0:2 救世主は教皇と同調する

 

 数分の間、二人は引きずられながらただ無言で記憶を取り戻そうと試みていたが、それらしきことはまったく思い出せない。そんな二人の事を引きずっている男性は、突然静かになった彼らに対してこんな質問をする。


「お前たちの"アダムネーム"、"イヴネーム"はなんだ?」

「…アダムネームとイヴネーム?」

「そうだ。始業式の日までに決めて、申請をしておけと言っただろう。さっきから救世主メシアやら教皇ポープやらで呼んでいるが、お前たちのネームはそれなのか?」

「いえ、違いますけど……」


 勿論二人にはイヴネームとアダムネームを決めろなどと言われた記憶はない。

 どんなに過酷な逆境を乗り越えてきた救世主と教皇にも、このような事態に遭遇するのは初めてのこと。状況を知りたくても、二人が知る唯一の情報は二千年後の世界ということのみ。どれだけ考えても埒が明かなかった。


「ほら着いたぞ!」 


 彼女らは身なりを整えさせられ、頑丈に作られているであろう扉を開いて中へと入る。

 目に入った光景は、二人と同じ制服を纏っている若い男女の生徒たちが整列する姿。二人は男性に連れられるがまま、受付らしき場所へと向かう。


「ここで早くネームの申請をしろ! みんなを待たせているんだぞ…!」


 受付の女性に一枚の紙とボールペンを渡され、二人は顔を見合わせた。そこには何かしらの番号を記入する欄とネームを記入する欄のみが載っている。ネームも番号も分からない二人はどうしようかとペンを握りながら困り果ててしまう。


「番号なら左に掲示されているところに書いてありますよ」

「あ、ありがとうございます」


 受付の女性に案内をされる。よく見てみればその女性も待ちくたびれている男性と同様に「Sayoサヨ」と書かれた灰色のプレートらしきものを胸に付けていた。


(…プライバシーもくそもないなこれは)


 大きく貼り出された紙を見上げてみると、そこにはそれぞれの生徒の顔写真と一緒に学籍番号らしきものが書いてある。どうやらこの学籍番号を申請書に書けばいいらしい。


(SクラスからZクラスまであるのか)


 上からSクラス、Aクラス、Bクラス、Cクラス、Zクラスという順番で並べられている。二人は一番下のZクラス。学籍番号は彼が17ZM003で彼女は17ZP004。それらを記入欄に書き終えると残りはネームを決めるのみとなる。


「すいません。アダムネームとイヴネームの違いって何ですか?」

「ええっと、男性はアダムネームで女性はイヴネームという分け方をしていて…」

「ああ、なるほど。助かりました」


 人類の始祖であるアダムとイヴ。旧約聖書にそんな話が載っていたな、と彼は大きく頷いて納得をした。

 

「アダムネーム、か」

「あだ名を書けばいいんじゃない? …あっ、ごめん。友達がいなかったっけ~?」

「あぁ。友達はお前に皆殺しにされた気がする」

「あれ、そうだった?」


 二千年前は友達と呼べる人物は大抵横で立っている教皇に殺されてしまったが故に、気軽に呼んでもらえるあだ名すら付けてもらえなかった。それに加えて生まれてから死ぬまで一生救世主と呼ばれていたので、それが一種のアダムネームかもしれない。


「ならお互いのネームを考えるってのはどう~?」

「俺とお前で?」

「うん」


 確かに殺し合っていても何十年以上の付き合いだから、お互いに印象はそれなりに抱いているはずだろう。彼はそう考えたうえでその意見に賛成すると、手に持っていた申請書を彼女と交換した。


(こいつの印象は…まぁあれしかないよな)


 二人は数秒足らずですんなりとお互いのネームを書き上げる。最初からこうすれば良かったのかもしれない、と彼はその紙を彼女と再び交換してまずはアダムネームの欄を見てみれば、

 

「『Noahノア』?」


 ノアの方舟という旧約聖書の創世記に記される人物。神が人類の堕落を怒って起こした大洪水。神に正しき命として選ばれたノアは、下された予言通りの箱形の大舟をつくり、家族と雌雄一対のすべての動物を引き連れて乗り込んで、人類や生物を救った・・・


「何でノアなんだ?」

「限られた命しか救わなかったからかな? すべてを救おうとはせず、自身とは関係のない命を捨てていた。なんかノアとそっくりだな~って」

「それは皮肉か?」

「さぁね~?」


 今度は教皇が自身の申請書へと視線を降ろす。

 そこに書かれている文字を見て、右寄りに首を傾げた。

 

「【Malusマルス】ってどういう意味だっけ?」

「あー…邪悪、破壊的、醜い、不運――」

「ねぇっ!? 私はちゃんと遠回しに皮肉を込めたんだから、悪口をそのままぶつけてこないでよ!!」

「やっぱり俺のアダムネームも皮肉じゃねぇか!?」


 嫌だ嫌だと駄々をこねる彼女を前にして、彼は仕方なく教皇が手に持っていた申請書を奪い取り、


「ほら、これでいいか?」 

「――【Lunaルナ】。月ってこと?」

「そうそう。ヨーロッパの伝統で月は"人間を狂気に引き込む"って言われているらしいからな。英語の"Lunaticルナティック"って気が狂っているという意味だし、ピッタリだろ」

「…気に食わないけど、さっきよりはマシかな」   


 すべての欄を埋めた二人は受付係であるサヨに提出をする。二枚の申請書を受け取ると、カタカタとキーボードで何かを打ち込んで、


「それではこちらがお二人のネームプレートです。大切なものですので失くさないように」


 無色のネームプレート二つを手渡してきた。一つは『Noahノア』と刻まれ、もう一つは【Lunaルナ】と刻まれたもの。二人はそれぞれ自分のプレートを胸に付けて、お互いに顔を見合わせる。


ノア・・。これからはそう呼ばせてもらうね」

「俺もそうするよルナ・・。これで俺もお前も仮の名前で呼び合う仲だ」 


 そして、二人は笑顔を浮かべながら握手を交わした。

 友情が芽生えた、と誰しもが思うであろうこの状況は、

 

「あはは~…少し力を込めすぎじゃない? ノアくん?」

「おいおい、そういうお前こそ見た目とかけ離れた馬鹿力で握ってるよなぁ?」

 

 ただ単に力比べをしているだけ。二人とも仲良くしようなどという気は微塵もないのだ。 


「それと、こちらの"ジュエルペイ"という腕時計も」


 次に渡されたものは小さな宝石が一つだけ埋め込まれた腕時計。宝石に少し触れてみれば、付属されている画面に時間や連絡先やらが表示された。


「詳しい使い方については後ほど説明されますので、指定された位置へ並んでください」

「色々とありがとうございます」

「…いえ、私は勤めを果たしているだけですので」


 彼は受付係のサヨに感謝の言葉を述べるが、視線を合わせてもらえない。


「二人ともこっちだ。テキパキと行動しろ」 


 待っていてくれた紺色のスーツを着た男性に連れられて、Zクラスの最後列に二人とも並ばされる。それと同時に体育館全体に声が響き渡った。


『それでは、始業式を始めます』


 長めの銀髪をなびかせながら一人の男性が壇上に上がる。その壇上の左右にはそれぞれ黒いローブと白いローブを纏い、仮面を付けた人物が玉座らしきものに腰を掛けているようだ。


「えー、ゴホンッ…」


 目を凝らしてみてみれば、長めの銀髪の男性の胸に付けられた白のネームプレートには「Zeruchゼルチュ」という文字が刻まれていた。そして黒いローブと白いローブの人物の無色のネームプレートに刻まれた文字は見た目のままで、『Personaペルソナ』【Animaアニマ】と記されている。 


「皆さん初めまして。私はこの"エデンの園"の創始者。ああ、ここではゼルチュと名乗らなきゃいけないんだったね」

「エデンの園だって?」

「そんなもの聞いたことないよ」 


 自分たちがいるこの場所を"エデンの園"と称しているが、ノアもルナもそのような場所の地名を一度たりとも聞いたことがなかった。ゼルチュと名乗る若い男性が創始者だというのならば、きっとつい最近完成した場所なのだろうと察しが付く。


「そして、こっちで腰を掛けている二人はこのエデンの園で私の側近として仕えている者だ。このエデンの園での雑用として働いてもらっている」

「…あの二人、只者じゃない」

「こっちに何も感じさせないよ。まるで死者のような存在みたいな」


 前世で戦い続けてきたことで相手を見ればどれほどの力量なのかは見測れる。だが、黒いローブと白いローブの人物だけは彼も彼女も何も感じ取ることが出来ない・・・・・・・・・・・・・のだ。 

 

「君たちは現ノ世界から救世主、もしくはユメノ世界から教皇の素質がある者として抜擢された選ばれし者。君たちはこのエデンの園でお互いを蹴落とし合い、殺し合う・・・・……それを覚悟のうえでここへ来てくれた。私はそんな者たちがこれだけ集ってくれてとても嬉しいよ!」

「「――!!」」


 二人はゼルチュのその発言には言葉を失った。救世主、教皇という単語が口から出たことにも驚いたが、何よりもこのエデンの園という場所で殺し合うという話。ノアもルナも聞き間違いだったのではないかと自らを疑ってしまう。


「真の救世主、真の教皇。それが一人ずつ・・・・決まれば私たちの長きに渡る戦争もやっと終焉を告げる! 君たちはその戦争に終止符を打つために、世界へと貢献ができるのだよ! なんて素晴らしいことなんだ!」

「…狂ってるな」


 命を捧げて世界へと貢献をする。彼からしてみればそんなものに価値などなかった。周囲に聞こえの良い言葉にしているだけで本当の意味は、犠牲になってくれ・・・・・・・・というものに過ぎない。


「救世主や教皇になれなかった者にもチャンスはある。救世主を支える四色の蓮しいろのはす、そして教皇を支える四色の孔雀しいろのくじゃく。これが四人ずつ抜擢されるのだよ」

「…四色の孔雀と四色の蓮。この時代も必要なんだな」


 彼らの時代にも救世主側に四色の蓮、教皇側に四色の孔雀と呼ばれる対なる存在がいた。その人物たちは救世主と教皇のために命のある限りを尽くして、儚く散ってしまったのだ。最も身近にいて、最も心を許せる四人……のはずなのだが、ノアもルナもその人物たちの顔や声、名前すらも思い出せない。

  

「…?」


 彼は隣で口を閉じたまま立っているルナに視線を移してみると、


「戦争、終わってなかったんだね」

「…らしいな」

 

 自分たちの生きていた時代から二千年以上経っても戦争が続いていたことに対して、少しだけ表情を曇らせていた。それも当然のことで、彼も彼女も死ぬ間際に"争いの起きない世界"を強く望みながら最後を遂げたからだ。嫌な予感は転生しても当たるようで、彼は小さな溜息を吐いた。


「特にSクラスの諸君! 君らは選りすぐりのメンバーたちだ! 私は大いに期待をしている!」

(やっぱりクラスの配分は上からの順位付けか)

 

 優秀な者はSクラス、劣っている者はZクラス。どのようにクラス分けをしたのかは不明だが、ノアとルナがZクラスであることは紛れもない真実。だが彼も彼女も心の中で「この化け物がZクラスなわけがない」と密かに思っていた。


「それぞれのクラスに三十人ずつ配分されていると思うが、実はその四十人の中でも更に配分をされている。白色の制服を着る救世主の素質を秘めた十五人、黒色の制服を着る教皇の素質を秘めた十五人。要するに敵がクラス内に十五人いるというわけだ」

「…結局は自分を除いた二十九人全員が敵だろうが」


 救世主となれるのも教皇となれるのもたったの一人ずつだ。たとえ救世主と教皇で潰し合い、どちらか片方だけが勝ち残ったとしてもその中で再び争いが生まれるだけ。クラスに残るのは一人のみなり、SクラスからZクラスの中で最も強い者が五人集う。


 四色の蓮と四色の孔雀という救済枠も確かに存在するにはするが、自らここへ来たいと志望をした生徒たちがその枠を狙うおうとするはずがない。


「君たちにはこの環境の中で、このエデンの園で、一年の間、ひたすらに殺し合ってもらう」

「一年間もこの蟲毒壺のような場所で生き残れとでもいうのか? そんなのいずれ誰かしら逃げ出すに決まってるだろ」

「少し辺りを能力アビリティで詮索してみたけど、このエデンの園は本州からかなり離れた孤島に作られてる。逃げ出すなんてできないと思うよ」


 逃げ出せないように、最後まで殺しきれるように、完全なる蟲毒壺の中で生徒たちを殺し合わせようとしているのだ。これには彼も無意識のうちに眉間へしわを寄せてしまう。


「君たちがここで生活するのには何一つ困らないように、ファーストフード店、ゲームセンター、喫茶店、大浴場、図書館等など…様々な施設を建設している。だから安心して殺し合ってくれたまえ」


 日常生活を送る分にはまさにエデンの園そのものだ。しかし本来の目的である救世主と教皇を決める殺し合い、それがある限りこの場所は地獄となり得るだろう。

 

「そうそう。君たちが付けているそのネームプレートはまだ無色だろう? それもグレードというものが存在するんだよ」


 壇上の背後に巨大なディスプレイが降りてくると、画面が点灯しネームプレートについての説明がイラスト付きで分かりやすく記されていた。


「知りたい人もいるだろうからプレートについて少し説明をしよう。まずはこの絵を見てくれ」


 そこには右と左で救世主と教皇側で別れ、色ごとで五段階の順位付けがされている。

 救世主は

 最下位→"無色"

 下位→"蒼"

 中間→"灰色"

 上位→"青銅"

 最上位→"白"というように分けられ、


 教皇は

 最下位→"無色"

 下位→"紅"

 中間→"灰色"

 上位→"赤銅"

 最上位→"白"というように分けられていた。 


 ゼルチュのネームプレートは白。それは彼が救世主の最上位に位置する一人だということを意味する。ルナは初代救世主であるノアの顔がより険しくなっていることに気が付いた。


「君たちはまだ無色だが、このプレートは腕に付けているジュエルペイと連動をしている。ジュエルペイの説明は後ほど教室で担当教員がしてくれるとして。そのプレートはネームプレートの付いたライバルたちを殺せば殺すほど・・・・・・・、そのグレードが上がっていく」

「…何なんだこの世界は?」

「酷いね」


 ――何もかもがおかしい。ノアもルナもこれ以上何かを言及することは出来なかった。より良い方向へ進むどころか真逆の方向へ進みだしている現在の世界。ここにいる生徒たちはこの秩序が普通に受け入れて、殺し合おうとしているのだろうか。  

    

「誰も殺さずにいれば、無色のまま。誰かを一人でも殺せば、すぐに赤銅か青銅に色が変化する。何人殺せば黒と白まで到達するかはこちらから述べられない」 

(弱肉強食だな)

「色を上から塗り換えたりする行為はルール違反だ。このエデンの園にもそれなりの規則があるのでね。詳しくはジュエルペイの学生証をよく見ておくように。それじゃあ、君たちが私の期待に応えてくれることを祈っているよ!」 


 これ以上の説明はしないようで、ゼルチュはペルソナとアニマを引き連れて静かに壇上を降りて行った。そのタイミングを見計らい体育館内に再びアナウンスの声が響き渡る。 


『担当教員の指示に従って、教室へ移動をしてください』


 ざわざわとするのかと思えば、誰一人として声すら発しない。一人一人が周囲にいる生徒たちへと殺気立っているように見えた。誰を先に殺してやろうか、誰を利用してやろうか、その感情に決して善の心はない。蹴落として生き残る、そんな強い覚悟を感じさせる。


「ルナ、お前は俺のことを憎んでいるか?」

「当たり前だよ。今すぐにでも殺したいぐらい」

「なら良かった。俺もお前を今すぐに殺してやりたいと思ってる」


 ノアとルナはお互いに向かい合った。彼は彼女の頭を捻り潰したい衝動に、彼女は彼の心臓を握り潰したい衝動に駆られたが、


「だけど、先にこのくそったれな世界をどうにかしたいと思わないか?」

「奇遇だね。私もその意見には賛成だよ」


 この世界の正さなければならないという意見が二人の中で一致したことにより、抱いていた殺意を一時的に懐の中にしまうことにする。

  

「前世は殺し合ったが今回は手を取り合う時だ。一時的な休戦、それでいいだろ?」

「いいよ。でも、あの時の約束はちゃんと守ってね」

「約束?」

「ほら、あなたが死ぬ前に言って――」


 彼がそれを聞いて曖昧な反応を示すと、彼女は「それも忘れちゃったんだね」と溜息を付きながら言葉を途切らせてしまう。


「とにかく…。これからは半分仲間、半分敵だ。手を貸し合うぞ教皇ポープ

「分かってるって、救世主メシアさん」


 ――初代救世主と初代教皇。十年以上に渡り戦い続けた宿敵と、初めて協力の証を示す握手をお互いに交わした。

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