第5話『落ちこぼれは這い上がれますか?』
西村駿はあの後、鼻をタオルで押さえながら体育教師に保健室へと連れていかれた。白澤や吹たちは制服へと着替えると、保健室へ駿の見舞いに行ってしまう。
(何でよりによって、トラと二人きりなんだ……)
教室に残ったのは、木村玄輝・神凪楓・雨空霰・雨氷雫の四人だけになってしまった。駿を蹴り上げた当の本人は気にすることなく、今まで通り机に向かって勉強をしているだけだ。
「……」
「……」
霰と雫は二人だけの空間を作り、他愛の無い会話をする。玄輝にとって、今の教室は楓と二人きりと同じことだが、楓は自分から話しかけてくることがないので、無理に気まずさを紛らわせる必要はないのだ。
「トラ、ちょっとええか?」
その空気を壊すようにして、不機嫌な表情を浮かべた波川吹が、教室へと帰ってくる。やけに喧嘩腰だ。
「……」
楓はちらっと視線を波川吹へと向ければ、再びノートへと視線を下ろす。
「何でお前はイキってボレーシュートなんかしたんや? その手でキャッチすればよかったやろ」
波川吹の問いかけは『お前のせいで駿が怪我をした』とでも言いたげなものだ。この状況で、楓を攻めていること自体が間違っている。玄輝は本を読みながらそう思っていたが、厄介ごとに巻き込まれたくないので敢えて知らんぷりをする。
「お前がそんな派手なことせえへんかったら、駿は怪我しなかったちゃうんか」
「……」
「なんとか言うたらどうや」
楓は吹の話を黙って聞いているだけ。口を開こうとはしない。まったく興味がないのか、言い返せないのかのどちらかだろう。「せめて、返事ぐらいはしてやれ」と玄輝は周囲に聞こえない声で呟く。
「おん、聞いてるんか!?」
イラつきだした吹が、楓の机を強く叩く。それには流石の彼女もペンを握っている手を止め、吹に視線を向けた。
「……聞いてるけど?」
そしてやっとのことで、口を動かし喋り始める。霰も雫も会話を止め、波川吹と神凪楓の口論に耳を傾けていた。
「ほな、これどう落とし前つけてくれんねん」
「じゃあ聞くけど、男子学級委員のアイツと女子学級委員のアイツ。あの状況で助けるならどっちだったと思う?」
突然そのようなことを尋ねられた波川吹は、怒りに満ちた表情をより一層強める。
「そんなん両方助けるに決まってるやろ」
「……あっそ、ならこれだけは教えてあげるわ」
楓は手に持っていたシャープペンシルで、吹のことを指し示し、
「――取捨選択もできないあんたが、誰かを助けるなんて無理よ」
ハッキリとそう述べた。
「おおん!!? それはどういう意味や!?」
今まで軽くあしらわれていた波川吹はこの言葉でついにキレて、胸倉を掴もうとする。昔のように暴力沙汰を起こせば、同じように後輩いびりをされてしまう。玄輝は席を立ち、それを止めようとしたのだが、
「落ち着け」
口論を聞いていた霰が、波川吹の押し退けた。
「なんや転校生!? お前はこいつの肩を持つんか!?」
「少しは頭を冷やせ。神凪があの場面で手を使わなかったのは、日頃からこいつがしていることを見れば分かることだろう」
怒りで声を荒げる吹を右手で押さえながら、楓の机の上に並べられた参考書やノートに目線を送る。
「見ての通り、神凪は学業に励んでいる。その為に必要なのは"両手"だ。もしあのボールを手で受け止めて、痛めてしまったらどうなる?」
「それは……!」
「あの状況であの判断は正しかった。自分に負担を掛けず、智花を守り通したんだからな」
楓がわざわざボールを蹴りで返したのは、自らの手を傷めないためだった。どんな時でも、シャープペンシルを握り学業に励む彼女にとって、"両手"は命と同等に大切なもの。
「ほんなら駿はどうなるんや!? 怪我を負わせて正解だったとでもいうんか――」
「吹、やめろ」
そこでタイミングよく、鼻にティッシュを詰めた西村駿が教室に戻ってくる。そして霰と吹の間に仲介役として入った。
「そもそも、俺がシュートボールを外したせいでこうなった。自業自得だ」
「せやけど…」
「吹、
駿が神凪楓のことを"楓"と呼び捨てにしている。玄輝は違和感を覚え、眉をピクリと動かす。もしや告白が成功したから、下の名前で呼んでいるのではないか…。という仮説を立ててしまえば、本の内容が頭に入ってこなくなる。
「吹の代わりに俺が謝る。すまなかったな」
「……」
楓は再び口を閉じ、ノートに視線を移す。駿はそれを確認すると、すぐに踵を返して、自分の席へと波川吹を連れていった。
「……吹、少し冷静になれ。クラス内で誰か一人でも問題を起こせば、先輩たちにまた何かを言われる。行動を起こす前に、ちゃんとそれが正しいかどうかを考えるんだ」
「……すまんかった」
駿が吹に注意をすると、先ほどまでいなかった生徒たちがぞろぞろと教室へ帰ってくる。その中には、白澤来と金田信之もいた。
「駿が何ともなくて良かったよ」
「ああ。心配かけて悪かったな」
駿が怪我をすれば、こうしてクラスメイトたちが心配をして見舞いに行く。幼馴染である木村玄輝も普通は心配をするはずだが、駿のことを毛嫌いしていることもあり、見舞いに行く気力が起きなかった。
「霰もすまなかったな。俺の友人を止めるような真似させて…」
「あー……大丈夫だ。それよりもトップクラスの学級委員は大変だよな」
駿がそう謝ると、霰が学級委員の大変さを共感する。雨氷雫は、会話をしている雨空霰の背後で、西村駿をじっと見つめていた。
「そうだな。それにトップクラスはトップクラスでも、俺らは落ちこぼれだ」
「落ちこぼれ?」
「先輩たちが優秀過ぎて、俺らの代が落ちているように見えるんだ。だから『この高校の評判を下げているのはお前たちだ』…と言われてしまってな」
それを教えるべきなのか迷っていた駿だったが、いずれは知ることになる。だからこの場で雨空霰にその話をした。
「へー……」
しかし話を聞いている霰は、興味がなさそうな表情を浮かべている。何故そのようなことを気にしているのか。そう訴えるかのような顔だ。
「気にし過ぎだ学級委員。このクラスはこのクラスだ。今更変えようがない。もしそれでも変えたいのなら……"どう変えたい"のか、それをはっきりとさせるべきだろう」
「そうだな。その意見を参考にさせてもらうよ」
彼は転校してきたばかりだというのに、西村駿へそんな助言を与えた。丁度そのタイミングで、昼食の時間を告げる鐘が鳴る。駿は霰に感謝の言葉を述べ、波川吹と白澤来の元へと向かう。
「……霰、弁当」
「あー、サンキュー」
雨氷雫は、駿との話が終わったことを確認すると、霰の席に青色の布に包まれた弁当箱を二つ置いた。そして側に椅子を持ってきて、腰を下ろす。
「……」
霰の後ろの席では、神凪楓が一人でパンを食べながらスマホを弄っていた。霰は横目で彼女を見つつ、鞄からスマホを取り出し、
「神凪、連絡先を交換してくれ」
「……は?」
連絡先を交換してくれるように頼み込んだ。誰もしようとしなかったことを、躊躇なくしようとする霰。近くで昼食を取る生徒たちは、その光景を見て息を呑む。
「……何であんたと?」
「あー、席が近いから」
「そんな理由でどうして――」
「後は、シュートボールを蹴り返すときの目つきが凄かったからかな」
霰に理由を述べられた楓は、珍しく動揺する。その反応を見た霰は、「冗談冗談」と軽く笑い飛ばしていた。
「一番の理由は"仲良くしたい"と思ったからだ。色々と"共通点"もありそうだしな」
彼はもう一度スマホの画面を楓に見せながら、連絡先を交換してほしいと頼み込む。
「……分かったわよ」
連絡先を交換している神凪楓と雨空霰。それを遠くから眺める木村玄輝は、金田信之と一緒に昼食を取っていた。
「僕も後で話しかけてみようかなぁ」
「あいつのどこがいいんだよ」
転校生ということだけあって、既に西村駿以外にも白澤来・波川吹・内宮智花と多少なりとも会話をしていた。この時点で、自分よりクラスに馴染んでいる霰を見て、玄輝は嫌気がさし、話しかける気が一切起きなかったのだ。
「玄輝は話してみなくていいの?」
「おれはあいつに興味がないからな。遠慮しておく」
「あっ、玄輝どこ行くの?」
玄輝は弁当を食べ終えると、席を立ち教室から出て行ってしまう。信之は彼にどこへ行くのかを尋ねようとしたが、聞く耳を持たず、立ち止まることもしない。
(つまらねぇ……)
木村玄輝は、信之を一人教室に残して、昼の時間を潰すために校内を宛もなく彷徨うことにした。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「優菜ちゃん、売店にカレーパンが入荷されたんだって」
「へぇ、なんだか食い意地が張ってるね智花ちゃん」
鈴見優菜と内宮智花は売店で新入荷されたカレーパンを買うため、財布を片手に階段を下りている最中だった。優菜はさほど興味はなかったが、智花はご飯の時間になると無邪気な笑顔を見せる。彼女はその笑顔を見ようと、智花に付き添っているのだ。
「きゃっ……」
「あら、ごめんあそばせ」
智花の不注意で、階段を上ろうとしていた黒百合玲子と松乃椿にぶつかってしまう。黒百合はぶつかった相手を内宮智花だと確認すると、にっこりと胡散臭い笑みを浮かべ、
「あらあら、人気モデルの智花さんでしたの。それは悪いことをしましたわ」
「……玲子さん」
黒百合玲子と内宮智花は、全国の人気モデルが集う【White Strawberry】という事務所に所属していた。多数のモデルが所属している中で、黒百合玲子と内宮智花は事務所内で上位三人に食い込めるほど、ファンたちに支持されているのだ。
「わたくしもあなたも、事務所を支える人気モデルですもの。お互い頑張りましょう」
「……はい」
しかし智花は、それほど人気などには興味がなかった。モデルをやっているのではなく、親に無理やりやらされているという境遇。それが原因で、"関心"も"意欲"も無に等しい。
「あぁ、食事制限には注意を怠らないように……」
「……勿論です」
それに気が付いていない黒百合玲子は、唯一期待できる人物の一人として同じ事務所に所属している内宮智花を選んだのだ。
「優菜お嬢様もいらしていたの。これはとんだ失礼を…」
「いえ、お構いなく……」
そしてもう一人に鈴見優菜を選んだ。その理由はただ単に、両親が大富豪で権力を持ち合わせているからだった。つまり黒百合玲子が期待しているのは、優菜ではなく、彼女の"家系"ということになる。
「放っておきなさい玲子。親の権力でこの高校に入学しているヤツなんかに、興味はないの」
「……」
松乃椿は鈴見優菜に厳しい態度を取ると、階段を足早に上っていく。優菜が総帥の"一人娘"だということは、真白高等学校で知らない者はいない。だからこそ"畏れ多い"と思う生徒が多数いるため、問題児の神凪楓とは違う意味で話しかけられることが少なかったのだ。
「それではお二人とも、わたくしたちはこれで失礼いたしますわ」
黒百合は高貴な立ち振る舞いをしつつ、松乃椿の後に続いてその場から去っていく。先輩の後姿を見送った智花は、俯いている鈴見優菜の心配をしてこう声をかける。
「優菜ちゃん、あんまり気にしないでね」
「うん、大丈夫だよ。私は椿先輩に恨まれて当然だし……」
松乃椿は、古く由緒ある神社の家系に生まれていた。ひっそりと佇むその神社で、椿は代々巫女としての血を受け継ぐ娘。その家系が故に、日々神社で修行をしながら祖父と祖母と神社で暮らしていた。
「これは、私が背負わないといけないことなんだよ」
そんなある日、"鈴見グループ"が権力を大いに奮って、神社が建っていた土地を"存在しなかった"ことにしたのだ。住まいを奪われた松乃椿の祖父と祖母は、ショックで体調を悪化させ、半年も経たずして亡くなってしまった。
「どれだけ謝っても許してもらえない。私の父親は、あの人のすべてを奪ったんだもん」
その頃の優菜は、松乃椿が苦しい思いをしていたことなど知る由もない。そもそも自分の父親が、様々な人から恨まれていることすら知らなかった。
「行こ、智花ちゃん。カレーパン売り切れちゃうよ」
「そう、だね……」
先ほどとは比べ物にならないほど、気まずい空気。そんな中、智花と優菜はカレーパンを買うために、再び売店へと向かい始めた。
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