デカルトの劇場 ~スタジオ・カルテジアン~

橋口浩二

序・湘南新宿ライン


「僕は世界で何番目に孤独なのだろう」


 北鎌倉の駅で電車を待ちながら、優人はいつもの自問を始めた。


 父の顔は知らない。母の温もりも覚えていない。生後半年の赤子を福祉施設

の門前に置き去りにした女性は「優しい人になってください。まさと」と書い

たメモを残した。それが生母と優人をつなぐ唯一の手がかりである。


 晴天の午後。数人の話し声と鳥の声が支配する駅のホームは三月とはいえま

だ寒い。背丈だけがひょろひょろ伸びた身体をコートの上からさすって暖を取

っていると、やがて電車が現れホームを無人に変えた。


 閑散とした車内で、優人は世界一の孤独を気取ってみようと試してみたが、

すぐさま脳裏に「海が見える高校」の学友の顔が浮かび邪魔をした。更に義父

のとぼけた表情が追いうちをかける。


「大学へ進みたければ、そうしてもいいんだぜ」優人が高校三年生となった昨

年の春、作務衣姿でろくろを回しながら、義父・相原久志はそう言った。

 

 バブル期に広告代理店で働いていた久志は、独り身の母の面倒を見ると言っ

て退社し、ここ北鎌倉で陶器を作って暮らしている。退職金で構えた立派な窯

が自慢だ。普段はずいぶんと暇そうに見えるが、本人曰く、全国のおしゃれな

割烹や小料理店から注文が殺到しているそうだ。


「小鉢なんかはな、こうやってちょっと崩してっと」細い目で土の塊をあちこ

ちから眺めながら、久志はいつも優人に解説をした。緑の食器は織部焼という

らしい。北大路魯山人という名をよく聞かされた。興が乗ると釉薬の配合とい

った専門的なことまで幼い優人に話したものである。


「いいよ、大学までは。四年なんて僕には長すぎる」優人の返事は説得力に欠

けたようで、久志は何か言いかけたが、すぐにうつむいて作業に戻った。男二

人という家族ならではの距離感。もどかしさもまた相原家の日常だ。


 進路について躊躇したため就職活動は遅れ、優人が身の振り方を久志に相談

したのは年も明けてからのことだった。


「初任給三十万円で社会保険に住宅、食事まで付いているってよ」数週間後に

久志が見せたのは怪しいまでの好条件が書かれた求人票。大学時代の後輩が経

営する世田谷の産業用センサ研究所だそうだ。社名は「スタジオ・カルテジア

ン」。普通科を卒業する高校生に、そこで一体なにをさせようというのだろう。


「あれだな、まあ雑用係みたいなもんだろうな」目線をそらし言葉を濁しなが

ら、久志は面接試験について説明をする。「適性試験を兼ねた面接を新宿の家

電量販店でやるそうだ。服装は普段着でいいって。あとはクルマの免許だな」


「なにか勉強とか、しとかなくていいかな」


「適性試験だけだし、大丈夫じゃないか」


 とりあえず運転免許の合宿に参加し、理容院で身なりを整えた。仕事の中身

については面接の時に質問してみよう。どうせ久志が先方にねじこんだ話なの

だろうから、贅沢は言えない。それにしても久志の人脈にはいつも驚かされる。

以前から有名人や名の知られた会社の名刺を持った人々の来訪は珍しくなかっ

た。広告代理店ってそんなにすごいものなのかと、子供心によく思ったものだ。

「北鎌倉のご隠居」が久志の異名らしい。


 電車は大船から戸塚、保土ヶ谷と進み、高台の住宅地を見上げる形で谷間を

すりぬけていく。そこには巨大なマンションや密集する家屋群が、迫力の景観

を作り出していた。夜になればその一つ一つの窓に明かりが灯る。「行ってき

ます」から「ただいま」までの一日の出来事が、これら全ての家で日毎に繰り

広げられていると夢想すると、優人はその情報量の膨大さに気が遠くなった。


 ふと数日前の卒業式を思い出す。幼い頃は「母親に捨てられた子だ」と残酷

な言葉を投げつけられたこともあったが、時が経ち高校生ともなれば聡明な友

人が増える。優人の事情を慮りつつ穏やかに包み込んでくれた男女数人のグル

ープ。揃って東京の大学に進学することになった彼らとの別れの日であった。


「マー君とも一緒に大学行きたかったな」


「言うなよ、優人も寂しいんだから」


 仲間の会話を聞きながら、みぞおちの辺りにぎゅっと力を込める。そうして

いないとまっすぐ立っていられない気がした。なんとも情けない感覚である。


 優人はこのように湧き上がる感情をいつも持て余してきた。泣けばいいのだ

ろうが、もう泣き方など忘れてしまった。あるいは泣こうとする自分を察知し

て、感情がすぅっと冷めてしまうのだ。


「魂のゲシュタルト崩壊だな」独り言と共に優人はまたいつもの作り笑いを浮

かべる。「こんなんじゃ、優しい人になんてなれないって」顔も知らぬ母との

対話。これもまたいつものことだ。


 本来、優人を引き取ったのは久志の母、和恵である。彼女が亡くなった十五

年前から男二人だけの生活となった。父子のようだが、実際は義兄弟である。

優人は、生母はもちろんだが義母のことも覚えてはいない。ちなみに和恵の遺

影にはいつも「おばあちゃん」と話しかけている。


 電車が横浜駅に近づき、街並みが都会のものへ姿を変えると、北鎌倉の静謐

はもう遠い世界である。みなとみらいのメディアタワーだろうか、先端がちら

りと見える。あの向こうが横浜ベイブリッジだ。久志は小さな優人が退屈する

と、年代物のユーノス・ロードスターにチャイルドシートを積んでドライブに

連れ出した。作務衣姿の中年男が子供と二人、夜の大黒ふ頭で食事をする。奇

妙な家族団らんの光景だ。


「誘拐犯に見えたかもな」苦笑しながらも、義母の死と共に久志が選んだ“父

代わり”という選択を重く感じる。若くして離婚を経験した久志は「もうオナ

ゴには懲りたから」と再婚もしない。


 世捨て人のような久志の子育てはかなり偏ったものだった。なにしろ古民家

を改築した相原家にはテレビやゲーム機の類がない。学校での優人は周囲とま

ったく話が合わなかった。代わりに本棚からあふれ出さんばかりの書籍と、数

百枚の古いレコード、古い映画のビデオカセットが優人の遊び相手になった。

アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」は、日常に融けてしまいそうな

優人をわくわくさせ、スティーヴィー・ワンダーの「サマー・ソフト」が、寂

しさに押し潰されそうな優人をドキドキさせた。


 久志が修行と称して通っていた座禅体験もまた優人の好きな時間だった。北

鎌倉、円覚寺の広大な敷地に響く般若心経の音声おんじょう。それを聞きながら瞑想して

いる時だけは、辛い現世から宇宙の果てまで逃げ出せる気がした。


「母はどうして自分を捨てたのだろう」「こんな世界など壊れてしまえばいい」

額の真ん中にツンと意識を集中しながら、幼き優人はいつも危うい精神世界を

行ったり来たりした。


 それでも優人は成長するにつれ、いつしか未来というものを信じるようにな

っていた。それは不器用ながらも辛抱強く優人を守ってきた久志への返礼かも

しれない。


 電車の窓は延々と灰色の物体を映す。左手に山手線の列車と尖塔のようなビ

ルを見ると、いよいよ面接試験が待つ新宿である。


「一体、これから先に何が待ってるんだろう」自分にはコントロールできない

未来だが、不思議と不安はない。晴天からいつの間にか寒々しい曇り空に変わ

った上空を見上げて「よしっ」とつぶやいてみた。


 ふと近くに座っていた子供連れの女性と目が合ってしまい、優人は気恥ずか

しさにうつむいた。

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