9:5 そよ風と勇気

 朔風にロングスカートを揺らされつつ、アウラは一人で教会へと訪れていた。彼女にとってクリスマスという日は、普段通りの日常と変わらぬ日。いつも通り昼過ぎ頃に教会へと顔を出して、礼拝をするという日課をこなす。


「…あら?」


 しかしその日は少しだけ違った。祭壇に最も近い最前列の長椅子に見覚えのある後姿が見えたのだ。


「そこにいるのはヴィルタス、かしら?」

「…アウラか」


 側まで歩み寄れば、随分とヴィルタスの顔がやつれているように見える。アウラは何かあったのだとすぐに悟り、対称にある長椅子へと腰を下ろした。


「珍しいじゃない。あなたが教会に顔を出すなんて」

「色々と、あったんだ」


 ヴィルタスがここまで思い詰めている姿を初めて目の当たりにしたアウラは「…話ぐらい聞くわよ」と、少しでも彼の苦しみを和らげようと試みる。


「それが…ウィザードに先を越されてな」

「先を越された?」


 仲間の名前が挙がり、アウラは眉をひそめた。只事ではないのかもしれないという不安。それを募らせながらも、次にヴィルタスが口に出す言葉を待っていれば、


「あぁ、あいつにブライトを奪われたんだ」

「は?」

「…正確にはブライトがウィザードを選んだのかもしれないけどな」

「はい?」

 

 色沙汰の話が口から飛び出したことで、アウラは二度聞き返してしまった。ヴィルタスによれば、昼前にショッピングモールで腕を組みながら歩いているウィザードとブライトを見かけたようで、


「はぁ、こうなるのも当然か」


 距離がより親密になっている二人の姿。それだけで全てを理解し、ヴィルタスはその場に居ても立っても居られず、闇雲に走り続け教会へとやってきたらしい。それを渋々と説明されたアウラは呆れ顔で彼の横顔を眺める。


「残念だったわね。神はあの二人を大いに祝福しているわ」

「神はともかく、お前は心の中でほくそ笑んでるんだろ」

「否定はしないわ」

「そこは否定しろよ」


 ヴィルタスがアウラの返答に頬を引きつる中、彼女は長椅子から立ち上がり祭壇の前に立っていた。


「いい人が見つかるように祈っておいてあげるわよ」


 両手を胸の前まで運び、誰もいない祭壇に向かって祈りを捧げる。 


「それは神に祈ってどうにかなるものなのか?」

「…なるわよ」

「そんな自信がどこから湧いて出てくるのか教えてほしいものだな」


 ため息交じりにそう呟くヴィルタス。アウラはその小言を耳にしながらも祈り終え、振り返ってヴィルタスと視線を交わす。


「彼女のどこが良くて惹かれたの?」

「それはブライトのことか?」

「そう。少し気になってね」


 アウラに「ブライトに惹かれた理由」を尋ねられ、記憶を遡りながらぽつりぽつりと一単語ずつ良いところを述べ始めた。


「明るくて、一生懸命で、こんな俺を気にかけてくれて…とにかく色々だ」

「…それじゃあ、落ち着いている人はあんまり好みじゃなかったりするのかしら?」

「ん? それは相手次第じゃないか? 俺はそういう単純な個所で惹かれない」

「ならどこで惹かれるのよ?」

 

 ヴィルタスはアウラに質問攻めをされている自分の状況に疑問を抱きつつも、無意識のうちに一番重要視している個所を考える。


「多分、俺のことを"誰よりも見てくれている人"…に惹かれるのかもな」

「あなたのことを、誰よりも見ている人?」

「ああ。俺が路頭に迷っても必ず引き戻してくれる。そんな人が心の支えになってくれるんだ」

 

 アウラはその返答を聞いて、何やら考える素振りを見せた。


「…って俺はやけになって何を話してるんだ。悪いがこの話はここで終わりにしてくれ。俺が恥ずかしいだ」

「最後に、一つだけ聞かせてほしいことがあるわ」

「まだあるのか…?」


 我に返ったヴィルタスに、アウラは"最後に"と質問をしようとする。彼は「これで最後だぞ」と釘を刺し、彼女の次なる問いを待った。


「私は、あなたのことをちゃんと見れていると思う?」

 

 最後の質問となるのは、ヴィルタスの視点からアウラがどう見えているかに強く関係するもの。彼は予想の斜め上の質問に対して、長椅子に座りながら硬直してしまう。


「どうして突然そんなことを聞く?」

「…何となく、よ」


 何かを必死に伝えようとしている。何かを必死に気が付かせようとしている。傍から見ればそれを察することができるのだが、ヴィルタスはそのようなことに一切気が付かないまま、


「どうなんだろうな。見れているようで、見れていない…みたいな感じじゃないか」

「何よそれ?」

「いや、俺にも分からない」

「もう! 真面目に答えなさいよ…!」


 曖昧な返答をして、アウラを不機嫌にさせてしまう。ヴィルタスはそれでもまだ気が付かず、「そんな怒鳴ることか?」と首を傾げていた。


「当たり前でしょ…! あなたの返答次第で、私の祈りが届くか届かないかが決まるんだから!」

「届くか届かないかって…。お前は何の祈りを捧げたんだ?」

「そっ、それは…」


 それを尋ねられたアウラは視線を逸らして口を閉ざす。そこでやっとヴィルタスはアウラの様子が少しおかしいことに気が付き、


「お前、何か俺に言いたいことがあるんじゃないのか?」


 彼女の核心を突く問いを投げかけた。

 

「別に…」 

「あるなら早く言えよ。気になって眠れなくなるだろ」

「言えるわけが…」

「言わなきゃ今の俺みたいに後悔するかもしれないぞ」

  

 アウラはヴィルタスに急かされたことで何かを決意したのか、自身の両手を胸の前まで持っていく。


「…わ、私じゃダメなのかしら?」

「…ん? 何て言ったんだ?」 


 顔を見せないよう俯きながら掠れた声で呟くため、上手く聞き取れずヴィルタスは彼女へ「もう一度言ってくれ」と聞き返した。

 

「わ、私じゃダメなのかって聞いてるのよ!!」

「ダメなのかって…何が?」

「それは、その、あなたにとって、特別な人に…」


 頬を赤らめ、必死に紡ぎ紡ぎで言葉を伝えようとするアウラ。彼はそんな彼女の姿を見て、言葉を聞いて、思考回路が停止してしまう。


「…あなたがブライトに対する片想いが叶わなかったって聞いたとき、正直少しだけ嬉しかったの。だってあなたは死のうと思っていた私を止めてくれた――"神様みたいな人"だから」

「お前…」

「私はずっとあなたが側にいてくれることを、神様が側にいてくれることを祈ってきた。叶うならば、永遠にあなたと過ごせるような日々を送りたくて…」


 アウラが今まで祈り続けてきた神様。

 それは紛れもないヴィルタス。自身の自殺を阻止し、救ってくれた存在。彼女はそんなかけがえのない神様と永遠にいられるよう今日もこうして祈りを捧げていたのだ。


「でも、私じゃダメよね。私はブライトみたいに明るくない。私はブライトみたいに一生懸命じゃない。私は、ブライトみたいに"あなたのことを見れていない"」


 しかしそれは叶いようがないとつい先ほど現実を突きつけられていた。自身とは真反対のブライト、そんな彼女を理想としていたヴィルタスには振り向いてもらえない。精々、愚痴を語り合える友人程度の関係までだと。


「それに私はあなたに与えられてばかりで、私からあなたへ何も与えられていないわ。そんな不平等な立場で…つり合うはずがなかったのよ」 


 所詮は何かを与えられる神様と、何かを与えられる人間の関係止まり。決してその立場は平等なものとして捉えられるはずがない。アウラはブライトと自分の大きな差、ヴィルタスの心の支えとなれていなかったという事実。それを実感してしまい、彼女の積み重ねてきた祈りは無に帰した。 


「ただでさえ私の罪を背負ってもらっているのに…一歩踏み出した関係になれるなんて考えていた私が甘かったのね。ごめんなさい、ヴィルタス」

「…待てって」

「私はあなたが大切な人と巡り合えることを祈り続けるわ。だから私とはこれからも友人でいてくれると嬉し――」 

「待てって言ってんだろっ!!」


 教会内部にヴィルタスの声が響き渡れば、その場は静寂に包まれる。


「お前は何を言っているんだ? 俺はそこまで変な目で見られているとは思わなかったぞ」

「変な目じゃないわ! あなたは私にとっての神様で…」

「俺は神様じゃない。俺はヴィルタスだ」


 ヴィルタスは長椅子から立ち上がり、アウラが胸の前で合わせている両手を右手で強引に解いてしまった。  


「それに俺は祈られるような立派な存在でもない。お前と同じ、祈る側の人間に過ぎないんだ」

「…私にとって救いの手を差し伸べてくれたのはあなたでしょ? 私に命を与えてくれたのもあなたで、私が祈るべき相手も――」

「ちげぇよ…! 祈るんじゃない、お前がするべきことは――」


 ヴィルタスは彼女の両手を自分自身の胸に押し当て、


「――人としての俺を信じることだろ!!」

「……!」


 アウラにそう強く訴えかけた。

 

「祈らなくていい、与えてくれなくてもいい。ただ、俺を信じてくれればそれでいいんだ…!」

「神様――」  

「ヴィルタスだ!!」


 彼女の頬を両手で押さえて、自分の瞳で真っ直ぐアウラの瞳を見つめる。


「俺は確かにブライトが好きだった。でもウィザードに先を越されても怒りは込み上げてこない。むしろ俺は相手があいつで安心したよ」

「安心? どうして…?」

「それはあいつなら必ずブライトを幸せにしてやれるから、守ってやれるから。何よりもウィザードが信頼できる俺の"親友"だからだ」


 ウィザードとはよく喧嘩をする仲だが、それは裏を返せば仲の良さを表していた。二人は信頼関係を築き上げているからこそ、何度喧嘩をしても共にいられるのだ。


「それにお前は俺とつり合わないと言っていたが…こうとも考えられないか? ウィザードが守るべき相手はブライトと既に初めから決まっていて…俺が守るべき相手も既に決まっていたりするかもしれない、と」

「…!」

「俺はやみくもに走ってここに辿り着いた。これが仮に神のお導きなら、俺がお前とここで会うのも必然だったんじゃないか?」


 アウラは少しだけ恥ずかしくなり、ヴィルタスから大きく視線を逸らそうとするのだが頬を押さえられていることで、わずかしか視線を動かすことができない。


「俺には守り抜きたい人が元々二人いた。一人がブライトでもう一人が――お前だ、アウラ」

「私があなたにとって…そんな存在に?」

「ああでも、一人はウィザードに任せることにした。これで俺にはもう一人しか残されていないな」


 ヴィルタスは彼女の顔の目前まで自身の顔を近づけて、


「俺にお前を守らせてくれ、アウラ」

「んっ…」


 長いようで一瞬のひと時に感じる。

 そんな口づけを交わした。


「これからカッコ悪いところを何度も見せるかもしれない。それでも、お前になら不思議と見せられる気がする。むしろ見てほしいぐらいだ」

「…私も、同じ気持ちよ」


 お互いに未だ気恥ずかしさがあるのか口づけを交わした以降、顔を真逆の方向へと向けたまま会話を続けている。


「ちなみにだが…俺の名前は長月ながつき颯真そうまっていうんだ」

「ちなみにだけど…私の名前は雪風ゆきかぜ麗香れいかよ」


 顔は未だに合わせてはいないが、雪風麗香の右手と長月颯真の左手は自然と結ばれていた。


「あんな大胆なことをした…俺のVirtus勇気を称えてくれよ麗香」

「颯真、私にできるのはAulaそよ風程度の言葉で恥を癒すことぐらいよ」

「お前が死ぬほど恥ずかしい目に遭うように、俺が神へ祈っておいてやるよ」


 再びいつも通りの皮肉の言い合いが始まる。しかし彼と彼女の間には今までになかった確かな感情を撫育する――そんな純粋無垢な愛が芽生えていた。

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