第2話そういう話(下)

屋敷の外に出てみれば、冬の乾燥した冷たい夜風が髪を弄ぶ。陽のある時間が少ない冬の街頭の多くない郊外という事もあって、頼りなる灯りといえば夜空に浮かぶ月の光ぐらいだろう。しかし今日は生憎の曇り空であり、その自然光にも期待はできない。


「さっきの話だと、9区とか18区とかの飲み屋街多い所で男性狙うのかなぁって思ったんですけど、どうなんです?」

「ん?10区に行くけど」

「えぇ…」

「返事は?」

「はーい…」


私たち吸血鬼が闇夜に蔓延る『トーキョー』は23の区画によって分けられている。区によって特色は違い、勿論それによって生活をしている人間の大まかな分類も違う。


私が述べた9区や18区は基本的に商業が活発な区に分類され、夜でも客引きの声に酔っ払いの喧騒が絶えない場所だ。明かりも絶えない場所でもあるから、狩りを目撃されてしまう可能性はゼロとは言えないけど、酔いで動きの鈍い人間を狙い手っ取り早く終わらせてしまえるのは何よりの利点でもある。何より阿木斗さん量欲しがってるし。1人狩るに時間を掛けたくない。


しかし、あの人の指名はまさかの10区。裏金融が活発なアウトローの巣窟。…非常に暴力団関係の多い場所である。確かにこの暗さに加えて、あの区の街頭の少なさなら、狩りを目撃される事はまずないだろう。それに筋肉量的にも食べ応えのある人間諸君がいるような場所はあそこ以外にはない。…だからと言って、わざわざヤクザの群れに突っ込む人いる?いや、私たち吸血鬼だけど。


えぇ…と私があからさまに嫌な顔をすれば、阿木斗さんは<命令オーダー>を使ってくる事はなけれど、此方に返事を要求してくる。悲しい事に私はこれに頷くしかない。


「10区、ちょっと遠いし飛んでくかぁ」

「飛ぶんですか」

「しょ〜がないなぁ!レーカちゃんは俺が背負ってやろう!」

「えっ、おあっ!?」


私が適当に相槌を打っていれば、阿木斗さんはそれを私特有の面倒臭がりと判断したらしい。態とらしく口角を吊り上げた阿木斗さんはひょいと私を持ち上げてあっという間に俵担ぎ〜俵は私〜をやって退ける。

背負ってないじゃないか、と小言を呟く間もなく、阿木斗さんはぴょんっと持ち前の身体能力を使って高く飛び上がり、屋根の高い建物の上を飛び渡っていく。残念な事に阿木斗さんが気が利く性格ではないので、ジャンプによる上下運動で目が回って、私の三半規管に大ダメージである。これなら普通に自分で建物を飛び移っていった方が、無駄に気持ち悪くならずに済んだ。


「はい、とーちゃく。やっぱり俺だけ飛んだ方が早いわ」

「……すいませんね」

「レーカ拗ねてる〜?」


しかし、流石阿木斗さんと言ったところか。それなりに距離があったにも関わらず、あっという間に件の10区で1番高いビルの屋上へと辿り着く。阿木斗さんが煽ってくるけど、気にするだけ気の無駄だ。そもそも貴方に敵う奴なんて滅多にいないでしょうよ。


高い場所にいる所為か、外に出た時よりも強く冷たい風が頬を刺激する。下を見下ろせば、ちらほらと動く物陰が数個見えた。ここに来た目的自体はしっかり果たせそうだ。


「まぁ、お腹減ってんなら早い所、狩り自体は終わらせましょうよ」

「じゃ、いっくぞー」


その言葉を合図に、阿木斗さんは日本刀を抜刀し、ビルから飛び降りた。黒いコートの裾がひらりと扇を描くように浮き上がる。私はそれに続く様にビルからひょい、と飛び降り自由落下に身を任せる。

地面が見えてくるにつれ、真下には肉付きのいい男が数人いる事をはっきり目で捉える。頭上に警戒して生活をする事など普通の人間じゃまずないだろう。相手は此方に気付いている様子もない。


「まずは、頭2つっと」


着地するよりも早く、足場のない不安定な状態のまま阿木斗さんは日本刀を1人の男の首へ刃を水平に添え、そのまま左から右へと肉を斬り裂く。刀の刃は重厚な肉や骨を気にする事なく男の頭と体を一刀両断し、その勢いのまま隣の男の首まで刎ねていく。


ストン、と私たちが地面に足をつける頃には、コロン、と2つの首が暗い路地裏へと転がり、生を停止させられた体が重い音を立てて、地べたに倒れ伏す。よし、私は顔見なかった、セーフ。


「っ!?!?!?な、」

「そんでもう1人」


いきなり仲間の首が転がっていった事に驚き、頭を動かし此方に視線を向ける背の高い男が、言葉を発しようと必死に口を開こうとする。しかしその言葉が明確化されるよりも先に、その体は阿木斗さんによって袈裟斬りされ、その切り口からは大量の赤い鮮血を吹き出した。


「ひ、ばけも、の…!!!」

「化け物じゃなくて、吸血鬼な?」


最後の生き残りである金髪の男は、突然の殺戮ショーに腰が抜けてしまったのか地面に尻餅をつき、怯えた声で此方を指差す。吸血鬼の存在が周知でない以上、化け物呼ばわりは別に間違ってはいないと思うけど、阿木斗さん的には訂正ポイントだったらしい。


阿木斗さんは出来る限りの力でずりずりと後退していく男に容赦なく近づき、その肩を掴み立ち上がらせる。そして右手に携えた日本刀に負けず劣らず鋭い八重歯を見せ、大きな口で男の首に噛み付いた。


「ぁ、っ、?」

「うんうん、踊り食いが1番新鮮でおいしい。サイコー」

「その感性はちょっと意味がわからないんですけど……」

「なんだっけ?赤血球が酸素含んで赤くて美味しい!みたいな」

「絶対それ、プラシーボ効果的な奴ですって」


ズズッ、と元気よく男の首元から血液を吸血される音が暗い建物と建物の間の細道に響く。生きたまま吸血される気分はどうなのだろう。よく創作物では快感を伴うとか言われている様だけど、この捕食を見ているとそうとは到底思えない。と言うか、一啜りされた時点で命がこの世を去ってる気もする。

と言うのも、次いで遠慮なく聞こえるのは、ミチミチ…ゴクシャリ、バキッ、ごくり、と骨が砕かれ、肉が咀嚼され、腹へと収まっていく食事音だからだ。はっきり言って聞くに耐えない物だけれど、もう何度も食事には付き合ってるので慣れた。あの人、本当に人間の全身噛み砕いて食べるからなぁ…。


「食い出があっていいねぇ、成人男性。あ、レーカはその首飛んでるのから手、付けていいから」

「はーい」


阿木斗さんの力量的にピンチになる事はまずないとは思っていたけど、まさかここまでさっくりと狩りを終えるとは思わなかった。これなら本当に10区で狩りをしたのは正解だったんだな…と思いながら、首のない2つの死体へ近づく。


死体の切断面からは、未だに空気に増えて黒ずんできた血液が地面へと際限なく垂れ落ちているばかりだ。後片付け云々は一先ず置いておいて、少し先におこぼれを貰おうとしよう。


「……いただきまーす」


1つの死体の右手から人差し指を引きちぎる。ブチリ、ぐちゅり、と嫌な音がするが、しょうがない。血が服につかない様に気をつけながら、そのままちぎった指を口へと含み、数度歯で噛み砕く。じわり、と口の中に独特の味と歯応えが広がる。やっぱり人の血肉と骨は硬くて、鉄の苦味があって好きにはなれない。でも、私も吸血鬼なのだ。食べなきゃ色々不具合がでる。…せめて食べ方は工夫したいな、と思いながらも、同じ様に指をちぎり、手をちぎり、口へと含んで咀嚼する。


「あー、それなりにレーカも腹減ったんじゃん。毎回そんぐらい食ってくれれば、俺も心配しないんだけど?」

「阿木斗さんが心配って新手のジョークすぎませんか?…って、あ」


口の中に入れたものを消化させて、お腹も満腹になってきた頃、後ろから何処か上機嫌な阿木斗さんの声が聞こえてくる。その突っ込みどころ満載な内容に文句でも言ってやろうとすれば、自分が1つの死体の両腕の肘部分まで食べ切っていた事に気づく。冷静に考えて、意識しない内にこれだけの量の人肉を食べてた事に自分でも引く。それに吸血鬼の本能を抑えられないぐらいお腹を空かしてた事に自覚してなかった事を阿木斗さんに指摘されたのが、また複雑な気分だ。ここに来る前にワイングラスの血を目で追ってしまったのも、相当血肉不足だったんだろうな…。


「えー、酷くない?」

「………だって、貴方も私も他人に対して不誠実な性格してますもん」

「それは合ってるけど、あ、もしかしてレーカ、こんなに食べたの恥ずかしいわけ???安心しろって、俺はもう2匹食べたし」


自分の思わぬ失態に一種の羞恥を感じながら、子供じみた批判をすれば、白い髪や色白な肌を関係なしに赤く染めた阿木斗さんが面白そうに笑う。と言うか、この人もう2人分の肉体食べたの?


「…そうですか」

「そう言う事!まだ食える?」

「お腹一杯なんで、後はどうぞ」

「ホント〜?」

「本当ですよ。ごちそうさまでした」


笑みを崩さないまま、私を覗き込んでくる阿木斗さんの顔を持っていたハンカチで軽く血を拭う。どうせまだ食べるから汚れるのだろうけど、この方が少しはマシなはずだ。


「ん、これ食べたら帰るか」

「ヤタガラスですか?」


瞬く間に私の食べかけである死体を平らげた阿木斗さんは、ぺろっ、と舌で血に濡れた口元を舐めた。そして、もう一体の死体に手をつけながら、私に帰宅予定を伝えてくる。


ヤタガラスと言うのは、不死の吸血鬼を殺す手段を持つ人間『八咫ヤタ』の集まった非国営組織だ。つまりは好き勝手暴れられる吸血鬼の天敵である。彼らに見つかり戦闘が始まるのは、非常に厄介でなるべく避けて通りたい。


「八咫は中々この区入りにくいからあんまり考えてなかった。どっちかって言うと、吸血鬼の縄張り争いありそうだから」

「縄張り争い…?」


しかし、どうやら事態は違うらしく、私の疑問に阿木斗さんは首を横に振り、4時の方法を指差す。


「そうそう。10区は昔から小さい競り合い多いからね。今日はほら、狩りが目的だし、飛び入り参戦しなくていいかなぁって」

「貴方のそれは飛び入り参戦じゃなくて、乱入ですよ」

「そう?」

「それも場を混乱に陥れるタイプの」

「ふふっ」


すっとぼけながら相槌を打ってくるけど、この人、実際は自分の影響力わかってる上でやるから質が悪いんだよなぁ…と思う。

私がそうやってぼんやりとしていれば、全てを腹に収めたらしい阿木斗さんが腰を上げ、床に垂れていたコートの裾から砂埃を払い落とした。あぁ、帰るのか、と私もそれを見習って立ち上がる。


「帰ります?」

「なぁに?また背負って欲しい?」

「戻す自信あるので、自分の足で飛びますよ」


飄々とした表情で首をこてりと傾げてくる阿木斗さんは無視。私は一度屈伸をしてからぴょん、と大きくジャンプをして、降りてきたビルとは逆にある背の低めの建物の屋上へと飛び乗った。阿木斗さんは私が無視した事には特になにを言わず、軽々と同じ建物へと飛び乗ってくる。


「さっっむ。冬は冷えるなぁ、暖炉付けよ」

「いいんじゃないですか?」


鉄錆びた血の匂いの混じった吹き上げが服を捲り上げていく。この寒さなら数日の内に雪が降り始めるかもしれない。そう思いながら、私達は月明かりも薄い暗闇の世界を駆けた。

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