アキノ 1

 開始から二週間、この異世界での生活に最も馴染んでいたのは、あるいはアキノだったかもしれない。


 彼女は、メルカルにあるファルフィーという料理店で、見習い料理人として仕事に精を出していた。


 彼女にとって幸いだったのは、店主兼料理長をはじめとするスタッフ一同が、とてもフレンドリーだった事だ。ニホンで料理の修行をするとなると、まずは下働きからといったイメージが強いが、異世界においてはそういった辛いしきたりはないらしい。


 暇さえあれば、料理人達は食材や料理についての知識を与えてくれたし、店のレシピを実践の形で教えてくれたりもした。ただ、これについては彼らが良識人だったからという理由だけではないだろう。アキノの側も、雇ってもらえたことへの感謝から、自主的にすべきと感じた仕事を片付けていた。掃除や皿洗いなどは当然として、厨房担当にも関わらず接客の方でも店に貢献した。


 ニホン人らしい目配り、気配り、心配りによって常連客の心をがっちり掴み、アキノを目当てに来る客が徐々に増えてきたことで、店の売り上げすら日増しに伸びてきていた。


 勤め始めてからわずか二週間で、彼女はファルフィーの看板娘としての地位を獲得していた。





「今日もお疲れだったね、アキノちゃん」


「いえ、こちらこそいろいろ教えていただいてありがとうございます」


「アキノちゃんの接客のおかげで常連客も増えてきたし、料理する方もやりがいが増すってもんだぜ!」


「当り前さ。若くて美人なアキノちゃんに、心を込めた接客をされてみろよ。男ならイチコロだぜ、イチコロ」


「それは大げさですよ」


「まあ、アキノちゃんが来てから売り上げが右肩上がりなのは確かだ。どうせなら、料理じゃなくて接客の方をメインにしたらどうだい?」


「いえ、やっぱり私は料理をするのが好きなので。ただ、接客もやりがいはあるので、手が空いている時は手伝わせてください」


 接客の質を評価してもらえるのは嬉しかったが、やはりアキノとしては料理の方に情熱を傾けたかった。


「そうか。いやぁ、せっかく人気があるのにもったいない気もするなぁ」


「いやいや、アキノちゃんが愛情込めて作った料理ってのも、男からすればたまんねえだろうよ」


「ちげえねえや!目と心と胃袋全てを満たされたら、オチない男なんていやしねえなぁ!!」


「あんた達、ほどほどにしときな。それ以上似合わない台詞吐いてると、アキノちゃんの顔が茹で上がっちまうよ。無駄話してないで、さっさと閉店作業を片付けちまいな!」


 厨房担当の野郎共が他意なく褒め千切るのを、貫禄のある女将さんがぴしゃりと言い放って切り上げさせる。


「ほいきた、女帝様のお達しだ!野郎共!手分けして作業にかかれやぁ!さっさと片付けて仕事後の一杯といこうぜ!!」


「おうさ!手早く片付けるぜい!」「今日は、肉が余ってるからな。つまみは炙りを中心にしようや!」


 三人の厨房担当が、営業終了後恒例の酒盛りについて話しつつ、それぞれ掃除などの後始末の為に散っていく。アキノも、掃除を手伝おうと立ち上がったところで、女将さんに声をかけられた。


「アキノちゃん、こっちの世界にはもう慣れた?」


「ええ、店の皆さんはよくしてくださいますし、お客さんたちも良い人ばかりですから」


 私生活の方を訊ねたつもりだったのに、仕事についての回答が返ってきて、女将さんは思わず破顔した。


「そうじゃなくって、仕事以外で困ったことはないかって。元いた世界とは、色々勝手が違うだろう?」


 アキノは、なにかと気を遣ってくれる女将さんを信頼していた。最初は粗野な野郎共と厨房に立つことを心配してくれたし、今では実の娘のようにさえ扱ってくれている。そして、働き始めてから一週間が経過したある日に、自分が異世界出身であることを打ち明けたのだった。


 女将さんは驚きこそしたものの、アキノの言葉を疑うことはなかった。その後、女将さんと共に他のスタッフにも素性を話したが、やはりアキノの言葉を嘘だという者はいなかった。


「アキノちゃんが、わざわざそんな嘘をつく理由はねえからなぁ」


 黙って話を聞き終えた店主の第一声がこれだった。他の二人も、それに笑って頷いた。


 ただ、アキノはデスゲームについては話をしていない。女将さんに心配をかけたくない以上に、それを理由にクビにされるのを恐れていたからでもある。


 お世話になっている店の不利益となり得る事情を黙っていることを、アキノは後ろめたく思っていた。店の仕事に精を出しているのは、その後ろめたさを僅かでも緩和するためという側面もあっただろう。もっとも、アキノ本人にそうした自覚はなかったが。











「アキノちゃんも、酒が飲めればよかったんだがなぁ」


 酒盛りが始まって三十分余り。既に出来上がっている店主が、グラスに透明な酒を注ぎながら残念そうに言った。


「すみません。私は、向こうの世界の基準ではまだ未成年なので」


「こっちの世界では成年扱いなんだし、気にしなくてもいいと思うがねえ」


「すみません」


「ま、謝るこたぁねえけどな。それより、アキノちゃんのいた世界とは料理も違うかい?」


「いえ、大きくは違いません。焼いたり、煮込んだり、茹でたりといった、基礎の部分は向こうも同じです。ただ、使用している食材自体が違うので、味付けなどは違いがあります」


「だろうなぁ。俺っちも、アキノちゃんがいた世界の料理を食ってみたかったなぁ」


「材料さえあれば、色々作って味を見てもらいたいんですけどね。向こうの料理を披露できないのは残念です」


「やっぱり、こっちの食材では再現も難しいかい?」


「ええ。少し試作はしてみたんですが・・・。近いものを作ることはできても、やはり本物と比べると違和感は拭えません」


「そっか。そうだろうなぁ」


「なあ、そっちの世界での料理の話、ちょいと聞かせてくれよ。新しい品の参考になるかもしれねえからよ」


「いいですよ。じゃあ、とりあえず和食から話しましょうか」


 結局、アキノは酒席が終わるまで故郷の料理について語ることになった。

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