9:6 霞と自由

 

 点々と地面に広がる斑雪はだれゆき

 時計が午後十五時を過ぎた時間帯。リベロは自室で携帯ゲーム機を弄りながら、窓の外を眺めていた。向こう側に広がるのは白色の雪が静かに空からゆったりと落ちてくる光景。


「おー…今日は冷えそうだなー」


 リベロは机の上に置いてあるエアコンのリモコンを手に取って、暖房の温度を一度だけ上げる。彼は「外出するなど愚にも付かぬことだ」と言わんばかりに、ベッドの上で寝転がりながら携帯ゲーム機で新作のゲームをプレイし続けていた。


「リベロー! いるー?」

「…ヘイズか?」


 そんな彼の名を玄関の向こうで呼ぶのはヘイズ。

 リベロは携帯ゲーム機の画面を一時停止させ、玄関の扉を開けてみれば、


「おいおいー? お前は何を持ってんだー?」


 右手に白い箱を持ったヘイズが立っていた。

 彼女は清楚な印象を強く抱かせる私服姿。リベロはヘイズの私服や髪の毛に雪が付着しているのを見て、今さっきまで外出していたのだと察する。


「これは、ケーキだよ。ほら今日ってクリスマスでしょ?」

「おー、そういえばそうだったなー」

「この量は一人じゃ食べきれないし…リベロもどうかなーって」


 ヘイズが試しに白い箱の蓋を開けば、そこにはチョコレートケーキやモンブランといったスイーツが大量に並べられていた。確かにこの量をヘイズ一人で食べ切るのはキツイだろう。 


「おいおい、こんなに買うのはいくらなんでも食い意地が張りすぎだぜー」


 しかしいくらスイーツに心を奪われたとしても、ヘイズが自分の食べられる量を見誤って爆買いすることなどまずあり得ない。リベロはそんな些細な疑問を心の中で抱いていた。


「これを全部一人で食べるつもりだったのかよー?」

「ち、ちがっ…これはステラちゃんの分も考えて買ったんだよ…! でもステラちゃんはどこかに出かけちゃってて…」


 ヘイズの反応を見て、リベロはそれは嘘だと見抜く。彼は嘘を巧みに扱う傀儡師みたいなもの。嘘をつくのに長けているからこそ、相手の嘘を見破ることも容易いのだ。


「まっ、オレも甘いものが食いたかったしー! 食えないなら頂くぜー」


 だが例えそれが嘘であれ真実であれ、彼にとってはどうでもいいようなこと。甘いものが食べたい、という欲求があれば素直にそれに従うのみ。リベロはヘイズを自身の部屋の中へと招き入れて、机の上に置かれていた本やらお菓子のゴミやらを片付ける。


「私、リベロの部屋に入ったの初めてかも…」

「そうだったかー?」

「そうだよ。だって、いつもは私の部屋に来るでしょ?」


 規則正しい食生活など知ったことではないと主張するリベロの為に、ヘイズは度々自身の部屋に彼を招き入れて、手作りの夕食を食べさせていた。最初は「体調管理のため」にとリベロを招き入れていたはずが、そのうち彼女が呼ばずとも彼は勝手にヘイズの部屋へと夕食を食べに来るようになっていたのだ。


「てか、そろそろ自分でご飯ぐらい作ってよ」

「オレは料理ができないから仕方ないだろー」

「だーかーらー! 私が教えてあげるっていつも言って――」


 と彼女が言いかけたところで、リベロは白い箱の中からモンブランを手に取ってかぶりつく。ヘイズはだらしない彼に呆れながらも、キッチンから取り皿とフォークを持ってくる。


「久々に甘いもの食べたかもなー」

「食べるときは手を洗わないと駄目でしょ?」

「今日は一歩も外に出てないから平気だってー」


 自分の身のことなど、リベロは全く考えていない。彼は以前から「死んだらそこまで」という楽観的な思考回路を持っていた。そのような思考回路を未だに持っているせいか、食生活だけでなく睡眠や運動などといった生活習慣全体に悪影響が出始めている。


「今日は珍しく雪も降ってるし、外で散歩ぐらいした方がいいと思うなぁー」 

「外は寒いだろー? 寒いのに外に出たら風邪ひくぜー!」

「ほらでも、きっと雪が積もっていつもの景色がロマンチックになってたり…」

「ロマンチックな景色は4Kのゲーム画面でいくらでも見られるぞー」


 外へ何とか誘い出そうとするヘイズ。そしてペラペラと言い分を述べて、その誘いを拒み続けるリベロ。二人はケーキを食べながらも、そんな攻防をひたすらに続ける。


「私は外出した方がいいと思うなぁー!?」

「そうかー。じゃ、行ってこいよー」

「ど、どうやっても外に出ないつもり?」

「おー、出たくないからなー」


 ケーキをある程度貪り終えたリベロは、カーペットの上で横になって携帯ゲーム機を弄り始めた。せっかくのクリスマス、せっかくの雪景色。けれども彼の興味は"ケーキ"と"ゲーム"ばかりに向けられる。


「…リベロって」

「んー?」

「リベロって私のこと、どう思ってるの?」


 背を向けられたヘイズがふと口に出した問いかけ。それを耳にしたリベロはゲーム機の画面から目を離すことなく、


「子供の頃からの"幼馴染"だと思ってるぜー」


 そう簡潔に返答した。

 友人でも親友でもない、幼馴染という関係性。それはリベロにとって揺らぎようのない事実であり、いつまで経っても変わりようのないことだった。


「…幼馴染」


 彼女はその返答を聞くと、ケーキに突き刺していたフォークを引き抜いて静かに取り皿へと置く。


「私たちってこの先もずぅーっと幼馴染のままだったりして…」

「おー、そうかもなー」


 憂愁に閉ざされているヘイズの様子に気が付かないリベロは、ゲームに集中しているせいかテキトーで呑気な返事をしていた。


「…嫌、だな」

「んー? 何か言ったかー?」

「このまま幼馴染としてリベロの側にいるのは…嫌だなって」 

 

 彼女のその言葉に、思わずリベロも手の動きを止めてしまう。


「エデンの園で久しぶりに会えた時、私はずっとこう思ってたの。昔のリベロは…"雅斗まさと"は消えちゃったんだって」

「おいおい、名前で呼ぶなよなー」

「でも本当は違った。雅斗は"リベロとしての自分"を今まで演じ続けていたんだよね? 本当の自分を見せないように、自分自身を"嘘"で固めてたんでしょ?」

 

 ヘイズの幼馴染であるリベロの本名は月影雅斗つきかげまさと。彼女は本当の名で彼を呼び、自身の憶測を語り続けた。


「何言ってんだよー? そんなはずないだ――」


 そう言いかけた途端、彼女は背を向けるリベロの左腕を掴んで強引に自身の方へと引き寄せる。


「いててっ! 何すんだー!?」  


 左腕を強く握られたリベロは、ヘイズの手を振り払いながら身体を起こし、視線の矛先を彼女へと向ければ、


「…ヘイズ?」


 二重の瞳から涙を流すヘイズの姿が目に入る。

 幼馴染に泣かれたことなど何十年ぶりかの経験。リベロは過去に見飽きるほど目にした幼い少女の面影をヘイズの泣き顔と重ねてしまい、ただただ見つめることしか出来なかった。


「雅斗は、どうしてっ…」

「……」

「どうして私の前でも嘘の自分を演じ続けるのっ…!!」


 彼女は誰よりもリベロと肝胆相照らす仲だと思い込んでいた。だからこそ、リベロがいつの日か自分の前で本当の姿を見せてくれる。嘘で塗りつぶされた本当の心情を見せてくれると信じていたのだ。


「お、おいおい…? それはオレ一人の問題だろ? お前がそこまでして怒るようなことじゃ――」

「見栄を張っている雅人を側で見てきた私が…どれだけ辛かったのか分からないの…!?」

 

 月影雅斗がリベロというもう一人の自分を演じ続けること。それに関してはヘイズも百歩譲って黙っていることが出来た。しかし彼が辛い想いをしているのに、心の支えになるべき幼馴染の自分が何もしてやれない現実。そのせいで焦燥に駆られる日々を送っていた。


「私を頼ってよ、私を信じてよっ…! 私に、"リベロ"を支えさせてよ」


 このままでは自分の立つ瀬がない。そう泣き言を並べるヘイズにリベロは大きな溜息をつくと、


「…ヘイズ、お前って昔からそういうところあるよなー」

「えっ…?」 

「変に気を使ってさー。こういうのは"余計なお世話"っていうんだぜー?」


 本心を曝け出した彼女に「余計なお世話」という棘のある言葉を投げかけた。


「オレは無理なんてしてないぜー。お前が勝手にそう思い込んでいただけだろー?」

「――」


 不安・優しさ・思いやり…ヘイズはリベロに対する様々な感情を表に出したのにも関わらず、彼はまるで"面倒ごと"でもあしらうかのような反応を見せたのだ。これにはヘイズも怒りの一線を通り越して、何も考えられなくなってしまう。


「それよりもお前の方が心配だぜー。オレのことよりも、自分のことを考えた方がいいんじゃねぇかー?」

「そんな…こと…」

 

 ヘイズの頬を伝わる涙が、心のうちに潜む恋情が、積み重ねてきた何もかもが画餅に帰す。感情の高ぶりで熱くなっていた身体も、徐々に冷えていく。


「ねぇ、私と雅斗はもうこれ以上の関係に――」

「オレとお前は"幼馴染"だぜー。"それ以上"にも"それ以下"にもならないぞー」 

「――!!」


 彼女はリベロの口からそれを聞くと、その場にゆっくりと立ち上がる。


「……」 


 何も、喋らない。

 何も、考えられない。


「…体調が悪いから、自分の部屋に帰るね」


 がっくりと首を垂れた状態で、部屋から出ていくヘイズ。


「おー、ちゃんと温かい恰好で寝ろよー」


 いつものテキトーな言葉で見送るリベロ。


「……バイバイ」 


 玄関の扉が閉まる音が聞こえれば、室内は携帯ゲーム機の機械音のみが小さく響く。


「すまんなあおい。幼馴染以上の関係にはこのエデンの園では築き上げられないぜ。もしそれ以上の関係に踏み込んだ後、この先オレが死んだら…お前は耐えられず自殺しちまうだろ」


 彼にとって幼馴染である卯月葵うづきあおい

 彼女が述べていたことはすべて図星だった。


「オレはこのエデンの園で雅斗として生きられない。リベロじゃないと駄目なんだ」


 このエデンの園へ連れて来られた時、生き延びるために楽観的で見通しが甘い"リベロ"というもう一人の自分を演じることにした。いつ死んでもいい、いつ殺されてもいい、そんな考えを常に持ち続け、"緊張"を強引に和らげていたのだ。


「オレが"Libero自由"な世界にした後は――」  

 

 全ては彼女の為を想っての判断。

 嘘で塗り固められた表情で、言葉で、感情で最後の最後まで騙し通した。 


「――幼馴染を卒業させてやるからさ」


 水滴が付着しHaze霞む窓の向こう。

 彼は見通しが立たない窓の先へとそう雄弁に物語った。

 

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