1、黄色いリボン


 手元のメモには「新宿東口」と書かれていて、目的地へはそこからすぐだ。

慣れない人ごみには閉口するが、街のスピード感は心地よかった。自然に優人

も速足となる。指定の家電量販店の前に、目印の黄色い小旗を持った若い男性

が立っていて、辺りをきょろきょろ見回していた。


「すみません、相原と申しますが」


「ああ良かった、時間通りに来てくれて。浅野です。よろしく」コートの下に

デニムが覗くラフな格好の浅野将司は黄色い小旗がいかに通行人の興味を惹い

て恥ずかしかったかを説明した。それから「それにしてもなぁ」とおどけた表

情でコートの襟をクイっと持ち上げる。優人と同じ、オリーブ色のミリタリー

コートだ。


「ペアルックみたいですね」笑いながら優人も襟を持ち上げる。まったくもっ

て面白い偶然。


「こりゃ俺たち実は兄弟だったんだっていうネタにできるな」浅野はいかにも

楽しそうにはしゃぐ。


 それほど年の違わない、気さくな態度に優人は安堵する。面接会場まで道案

内をする彼はいかにも面倒見のいいタイプである。


「浅野さんはスタジオ・カルテジアンの社員の方なんですか」


「いや、まだ学生なんだ。ちょっと訳ありでね」急に声のトーンを落として真

剣な表情になった。「色々手伝ってるんだが、卒業後は社員ってことになるん

だろうなあ」


「どんな勉強をされているんですか」


「情報処理の専門学校なんだけど、あまりここの仕事とは関係ないかも」


 もうひとつ歯切れの悪い返事を聞いているうちに、二人は目的のフロアに着

いた。


 エスカレーターを降りると、にぎわう売り場のあちこちに黄色いポップが立

っているのが見えた。奥の方にはちょっとした行列ができている。列の先には

黄色いのぼりが二本。それに挟まれてノートパソコンが数台並んだブースが見

える。『秋本範子も絶賛、幸せの黄色いリボン占い』と大きく書かれたのぼり

には、優人でも知っているベテラン女優が微笑んでいた。


「あっ範子さんだ」北鎌倉に時折遊びに来るその顔に、つい声が出る。


「範子さん?ああメーちゃんね」


「すみません、色々疎くて。メーちゃんっていうんですか」


「あだ名だと思うけど、テレビじゃみんなそう呼んでる。あれっ待てよ、相原

君は久志さんとこの……」


「そうですそうです。父の知り合いで」


「そうかぁ。美魔女ブームっていうけど、今でもきれいだよなあ」そう言って

から浅野は用件に移った。「ええと、面接だけど」


「はい」


「あの占いを使ってやるそうだから、お客さんの行列が終わるまでちょっと待

ってて」


「占い、ですか」


 優人は改めてまともじゃないなと思う。義父の久志は超常現象などを鼻先で

笑って少しも相手にしない。その久志の紹介した就職先が、優人の面接を占い

で行うというのだから。


 占いブースから少し離れたテーブルでお茶を入れていた女性が、二人に気づ

いてこちらにやってきた。


「相原さんですか」長い髪を後ろで束ねたその女性は、とても人懐こい表情を

浮かべて聞いた。「スタジオ・カルテジアンの青山です。青山小春です」小春

は好奇心旺盛な、たれ目の瞳を輝かせて優人の全身を観察する。「相原さんは

十八歳なんですよね。私よりひとつお兄さんですね」


 パンツスーツのせいで大人びて見えたけれど、どうやら年下のようだ。優人

はどう振舞っていいか分からず、とりあえず「相原です。よろしくお願いしま

す」と挨拶した。


「あと三組くらいだから、そうですね、三十分くらい待っててもらっていいで

すか」


「分かりました」


 待っている間、優人は占いの様子を観察することにした。ブースに設置され

たノートパソコンは二台ペアで計四台。カップルらしき客を浅野が誘導して座

らせる。浅野ともう一人、スタッフらしき女性は向かい合う形で着席し、占い

の説明が始まった。


 浅野がカップルの男女それぞれの額に、横十センチ、縦三センチ程の黄色い

リボンを装着する。なるほどそれで黄色いリボン占いか、と納得した。浅野は

再び向かい側の席に戻り、右手を上げて占いの始まりを告げたようだ。


 優人の位置からでは話の内容までは聞こえないが、手元のディスプレイをの

ぞき込むカップルが驚いたように「おお」と声を上げるのはわかる。その反応

は少々大げさに思えたが、二人が繰り返し顔を見合わせるのを見ると、なかな

かの占いらしい。それから浅野が両手を左右のディスプレイに向けると、カッ

プルはただじっとディスプレイを見ているだけになった。やがて占いの結果が

表示されたようだ。彼氏は不満そうに、彼女は満足そうな顔でブースを離れて

いった。


 浅野の横の女性はただ座っているだけで、何かをしている様子はない。きれ

いな姿勢で前方を見つめているだけだ。優人はこの女性の存在が妙に気になっ

た。セミロングの髪にカチューシャ。華奢で色白の彼女はあきらかに異質な雰

囲気の持ち主だ。「なるほど占い師とはこういうカリスマがあるのだろう」と、

優人は勝手に想像を巡らせる。


 するとその女性が、ちらりとこちらを見た。焦点が合っているのかどうか分

からない独特の視線に優人はどきっとする。そんな優人の様子を見て小春が口

を開いた。 


「彼女は由梨。青山由梨です」


「青山ってことは」


「はい、私の姉です。姉はおしゃべりできませんけど、気にしないでください

ね」


「しゃべらない?」


「五年ほど前からです。お医者様は超皮質性運動失語とか難しいことをおっし

ゃるんですが、正直なところ原因不明なんです」


 次の客もカップルだ。占いの途中で彼氏が気分を害したのか声を荒げた。「

なんだよそれ」と立ち上がり、緊張した空気が流れる。ところが次の瞬間、彼

氏は腑抜けたように静かになり、その後は落ち着いて浅野の指示に従った。


 占いが終わると彼氏は「おい行くぞ」と彼女の腕をつかみ、逃げるようにそ

の場を去った。


 ふふ、と小春は笑いながら言う。「ファウストがまた、いたずらしたのね」


「ファウストって」


「ああ、あだ名みたいなものです。私の叔父でスタジオ・カルテジアン代表」


 占い待ちの行列が終わり、優人の番がやってきた。


「じゃあ相原さん、お願いします」小春の案内で由梨の前の席に座ると、浅野

が黄色いリボンの裏にジェル状の液体を塗って優人の額に貼り付ける。よく見

るとリボンからは二本の細くて白い配線が伸びていて、机上の小さな装置につ

ながっている。


「では軽く目を閉じて、深呼吸をしてください」小春の優しい口調に、はいと

返事をして優人は言うとおりにした。


 パソコンに何やら打ち込む音を挟み、「では目を開けてください。準備が整

うまでしばらくお待ちくださいね」と言いながら小春はその場から少し離れた

場所に移動した。


 ブースの向かいでは浅野がインカムのような装置を着けて、時折誰かに向か

って小声で返事をしている。矢継ぎ早に送られる指示にとまどっている様子に

も見える。


 しかし、目の前の由梨である。近くに来るととてもいい匂いがして、抜ける

ような白い肌の質感と共に優人の感覚領域を支配した。小春に似て、ややたれ

目だ。その視線は依然として焦点がおぼつかない。口元には常にアルカイック

スマイルを浮かべていて、こちらを認識しているとも、していないとも解釈で

きた。更にボタンを二つ開けたブラウスから覗くデコルテが優人の網膜を打ち

抜く。「いやいや面接中だし」と目を閉じ首を振るが、こんな妖しくも魅惑的

な女性の前で平静を保てそうにはない。


 すると突如手元のディスプレイに文字列が映し出される。『そりゃ由梨は特

別べっぴんだからな。落ち着かんのも仕方ない』


 優人は激しく動揺した。あわてて周囲を見回すが、誰かと目が合うことはな

かった。だがふと顔を上げると由梨がじっとこちらを見ていた。小首をかしげ

るようなしぐさが良く似合っている。


『さあ、見とれていないで作業を始めるぞ』ディスプレイに促される。結局、

驚いている暇もないまま作業、つまり面接あるいは適性試験ないし占いがスタ

ートした。


「まず最初にあなたの生年月日を西暦で思い浮かべてください」と浅野が問う

と、優人が意識したかどうかという瞬く間に2000.11.11とディスプレイに数字

が表示される。「住所は」という次の問いの瞬間には、鎌倉市山ノ内の文字だ。


 優人の驚いた表情を見て浅野は嬉しそうに笑顔を浮かべた。「ちょっとすご

いだろう?」


「ですけど、履歴書に書いた内容……ですよね」


「そうだね、じゃあなんでも好きな数字を思い浮かべて」


 ディスプレイには7の数字が出て、優人は言葉を失くした。その通りだった

からだ。


「はい同期テストはここまで。では適性試験を行います」少々いたずらっぽい

表情の浅野が告げる。「試験とはいっても短いビデオを見てもらうだけなんだ。

リラックスしてて構わないからね」


 ディスプレイには短い間隔で様々な動画、画像が映し出された。動植物。夕

陽や海岸線といった風景。建造物や機械。素粒子やウイルスなど極小の世界。

衛星写真や宇宙の光景など壮大なパノラマ。いくつかの単語。簡単な算数問題。

食べ物や歯磨き粉のチューブなど日用品。スポーツ選手や歴史上の人物。人の

笑顔、泣き顔といった表情などなど、合計六十枚、効果音や音楽を交えた上映

会は五分ほどで終了した。


 「もう終わりなんだけど、せっかくだから何か占って欲しいことがあれば、

キーボードで入力してみて」と浅野が促す。少し迷って、どうせならと占って

もらうことにした。優人はじっくり考えながら『自分を産んだ母親に、いつか

会えるでしょうか』とキーを押した。


 気恥ずかしさもあって待つ時間を長く感じた。一分ほどあって画面に結果が

映し出された。


『運命に負けないように……。おそらく願いはかなうでしょう』


 目線を上げるとそこには由梨がいた。彼女が占いをしたのだろうか。あやふ

やな視線が優人の内面を見透かしているようだ。


 占いの結果を反芻していると、「はいお疲れ様でした。これで額をきれいに

拭いてくださいね」と、小春が黄色いハンドタオルを渡してくれた。スタジオ

・カルテジアン謹製オリジナルタオルである。

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