこんな薄暗い場所で…」

「だって、だって…。霰は桜の約束を優先して…。私のことなんてどうでもよくなって…」

「確かに話が長引いたせいで遅れたが…。ほんの十分程度だ。それにお前だって、待ち合わせで時間通りに来たことないくせに」


 霰は私を無理やり立ち上がらせ、ハンカチを投げ渡す。


「その酷い顔を拭け。見てられない」

「…ズズッー!」

「ハンカチで鼻をかむな!」


 彼は溜息をつきつつ、左手に持っていたあるモノを私に見せてきた。 


「それ、私の…」

「その通り。教室のゴミ箱に捨ててあったものだよ」


 雨空霰は箱を開封して、中に並べられた月型のチョコを手に取る。


「食べ物を粗末にするな。ちゃんと食べてから捨てろ」


 そしてそれを自身の口の中に放り込んだ。


「あー…そうだな。そうだよこの味だ」

「…不味かった?」

「不味くはない。ただ美味しくもないな。どこにでもある平凡な手作りチョコって感じの味だ」


 酷評。村正が述べていた通り、彼はチョコを好んで食べることはない。私はその評価を受けて、何も言わずに項垂れる。


「…でもこの平凡なチョコをさ。一年に一度は食べないと、なんか締まらないんだよなぁ」

「えっ…?」

「お前の作るチョコって…。一年経とうが、二年経とうが、まったく変わらない味なんだ。他の女子たちが渡してくるものって…。どうも年ごとに味やお菓子の種類が変わって、口にしていられない」


 霰はあっという間に私の本命チョコを平らげた。不味くもない。美味しくもない。平凡で、質素なチョコレートをすべて。


「実は少しだけ不安だったんだ。今年はお前が"変わったもの"を用意するんじゃないかって。けど、お前はやっぱり俺の期待を裏切らなかったな」

「……」

「で、今年は何か言うことがあるんじゃないのか?」


 その通りだ。私には言わなければならないことがある。それを言葉にするために、自分自身を鼓舞しながら一呼吸入れる。


「私、霰のことが好きだよ」

「……」

「入学式で緊張している私に声を掛けてくれたあの時から――私はあなたのことが好きだった。ずっとずっと、霰にこの気持ちを伝えたかった」


 心臓が破裂しそうなほどに、鼓動が早まっている。顔も林檎のように真っ赤なのかもしれない。けれどここで言葉を止めるわけにはいかなかった。


「私は他の子より頭もスタイルも良くない。人望だって全然ないよ。でも霰のことが好きだって気持ちは、他の子よりも強いから」


 今まで積み上げてきた想いを、一つずつ吐き出していく。その行為がこんなにもスッキリするなんて知らなかった。私は胸のモヤモヤが晴れていくのを感じながら、最後にこう述べる。


「だから私と、平凡なチョコしか作れない私と――」 

「……」

「私と――付き合ってください」


 目を瞑り、頭を下げる。すべての命運が決まる瞬間。私は歯を食いしばり、霰の答えを待った。 


「その平凡さと、味と同様に何も変わらないお前がいてくれるなら」

「それって…」

「あぁ。喜んでその告白を受け止めるよ」


 私はその返答をされ、初恋の人に抱き寄せられる。今までの不安と緊張感が嘘のように吹き飛んだ。


「俺も、紗友里のことが好きだからな」


 私にとって初めての口づけは――少しだけ平凡なチョコの味がした。



◇◆◇◆◇◆◇◆



「…はぁ」


 月影村正は自室に置かれた大量の買い物袋を一望する。中には"チョコ以外"のお菓子を作るための材料が詰め込まれていた。


「世話の焼ける姉だ」


 PINEに残されたトーク履歴には、様々なお菓子の情報が送信されている。キャンディー・マカロン・クッキーなどといった"チョコ以外"の名詞ばかりだ。


「俺がしてやれるのはこれぐらいだ。後は本当に――姉さん次第だからな」


 恋のキューピッド。

 それは案外すぐ近くにいる――のかもしれない。



 



 おまけ

~三年一組~

 担任→白金 昴しろがね すばる

 副担任→四童子 有栖しどうじ ありす

 教訓→同害報復 


~科目教師~

 文系教師→妲己

 体育教師→黒金 鉄也くろがね てつや

 理系教師→小泉 翔 こいずみ かける

 生徒指導→ペルソナ&アニマ

 養護教諭→サヨ

 

~名簿手帳~

 01.霜月 終しもつき しゅう

 02.東雲 桜しののめ さくら

 03.西村 駿にしむら しゅん

 04.内宮 智花うちみや ともか

 05.柳 未穂やなぎ みほ

 06.白澤 来しらさわ らい

 07.秋風 趣里あきかぜ しゅり

 08.如月 栞太きさらぎ かんた

 09.長月 颯真ながつき そうま

 10.霧崎 真冬きりさき まふゆ

 11.神凪 零かんなぎ れい

 12.雨氷 千鶴うひょう ちづる

 13.黒百合 玲子くろゆり れいこ

 14.霜月 咲耶しもつき さくや

 15.柏原 瑞月かしはら みずき

 16.桂月 彗太かづき けいた

 17.柊 美玲ひいらぎ みれい

 18.松乃 椿まつの つばき

 19.雪風 麗香ゆきかぜ れいか

 20.木村 玄輝きむら げんき

 21.金田 信之かねだ のぶゆき

 22.神凪 楓かんなぎ かえで

 23.雨宮 紗友里あまみや さゆり

 24.月影 雅斗つきかげ まさと

 25.朧 絢おぼろ あや

 26.雨空 霰あまぞら あられ

 27.月影 村正つきかげ むらまさ

 28.卯月 葵うづき あおい

 29.紅 皐月くれない さつき

 30.波川 吹なみかわ すい

 31.鈴見 優菜すずみ ゆうな

 32.白金雨音しろがね あまね

 33.神和 晴樹かみより はるき



~コメント~

 これは、恋愛戦争という名の殺し合い週間…。女子からチョコを貰えぬものは死んでいく。どうやら、私はここまでらしい。 

 









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灰ノ雫 〜Noah et Luna〜 小桜 丸 @Kozakura0995

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