第3話 生業

 二人の共同生活はただ一点を除いて順調に進んでいた。

 環は掃除をしていた手を止めて、ソファに寝転がりテレビを見ているその男を睨みつけた。

「ねえ、ソラ」

「何でしょう」

 テレビを1ヶ月見続け、小説を読み漁ることによって日本語が格段に上手くなったソラは今では違和感のない日本語を話す。

「いつまでそんな悠長なご身分でいらっしゃるおつもりで」

「というと?日本語はハイコンテクスト文化だから曖昧な表現をするのが困りものですね」

「働けって言ってるの!!」

 環は爆発したように掃除用具を床に叩きつけた。その行動にソラは驚いた。

「ニンゲンは手荒な生き物なのですね」

「時と場合によるけど、今は手荒になってしまう状況なの!!生活費って結構馬鹿にならないんだからね?どうしよう、このままじゃ私のバイト代だけじゃ足りない」

 情けない顔をした環が先程とは打って変わって肩を落としながら、叩きつけた掃除用具を拾い上げる。

「僕も一応働こうと試みたんですよ……」


 ソラ曰く面倒臭がられてすぐに解雇通知を受けるという。カフェの店員として採用され、メニューを覚えて接客しろと言われた際には「なぜニンゲンはこんなにたくさんの選択肢を作ってしまうのですか?一択であれば選ぶ時間も省けて楽でしょう」と回答し、追い出された。宅配便の仕分け作業をやる際には「なぜ乗り物というもので荷物を運ぶのですか?テレポートでいいでしょう。そもそも、ニンゲンはこんなに物が必要なのですか」と言って仕事に一向に取りかからないため解雇された。

「それはソラが悪いわ」

 環は頭を抱えながらポツリと言った。

「僕のどこが悪かったんでしょう」

「全く異文化に馴染もうとしていない点でしょう」

「なるほど」

 ソラはようやく合点がいったという風に目をキラキラと輝かせた。その顔を見て若干絆されつつある環は自分で自分に喝を入れた。

「わかった。それじゃあ、あなた、ブロガーにでもなったらどう?」

「ブロガー?」


 ブロガーの説明をし、上手くいけば自分の興味があることを文章にすることでお金を稼ぐことができると伝えた。その提案にソラは乗り気になり、早速ブログを書くためのネタ帳を作り始めた。最初は数十円にでもなればいいかと考えていたが、彼がブログを開設して1ヶ月でなんと新卒の初任給を上回る額の稼ぎを得ていた。

「才能あったのね」

「才能というか、僕の存在自体が文章にもたらす影響が大きいからだと思う」

「どういうこと」

「ほら、このコメントを見て」

 そう言ってソラにパソコン画面の一点を環は見せられた。『まるで人間じゃない存在が書いたような文章ですね。いつも新しい視点をソラさんのブログから養っています。これからも頑張ってください。』とあった。

「まるで人間じゃない存在って」

 環は腹を抱えて笑った。ソラは一瞬変な顔をしたが、すぐに元の表情に戻った。

「まあ、そういうことだよ。元々の視点が違うから、ありのまま書いても注目を浴びるんだ」

 ソラはそのままパソコンに向かった。環が掃除に戻る前になんとなく、彼の姿に目をやると頭越しに別タブで開かれていた編集中の記事に手をつける様子が目に入った。自然とその文章を彼女は追いかけた。そこには以下のようなことが書かれていた。

 人間は非常にコントロールしやすいが、それはある意味でコントロールがしにくいことの裏返しでもある。というのも、人間は言葉により虚構を手に入れ、それによって様々なものを手に入れてきた。例えば、神や科学、そして社会構造でさえも。ただ、永続的にそれらに人間が支配されたことはない。なぜか。それは、小さな綻びがやがて隠しきれぬほどの穴になり、新たな虚構を求め始めるからだ。完璧な虚構を新しく人間に信じさせることができれば簡単にコントロールできるが、完璧とは一体何か…。結局のところ、それが主な原因で人間支配がまだナニモノにも成し遂げられていないということなのかもしれない……。

 環はそっとその場を離れた。鳥肌に気づかないふりをして。


 ソラはブログに書くネタのために外に出掛けることが多くなった。その際、地球での常識がないソラに付き添うのは当然環であり、大学終わりにしょっちゅう出掛けるようになっていた。共有される時間、それは現在だけでなく過去もまた等しい。だが、未来はわからない。そんな不安が二人の胸を段々と苦しくさせていた。その苦しさが一体何なのか、当人たちは気づいていなかった。否、気づかないふりをしていたのかもしれない。

 そんな折、ショッピングモールの雑貨売り場で環の友人と出会した。

「え、環」

「ん?梨花?」

「何?彼氏?カッコいい!!」

 梨花とその友人は「きゃあ」とソラを見て黄色い歓声をあげる。環は真っ赤になりながら違うと否定しようとして言葉が詰まって上手く出てこないことに気がついた。焦って何かを言おうとしていると、ソラが爽やかに微笑みながら言った。

「僕たちは一緒に住んでいるんです。いつも環と仲良くしてくれてありがとう。それじゃあ」

 ソラに肩を抱かれてその場を後にした環だったが、その後遠くで梨花の甲高い声が聞こえてきた。電車に乗るために地上を目指してエスカレーターに乗っていた。環はマフラーに鼻まで埋めながら振り返り、ソラを下から見上げた。目があった彼は「うん?」となんでもないように首を傾げた。

 宇宙人はどうやら感性が違うらしい。

 環はドクドクと耳元で脈打つ心臓を煩わしく思いながら、なんでもないと答えて前を向いた。

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