3.クランジュ(マナス王国西部州州都)
私の後輩にして親友のフリージア・キプロシアは、魔王アキラの妻である。
西部州の総督の娘から一転して奴隷として運ばれ、私たちが救出した後は孤児院に。そして魔王に迎えられ……と、波瀾万丈な人生を送った彼女であるが、今は幸せで、かつ
繰り返そう。
にぎやかな、ではない。騒々しい毎日、だ。
なんでも魔王の部下が様々なアクシデントを起こすらしく、それに彼女もしょっちゅう巻き込まれているらしい。
とはいえ、時折とどく彼女からの手紙には、そんな日々の愚痴が控えめに書かれているものの、文面を通して幸せそうな彼女の表情が想起されるので、きっと楽しい毎日を送っているのだと思う。
その彼女の実家であるキプロシア家が総督を務めていたのが西部州であり、その州都がクランジュである。
かつての内乱で焼け落ちた宮殿も復興が進み、人々の生活も街の活気もかつての賑やかさを取り戻している。
夏から秋にかけて、私たちはクランジュに滞在しながらギルドで依頼を受ける日々を過ごしていた。
夕陽に照らされて黄色く色づいた木々が燃えるような色に輝き、女性たちが家路を急ぐ時間帯。私とロナウドは、クランジュに20ある共同浴場の1つに向かって石畳の道を歩いていた。
この共同浴場の歴史は古く。マナス王国が成立する以前の古王国時代から続く施設でもある。内装の入れ替えや補修工事こそ幾度もされているが、基幹部分は昔のままだという。古王国の技術レベルが、いかに高いものであったのかがわかる。
それはともかく、男湯の方に入っていくロナウドに手を振ってから、私も女湯の方に入った。
狭い通路を通って、受付のおばさんに入湯料を支払い、そのまま脱衣場に向かう。多くの女性が同じように脱衣場で服を脱いでいたり、湯上がりのおばちゃんがベンチに座って身体の熱を冷ませながら、おしゃべりに
靴を脱いで、すのこに上がり、空いている棚を見つけて、そこに私のお風呂セットを置いた。中身は着替えのほかに、身体を洗うブラシに洗髪料に石けんと、大小のタオルが入っている。それと、とある理由があって、今日は香水の小瓶も持って来ている。
マフラー、コートを脱いで軽く畳んで棚に置き、つづいて胸当て、革のジャケット、ブラウスと順番に脱いでいく。
先日の討伐依頼で油断して負った肘の打撲痕も、直後の応急手当が良かったからか、もう色が薄くなってきていた。
脱いだ衣類をまとめて袋に入れ、着替えの入った袋の中に入れ、名札のついた紐で縛って口を閉じる。
髪を軽くまとめて後ろでまとめ、お風呂セットを持てば準備は完了。浴室に続くドアを開ける。浴場は天井が高く、奥行きがあって広々としていた。
大きな浴槽に、広い洗い場。あちこちに石の彫像がおいてあって、湯気が充満している。女性同士でおしゃべりする声に、子供たちのにぎやかな声が反響していて
脱衣場の壁にも書かれていたけれど、ここの共同浴場では身体を洗ってからお湯に浸かることになっている。
おそらく衛生のためだと思う。ここは大多数の人が利用するのに、頻繁にお湯を入れ替えられないだから、疫病の発生を防ぐためにそのような入浴方法になっているのだろう。
洗い場には特徴があって、お湯が入っている細長い
……たまに衣類を洗っている人も見かけるけど、あれは大丈夫なのだろうか?
つい2日前に月のものが終わって、昨日は念のために身体を拭くだけに留めていた。きっと今晩はロナウドに求められると思うので、身体をちゃんと洗って、汚れは落としておきたい。
ちなみに、持って来た香水の小瓶は、お風呂上がりに下着につけるためのものだ。
抱かれる時って、雰囲気に流されて勢い任せの時もあるけれど、事前に予想がつくときはちゃんと手入れをしておきたいのよね。
……とまあ、ちょっと恥ずかしいことをここに書いておくのは、男性諸君にもこうした女性の気持ちを知っておいて欲しいからだ。
それはともかく念入りに身体を洗った後は、お風呂セットを浴場にある棚に置き、タオル1枚を片手に湯船に向かう。
プールと見まごう長方形の浴槽。
他の都市にある共同浴場の場合は、単に普通の水を温めている場合もあるけれど、ここは
子どもにはちょっと
身体が火照ってきたと思ったら、お湯から出て近くのベンチに座ったり、別の浴槽に用意された水風呂に入る。
「あら、久しぶりね」
と声をかけられて顔を上げると、そこにはここ半年の共同浴場通いで仲良くなった20代半ばの女性がいた。この浴場からすぐそばのパン屋の娘でロゼッタさんという。
綺麗な金䯭のほっそりとした女性で、彼女自身は無自覚のようだけれど、彼女のファンだという男性も多い。ちなみに、これはロナウド情報。
「今日はもう上がりなの?」
「ええ。今日も昼過ぎには全部はけたから、早めに来たんだ」
パン屋は朝こそ早いものの、だいたい昼過ぎにはフリーになって、夕方以降は店として契約している食堂に卸すくらいだという。
ちなみに私もナッツとレーズン入りのパンを買いに、よく彼女のお店に行っている。パン生地はやや密度のあるパウンド生地で、蜂蜜も練り込んでいるみたいでしっとりとした甘みがあって美味しい。私のお薦めだ。
どうやら魔王アキラが様々な料理に注文を付けているようで、最近はパンの研究も盛んになっている。甘いパン、しっとりとしたパンなど多種多様なパンが作り出されていて、どれにしようかと迷うこともよくある。幸せな悩みだね。
思い出したら食べたくなってきたので、明日にでも買いに行くことにしよう。
さて、今日は夜のこともあるから早めにお風呂から上がることにした。
もう出るのと聞いてきたロゼッタに訳を話すと、笑って「ごちそうさま」と言われた。けれど、彼女もお付き合いしている男性がいると聞いているからお互い様だろう。
脱衣場で汗が引くのを待ちながら、ゆっくりを髪をタオルで抑えて水気を取る。ドリンクを売っているところがあって、そこで冷たい牛乳を一本買って飲んだ。
蓋を開けてごくごくと飲むと、よく冷えてまろやかな牛乳が身体の中に染み渡っていく。お風呂上がりの一杯は格別に美味しい。
服を着てから外に出ると案の定、ロナウドは先に上がっていて、近くの壁にもたれかかって待っていてくれた。
まあ、女性は支度に時間がかかるので仕方がないのです。
「ごめん。まったよね」と言うと、ロナウドはいつものように「そんなにでもないさ」と言ってくれる。
「そこでご飯を食べていかないか?」
「いいけど。ん~、今日は温かいものがいいな」
「はは。じゃあ、何か探そう」
街中の共同浴場の良いところは、近くにたくさんの飲食店があることだ。ロナウドに手を引かれるままにゆくと、一軒の半屋台のようなお店に連れて行かれた。
ここには何回か来たことがある。屋台は屋台なんだけれど、ぐるっと囲むようにイスが置いてあって、さらにその外側に風よけの衝立が設置してある。入ってみると場末の居酒屋っぽくて、結構好きだ。
すでに多くの人々が飲み食いをしているなかを、どうにか2つの席を確保して並んで座る。ちょうど目の前には、白いぷりぷりしたものが浮かんだ大鍋があった。
「これは?」
「お嬢さん。今日はもつの大鍋だよ」
その白いぷりぷりしたものは、牛の小腸でモツと言うらしい。透明な綺麗なスープに、白いモツと一緒にたくさんのニラと、スライスしたニンニク、それと赤い鷹の爪が浮かんでいて、すごく美味しそう。実はこれも魔王の発案した料理だという。
「じゃ、2人分」とロナウドが言うと、屋台のおじさんが「はいよ!」と元気に返事をしてドンブリに大鍋から
合わせるお酒は、その名も「魔王」
なんでもお米を使ったお酒らしく。ここ数年で人気が出てきた銘柄だ。
スープを一口すすると、澄んだ見た目に反して塩で味付けされた奥深い旨みが口に広がる。かすかに香るのはニンニクだ。途端にお腹がぺこりと減った気がする。
スプーンでモツを1つすくって口に入れると、不思議な食感と同時にじゅわっと得も言われぬ旨みが。スープと相まって思わず頬がゆるんでしまう。
「おいしい!」「うまい!」
2人の言葉が重なると、おじさんが笑った。
魔王の発案したお鍋に舌鼓を打って、魔王というお酒をいただく。
うん。フリージア。美味しいよ。
胸のうちで親友に報告。――今夜は魔王・魔王妃両陛下に乾杯しよう。
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