4.ニコマス温泉(マナス王国西部州モンドフォール地方)


 ホテルや宿と聞けば、どのような建物を想像するだろうか。


 おそらく木造やレンガ、石積み、漆喰などの建物を思い浮かべる人がほとんどではないかと思う。そんな常識から外れたホテルがあるのが、西部州モンドフォール地方にあるニコマス温泉である。


 私とロナウドが宿泊したのは、平野部に面した巨大な崖をくりぬいた洞窟ホテル「ザ・ケイブ」である。


 ホテルのある崖の正面には西部州一の大平野地帯となっていて、特にニコマスでは牛の牧畜業が盛んなところとして有名だ。前にも書いたかもしれないけど、ニコマス牛と言えばブランド食材で、さらに最高級のA5をはじめとするランク付けがされている。


 かつて公爵令嬢であった時に、王都の有名レストラン「トゥールース」で食べたことがあったが、脂身も甘く、まさにとろりと溶けるようなお肉で美味だった。

 何にせよ。美味しいは正義。実に楽しみだ――。



 そのザ・ケイブで私たちは思わぬ人物と再会することになった。


「がははははは! おい! ここは旨いだろう!」


 豪快な笑い声を上げているのは、魔王アキラの四天王の一人、獣王ブルーゴである。獅子の獣人のようなヒゲをした巨体の人物で、かなりの戦闘狂。よく言えば脳筋、悪く言えば考え無し。……言い方が違うだけで、どっちでもあまり変わらないか。獣王らしいといえばらしいんだが、肉料理には目がなく、ここのレストランはお気に入りの一つであるようだ。


 ザ・ケイブの大食堂は一風変わっていて、通常のレストランだと向かい合わせのテーブル席があるけれど、ここでは各テーブルにシェフが付き、その前に横長のプレート、お客はその向こうに横並びで座るようになっていた。

 つまり、どのテーブルもシェフが目の前で調理をしてくれるという寸法。あのプレートも普通の鉄板ではなく、冷えた溶岩を板状に切り出した溶岩プレートだという。

 なるほど。洞窟ホテルらしい、自然界のエネルギーを感じる食堂といえる。


 再会した私たちはなし崩し的に一緒に食事をすることになり、今、溶岩プレートを前に3人横並びに座り、シェフの手により目の前で調理される肉料理の数々を堪能しているところだ。


 コース名はもちろん「ニコマス牛の堪能フルコース」


 様々な肉の部位を、様々な調理法で提供してくれる、まさに肉づくしのコース。

 よく冷えたビールを片手に、前菜のウインナーの盛り合わせ、テールスープ、そしてサラダが終わり、これからまさにメインになるところ。

 メニューではメインは2皿。女性や年配の方向けに、魚料理に交換も可能だというので、私は1皿を魚に変更してもらったが、もちろんロナウドとブルーゴは2皿とも肉をチョイスしていた。


「それにしても、少し強くなったか?」

 ブルーゴが目を細めて私たちを見る。


 かつて戦ったときは、私とロナウドの2人がかりでかろうじて優勢。途中で邪魔が入ったからお開きとなったが、まず尋常の強さではない。

「どうかな。あれからそれほど強い魔物とは戦っていないが……」というロナウド。


 平和になったとはいえ、討伐依頼は減らない。そして、冒険者として自分より強い魔物の討伐依頼を受けることは現実にはあまりない。経験不足の冒険者か、あるいはどうしても退けないような事情がある場合、……そして自ら冒険をしようという者だけだ。

 自分たちはどうだろうか、と問われると咄嗟に答えは出せない。ともあれ、トレーニングは欠かしていないが、どうだろう? 強くなっているのかな?


「まあ、俺様も弱っちい奴らばかりでつまらなくてなぁ……。加減したつもりでも、ついつい力が入っちまって、こないだもうっかり城の外壁までぶっ壊しちまって……」

「獣王らしいな」

「しかもだぜ。そん時、ちょうどレオニールとか言う奴が魔王様の彫像を作ったとかで持って来てたらしくてなぁ……。謁見前に宰相のカロンがその彫像を預かったらしいんだが、振動で倒れ、その拍子で一部欠けちまったらしい。あわてて接着剤でくっつけたらしいんだが……」


 レオニールといえば有名な美術家だ。美しく均整の取れた肉体美を表現した彫像が有名で、教会関係者から王族、貴族、果ては裕福な商人まで、彼の作品を買い求めたり、作成を依頼するという。

 ちなみに実家のエントランスにも彼の手による天使像が飾られていたっけ。


 そんなことを思い出しながら、私はフルート・グラスに入れられた琥珀色のビールに口を付ける。


「――謁見の時にわかったんだが……。その時にカロンの奴め、逆さ向きにくっつけたらしい。ちん○んを」


 っんぶ。


 慌てて口を引き結んだが、ちょっとだけビールを噴き出してしまった。ハンカチで口を押さえ、どうにか口の中のビールを飲みこむ。

「んうぐくく。くく、くくく」と忍び笑いをこらえるのが苦しい。横を見ると、ロナウドも腹を押さえ、まるで喘息になったようにヒイヒイ言いながら笑いをこらえていた。


 ちょっとやめて! こんな時に笑わせるのは!

 っていうか、なぜ魔王の裸体像なんて作る。そのセンスがわからない。


 涙混じりの眼でブルーゴを見るが、獣王は気にしていないようだ。


「それに気が付いたレオニールが驚いてなぁ。慌てて触るとポロリと落っこちて。それを見たフリージアのあねさんが笑い出して止まらなくなったらしい」


「じゅ……、獣王らしいな」

 どうにか復帰したロナウドがそう返していた。でもね、ロナウド。それ、獣王関係ないから!


 その時私たちの目の前で調理をしていたシェフも、笑いが止まらなくなったらしくて、別のシェフに交代していった。申しわけありませんとか言っていたけど、却って気の毒だったと思う。


 新しいシェフが熱したプレートにオイルを垂らし、そこにニンニクのスライスを散らし、鉄のヘラを器用に動かして香り付けをする。

 そこへ待望のニコマス牛のブロック肉を取り出して、目の前でカットをしてくれたのだった――。


 メインの肉は、フィレ、サーロイン、リブロースから2皿を選ぶ。言えばアラカルトから他の部位も選べるらしい。ともあれ私はリブロースを選んでもう一皿は鮑に変更したわけだが、柔らかくジューシーで、途中から「ヤバイヤバイ」としか味を評価できないほど美味しかった。

 あれはヤバイよ。肉も魚介も美味しいなんて、ずるいと思うのです。



◇◇◇◇

 食事が終わると、ブルーゴは上機嫌で、「またな」と言いながら自分の部屋に帰っていった。

 それを見送ってから、私たちもほろ酔い加減のまま部屋に続く階段を上る。


 岩をくりぬいた階段は思いのほか明るく。気分がよいこともあり、ロナウドにべったりすることにした。絡めた腕をギュッとして彼を見上げると、優しいまなざしで私を見つめてくれていた。

 それがうれしくてニコニコしながら一段、また一段と階段を上り、自分たちの部屋へと戻る。


 部屋の扉を開けると、天井こそやや低いものの、テラスまで遮るものがない広い空間になっている。

 岩壁の前には大きなキングサイズのベッドが、反対側では低いチェストが壁代わりに空間を仕切ってソファのあるリビングスペースを作り出し、一番奥の壁がまるまるくりぬかれてテラスになっていた。


 テラスからはニコマス平原を大パノラマで見渡すことができるが、すでに夜のとばりが下りていて、今は平原の上に広がる美しい星空が見えた。きっと朝焼けや夕焼けの時は雄大な光景が見られるのではないだろうか。


 部屋に備え付けの浴槽は、そのテラスにあった。お風呂に入りながら星空やニコマスの自然を楽しめる。実にセレブリティあふれるお風呂だと思う。


 ちなみに目には見えないけれど、結界の魔道具によって空調も防犯も防音も守られている。覗き防止で外からは黒く塗りつぶされて見えるらしいけれど、それは説明を信じるしかない。

 まあ、大丈夫だろうけれど、室内からは丸見えであるように感じるので、服を脱ぐ時はかなり恥ずかしい。


 ふふふんと鼻歌をうたいながら服を脱いで、2人でお風呂に浸かった。


 お湯は白濁していて、かすかに硫黄のにおいがする。なんでも血流がよくなるので、冷え性や肩こりに良いらしく、なんと美肌になるとか。飲んでは便秘や通風に効くらしい。


 金属類は腐食して黒くなるから外して入るように言われたが、個室なので問題なし。そういえば、ロナウドはちょっと便秘気味といっていたからちょうどいいかもね。


 2人並んで景色を楽しみながら楽しむお風呂は最高だ。

 自然の真っただ中で、開放感あふれる温泉。大燭台の明かりに照らされた洞窟ホテルの室内。

 野生に帰ったかのような気持ちになりながらも、身も心も温まり、優しくもロマンチックでお洒落な時間が流れていく。


 ふと見ると、ロナウドが浴槽の縁で組んだひじの上に頭を乗せて、景色を眺めていた。急にいたずら心が湧いてきて、がばっとその上から伸し掛かる。

 なんだぁとロナウドの戸惑い声を聞きながら、私は――――。


 その後のことは想像にお任せしましょう。




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