0:1 救世主は教皇と転生する

「――きて! 起きて!」


 不思議なことに耳元で声が聞こえる。救世主としての役目を終え、教皇に殺されたはず。もしや教皇が殺し損ねたのではないかと、目を開けて顔を横へ向けてみれば、


「もぉー! やっと起きたね!」

「なっ…!?」


 黒を基調とする制服を着た女子高生が、すぐ目前まで顔を近づけていた。顔に見覚えがあったため、そのまま反射的に飛び起きて彼女から距離を取る。

 

「教皇…!!」


 小麦色の長髪に幼い顔つき。見間違えるわけがない、嫌でも顔を合わせていた相手だ。


「きょう…こう? 今日学校の略?」

「違う! 惚けてんのか!?」


 そこでやっと気が付いた。この部屋に一切の見覚えがないのだ。記憶の整理をしようとしても、最後に残っている記憶は教皇の情けない顔だけ。そんな彼の慌てっぷりを見て、教皇はクスクスと笑う。笑われている彼は自分の身体に視線を向け、白を基調とする新品同様の制服を着ていることに気が付く。


「冗談だって~! さっきぶりだね救世主!」

「さっきぶりって…。それじゃあお前は本当に教皇、なんだよな?」

「うん! あなたにトドメを刺した教皇だよ~!」


 頓珍漢なことを述べる教皇の言葉など信じられない。現実なのかと近くに置いてあった手鏡で、すぐに自分の顔を確認してみる。そこに写っていたのは普段の冴えない顔と愛用をしている眼鏡。こちらが顔を見て彼女のことを教皇だと一瞬で分かったように、彼女もこちらの顔を見て救世主と判断したらしい。


「教皇。お前はそんなガキのような容姿をしていたか?」

「救世主も純粋無垢な坊やみたいな姿をしてるけど~?」

「あ?」

「ん~?」


 二人は既に成人をしている身のはずが、数年ほど若返っているようだった。傍からすれば救世主は一生ぼっちで過ごしてきた陰のような男子高校生に、教皇は可愛らしさを凝縮したような虫さえ殺せなさそうな女子高校生に見える。 


「…二度と自分の若い姿なんて見たくないと思っていたんだがな」

「え? 何か言った?」

「何でもない」

 

 教皇は「でも何か言っていたような…」と怪訝そうな顔で見つめていた。救世主は触れられたくないのか、すぐさま話を変えようと、


「で、俺たちはどうなったんだ? お前はちゃんと俺を殺したんだよな?」

 

 現在の状況について教皇に尋ねた。


「当たり前だよ~! 私は救世主を殺した後に、バタンキューしたんだからね?」

「…つまり、お前も俺と同様に死んだのか?」

「もっち~!」


 教皇はピースをしながら死んだことを誇らしげに肯定する。こんな状況でも呑気でいられるのはとても憎たらしい限りだ。


「ここはどこなんだ? 俺よりもお前が先に目を覚ましたんだろ?」

「うん。救世主と同じベッドで寝ていたからね~」

「は?」 

 

 そういえばこのベッドは妙に良い香りがした。具体的に言えば果物の甘酸っぱい匂い。戦争の影響で血の匂いばかりを嗅いでいた自分にとって、その香りは妙に心を落ち着かせる。これがいわゆる世間の思春期男子が興奮して話す女の子の匂いというものなのかもしれない。


「お前、良い匂いするんだな」

「えへへ! そんなこと言われたのは初めてだよ~!」


 容姿も、臭いも、戦い方についても――お互いに一切口を出すことがなかった。二人は自身の世界のために相手を殺す、それだけを考えて戦ってきたからだ。


「いつもお前と殺し合っているとき、血みどろになったドブネズミみたいな臭いがするなってずっと思ってたんだ」

「ひっどい~! そっちだって、人の臓物が腐ったような臭いだったくせに~!!」


 そんな二人が笑いあって皮肉の言い合いをする。

 彼と彼女は何十年ぶりかに声を上げて笑い、


「それで? 本当のことを言えよ教皇」

「そっちこそ、そろそろ何をしたか教えてくれてもいいんじゃない?」


 自分たちの得物を創り出して、お互いの急所へと突き付けた。そう、彼らは最初からお互いを信用してなどいなかったのだ。仲良く会話を交わしていたのは相手に気を抜かせるための演技。目の前にいるのは十年間殺し合ってきた宿敵同士、そう簡単に信じられるはずがない。


「冗談はよしてくれよ。本当のことを言わないと、お前を殺すことになるぞ」

「あはは、望むところだけど?」


 銃と大鎌を構えた彼らの睨み合いは、どちらかが口を開くまで続こうとしていた。本当はどちらも何も知らないというオチ。だが信用という言葉など微塵も必要のなかった戦争時代を過ごし、いつの間にか鍛えられた疑り深さのせいでこのような事態に陥っているのだ。


「…救世主、冷静に考えてみてよ。私がもしこれを仕組んだのなら、あなたが寝ている間に殺してしまっていると思わない?」

「質問を返すようだが、お前のひん曲がった性格を知っている俺がその言葉に共感すると思うか?」 

「じゃあさ。ここで殺し合って、力ずくで吐かせるってのは――」


 バタンッと勢いよく扉が開いた。相手の増援か、と二人はすぐさまそれぞれの得物をそちらの方向へと向けたが、


「お前たち! 始業式が始まるんだぞ!? いつまで準備に時間を懸けている!?」 


 そこに立っていたのは紺色のスーツを着た三十代半ばの男性。胸には「Meteorメテオ」と書かれた灰色のプレートを付けている。手には武器らしきものが握られてはいないため、普通に考えればただの一般人に過ぎない。


「教皇。またお得意の不意討ちをするつもりか? お前は本当にあくどいことが好きだな」 

「そうやって私を油断させようとする。救世主も私と変わらないよね?」


 けれど二人は警戒を解くことがなかった。頭の中では相手との心理戦。次なる行動を読みどちらを先に処理するか、という一秒たりとも気を抜けない状況なのだ。 


「そんなおもちゃを創り出してないで早く来い!! 退学させるぞ!」

 

 警戒し続けて動かない彼と彼女を見た男性はすぐ側まで歩み寄る。その瞬間、攻撃に備えて二人とも身構えたが特に目立ったことはされず、ただ首根っこを掴まれ、靴を履かされ、そのまま部屋から引きずり出されるだけだった。そういう類の技なのかと救世主はそれを振りほどこうとしたとき、


「待って」


 教皇が救世主の腕を強く掴んで、それを阻止した。救世主の指はその男性の身体には触れず、僅かにネームプレートだけを触れる。


「何だ。やっぱりお前の味方だった――」

「違うよ。あのカレンダーを見て」


 言葉を遮る教皇に殺気を送りながらも救世主は、部屋に飾られていたカレンダーを見る。


「…四千五百年の、四月一日?」


 アナログ式ではなくデジタル式のカレンダー。

 そこにはハッキリと四千百年と記されているではないか。 


「私たちが死んだときって、何年だっけ?」

「…あの日は二十五世紀。最後の戦いになると思って、遺書まで書いてきたんだ。間違いない」


 カレンダーが間違っているわけでもなさそうだ。救世主と教皇はカレンダーに記された年号を見たことで、途端に殺気を収めて、男性に引きずられるがままになる。


「もしかして、私たちのいる世界は――」

「二千年後の世界、とでも言いたいのか?」

「そうとしか考えられないと思うよ? 私もあなたも、この状況について何も知らないんだから」


 お互いを疑うだけ時間の無駄だと思ったのか、救世主も教皇も口を閉ざしたまま、この状況について一早く理解をしようと頭を働かせていた。


「…思い出せない」


 だが頭を働かせたときに彼はふと気が付いた。それは思い出という思い出がすべて消えてしまっている・・・・・・・・・こと。


「救世主も?」 

「まさかお前もか?」

  

 何よりも奇妙なのは前世の世界がどのような世界だったのか、自分たちがどのように戦っていたのか。それらは覚えているというのに、共に戦った仲間の顔や名前、楽しかった思い出、喜んだ思い出、自身にプラスとなり得る思い出だけがすべて消えてしまっていたのだ。


「覚えているのは、世界が嫌いになる記憶ばかりだよ」

「…俺もだ。精神的に参りそうだね」


 記憶喪失というよりも一部分だけが抜け落ちる記憶障害と言った方がいいのかもしれない。救世主と教皇が大嫌いな世界で戦えていたのは、自身を支える思い出や仲間のことがあったから。それが失われてしまった今、とてもじゃないが戦う気など起きなかった。 


「俺たちは数千年後に転生をしてきた。それが何者かによって仕組まれていることなのか、それとも単なる偶然なのか。どちらにせよ思い出せないのは一時的な障害かもしれない。あまり深くは考えない方がいいだろう」

「…」


 彼はそう独り言を呟いた。

 その独り言は教皇に向けられているようにも聞こえる。


「頭に強い衝撃を与えれば思い出すみたいな話を聞いたことがあるから、試しにぶっ叩いてみてもいい?」

「あぁ。その前にお前は思い出すことすら出来なくなるけどな」


 教皇は先ほどまで思い詰めた表情をしていたというのに、突然パァと明るい顔に変わり彼にそう尋ねた。特に心配をしていたわけでもない救世主は、親指を下に向けて挑発をする。


「あはは、あなたの頭に鎌をぶっ刺してみようかな~?」

「なら俺はお前の頭に鉛玉ぶち込んで、治療をしてやろうか?」

「ん~?」

「あー?」


 再び喧嘩を始めようとした二人を見兼ねたメテオという名の男性が「静かにしていろ!」と声を上げた。二人は注意をされたことで軽く舌打ちをしながら、お互いに視線を大きく逸らす。


(一体どうなってるんだ?)


 彼は引きずられながら周囲の景色に目を配ってみれば、そこは学校の校舎内のような場所。彼らが寝ていた場所は明らかに自室だった。それらから踏まえれば、ここは寮付きの学校なのだと推測できる。けれど床のタイル、廊下の窓を見る限り、一般的な校舎よりもかなり丈夫に作られているようも見える。普通に考えれば災害対策なのだろうが、彼はどうも嫌な予感がしていた。


(この世界が、どうか、平和であるように)


 彼は祈るように目を瞑る。今まで嫌な予感が一度でもすれば、必ずと断言していいほど何かしらの災厄が起きたのだ。前世から転生してきたことでその勘も鈍っていることに彼はすべてを懸ける。


「……」


 そんな彼の姿を教皇である彼女は黙ったまま、じっと見つめていた。

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