2.ラブノー温泉(マナス王国西部州南部ロス・デグラカレス地方)
すっかり温泉が気に入った私たちは、せっかくだから各地の温泉を回ってみることにした。
祖国マナス王国は魔王アキラの支配下にあるけれど、かの魔王の統治は公平で極めて文化的。細部はマナス王国時代と同じく各地の領主に任されているが、領主も民衆も概ね魔王の統治には大きな不満はなさそう。
そうそう。魔族領には魔王が作らせた温泉郷があるとか聞いたことがある。いずれはそこにも行ってみたい。
ともあれミスラ温泉から西の方。西部州州都クランジュに向かう街道を上っていくと、ロス・デグラカレス地方の美しい自然の中、林の間に小さな集落ラブノーがある。白い漆喰の壁に木の柱や梁がまるで木枠のようで、素敵なデザインの家々だ。
外側を覆う柵こそあるが、集落内にも集落外と同じ樹木がいくつも植えられていて、あたかも林と集落とが一体となったようなリゾート地となっている。
ここの名産はシェーリッシュと呼ばれる白ワインの一種と、乳製品。あとは白地に黒のコントラストが綺麗な民族衣装が有名だ。
なんでも、動物の角を利用した笛の演奏で踊るダンスがあるとか。
乗合馬車を降りた私とロナウドは、降車場にいた乗合馬車ギルドの人にお勧めの温泉宿を尋ねてみた。
ところが、ここの温泉は脱衣場が設置してあるだけで、宿が併設してあるわけではないらしい。それならばと、料理の美味しい宿を紹介してもらった。
案内されたのは、「リュネージュ」という可愛い宿だった。部屋数は8つで、木の爽やかな香りが心地よい。冒険者が利用するにはやや高めの値段だけれど、それでも女性冒険者には人気なほか、商人や時には貴族までもが利用することもあるそうだ。
さっそくチェックイン。大きな時計がコチコチと時を刻んでいる音のほかは静かで、落ち着いた空気がただよっている。
ダイニングの奥には立派な暖炉もあって、なかなか雰囲気が良い。
上機嫌で部屋に入ると、レースカーテンごしに差し込んだ光が柔らかく、白とブラウンとベッドシーツが品の良さを感じさせる内装だった。
ロナウドはちょっと気後れしたみたいで、
「なんだか貴族のお屋敷みたいだな」
と苦笑いを浮かべているけれど、どうかな。こういう部屋のあるところもあるだろうけど、いかんせん部屋の広さがね……。
まあ、それはともかく、まだ昼間だけれどさっそく湯場に行くことにした。
ラブノー温泉は集落の北側の林のなかにあるけれど、ここは男女別にはなっていないばかりか、周囲を覆う壁も無く、言ってみれば自然のプールのような温泉だ。入る際には共通の湯着を着る。そういえば部屋にシャワー室があったけれど、身体を洗うのはそちらでということなのだろう。
脱衣場で湯着に着替えて浴場に出ると、森林の匂いに包まれて開放感があって気持ちが良い。まるで森の妖精になったような気持ちになりながら、足からお湯に入った。
遅れてロナウドがやってきて、私の隣に入る。「遅かったね」ときくと、剣をどうするかで迷っていたと言う。
確かに冒険者として街中でも剣くらいはさげているのは当たり前だし、ここは集落を覆う柵に近いから心配になるのはわかる。結局、浴場に持ち込むまででもないと判断し、脱衣場においてきたらしい。
私たちの結婚式の時に授かった聖剣は、かつて王国に伝承されていた聖剣と異なり、なぜかロナウド以外には持ち上げることすらできなかったので、こういう時には盗難を考えなくても済む。
私の宝杖クレア―レも、
開放的な温泉には、私たちの他にも少年少女たちのグループが来ていた。10代半ばの男の子や女の子が湯着を来て、まるでプールのようにはしゃいでいる。
それを微笑ましく思いながら、私はロナウドと並んでお湯の中に沈められている削った岩のイスに腰掛けた。
ちょうどお腹まで浸かるくらいの深さで、長風呂をするのには丁度よい。ここのお湯はやや白濁した湯で、手ですくって肌に掛けると、それだけでお肌がキュッキュッと音を立てる。顔に掛けるととてもさっぱりした気分になった。
湯温はぬるめになっているが、温泉のはしっこにパイプから水らしきものが流し込んであるので、季節によって温度を調整しているのだろう。
昼はプールみたいだけれど、おそらく夜は夜の表情があると思う。ともあれ私たちは早めに温泉から出て宿に戻った。
途中でお洒落な雑貨屋を見つけ、素敵なカーディガンがあったのでペアで購入。なんでもこの集落独自の編み方で作ってあるらしい。
これから夏になる季節にそぐわないけれど、秋が来て色づいた林道を、このカーディガンを着たロナウドと一緒に歩く光景を想像したら、どうしても買わずにはいられなかった。
ゆったりとした時間を過ごしながら、宿に戻り、ダイニングで午後の紅茶をいただく。スコーンに付いていたリンゴジャムがほどよい酸味でとても美味しい。これもここの産物だというので、出立する前に1瓶買うのを忘れないようにしたい。
一度、部屋に戻り、窓から外の景色を見ながら、今までのこと、これからのことをロナウドと話し合う。
そんな2人だけの時間を過ごしていると、やがて外は斜陽に照らされたオレンジ色の世界となっていく。日没後の優しげな光。少しずつ暗くなるにつれ、家々の窓からは暖かい光が漏れる。あの一つ一つに家族の団らんがあるんだなと思うと、感傷的な気持ちになった。
ロナウドのお腹が鳴ったのでクスクス笑いながら
夕飯のメニューは宿のお任せになるらしく、ひとまず特産のシェーリッシュを頼んだ。さっぱりした辛めのものから甘口まで種類があるらしいけれど、
小さなグラスとともに出てきたシェーリッシュは、白ワインとは名ばかりのややブラウンの色合い。ブランデーのような舌触りで、とろりとした甘い味に少しのリンゴに似た酸味が合わさった逸品だった。
「うまいな」
ぽつりと言うロナウドにうなずきつつ、前菜として出てきたウィンナーの盛り合わせにフォークを刺した。
やがて奥から運ばれてきたのは、脚の付いた鍋と、肉や魚、野菜にパンを載せた大皿だった。テーブル中央に置かれた鍋には、熱々のチーズが溶けており、なんでも細長いフォークに一口大にカットされたパンなどを刺し、このお鍋のチーズに絡めて食べるらしい。
チーズ好きな私にとってはテンションの上がる料理。続いて頼んだ辛めのシェーリッシュともよく合う。
ロナウドも珍しい食べ方に興味を持ちながら、美味しそうに食べていた。
他のテーブルにも宿泊客がやってきた。商人の親子2人、貴族らしい家族連れに女性冒険者のグループ。彼女たちもそれなりの高ランクのようで、粗野に騒々しくするような気配は無く、どちらかというと女学生の集まりのような明るい雰囲気だった。
気持ちもお腹も満たされた気持ちで、細身のグラスのシェーリッシュを飲み、ほろよい加減でロナウドを見てエヘヘと笑みを向ける。
ロナウドは、なにやってんだこいつ、と言いたげな表情だけれど、その目はとても優しげだ。
ああ、なんて幸せなんだろう。そんなことを思いながら、ラブノー温泉の素敵な夜は深まっていった。
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