第44話

 目を覚ますと見知った景色が目の前に広がっていた。

 前世の家の庭。



 ――――目の前には……まるでビロードの様な深紅で大輪の薔薇。



 勇のようだと思っていた薔薇。

 ……ルーの様だとも思える薔薇。



 何故だろう、ルーは……私の知っている勇より曼殊沙華が似合う気がする。

 訳が分からず混乱する。



 それを今思ってしまう理由。

 ――――夢の中で聴いた勇の声だとより重なると感じるのは……毒々しい彼岸花と血の滴る様な真紅の薔薇。



 目を閉じる。

 ……赫怒の怒りに染まる世界。

 最後に見たルーの瞳。

 ……綺麗だけれど同時に禍々しい真の紅。

 勇の瞳は――――



「瑠美は人がよすぎる。自己犠牲ばかりだ」


 唐突に聞こえてきた声は――――勇の声だ。

 まだ声変わり前の声。

 ああ……私が暴力を振るわれた後の声だ。



 当時の私は驚いていた。

 勇が珍しく怒っていると。



 出逢った頃より身長が伸びたけれど、まだ幼い勇と目線がそう変わらない私のこの身体は……どうやら子供の頃のモノらしい。


「そうかなぁ……結構自分では我が儘だと思うけれど」


 そう、この時のケガは……ケガは――――誰に付けられたのだったろう……?

 分からない事に愕然となる。

 私は少なくとも自分を傷つけた相手を忘れる程能天気ではないはずだ。

 何より勇にしっかり確認されてしまうので記憶は確実に定着しているのが常。



 ……けれど、相手が分からない。

 勇の年齢から察するに小学生になるかならないかといったところだろう。



 ――――勇に黙って出掛けた事がある。

 でもあれは勇が迎えに来てくれて……



 ――――……違う。

 勇に黙ってはもう一度。

 あれは確か――――



「どこが?」


 割り込んでくる勇の声は、私の記憶の再生を邪魔するようなタイミングで……思わず目が瞬いた。

 ……ただ、誰と出掛けたのかが思い出せない。

 重い緞帳の先に答えがあるのは分かるのに、微塵も幕が上がる気配がしないのだ。



 あの当時、私が勇に言わずに一緒に出掛ける相手。

 それは――――



「えっと……うん。全体的に……?」


 どうやら私も幼い姿になっているのだろう予測は当たっていると思う。

 自覚してみれば周囲の全てが大きく見えている。

 ……子供の目線だ。

 現在もあまり変わらないかもしれないけれど。

 ……身長だけはもっと欲しいと思うのだ、純粋に。


「……私は、何をするのも選択するのも自由だと思っている。責任を自分でとれるなら。だから瑠美の両親は嫌いだ。つけを瑠美に支払わせている」


 昔と寸分違わずの勇の声。

 ――――けれどこの会話は覚えが無い。

 それこそ微塵も。



 私が勇との会話を忘れることなどあり得るだろうか……?

 いつも一緒だったけれど、勇との会話は私には宝物。

 忘れることなどあり得ない。



 ――――舞ちゃんに、”それはちょっと人間技じゃないと思う”と言われた事があるのを唐突に思い出した。



「……そうなの……?」


 まるで自動再生されている様に、先程から私の意思とは関係なく言葉が紡がれている。

 過去の事だからなのだろうか……?

 けれど今まで夢の中で過去の身体に入った事等なかった。

 いつも上や横からその光景を見ているというモノばかり。



 この状態は一体どういう事なのだろう……?



「そうだ。君に、怒りは無いのか? 絶望は? 恨みは?」


 急に、勇の声の調子が変わった。

 いつもの勇ではない。

 私を責め立てる様な響きを勇がした事は皆無だった。



 何より――――声の感じが変わってから勇の気配はするけれど、別のナニカが色濃くて眉根を寄せる。


「……貴方、誰?」


 まるで自動再生人形と化していた私に身体の自由が戻ってきていた。

 だから思わず訊ねてしまう。

 勇の姿をしているけれど、最後に訊いてきたのは……勇じゃない。



 私が問いを発した後、その勇の姿をした誰かは……顔を気味が悪い程に歪めて嗤った。

 ケタケタと、私を愉し気に見詰める。



「誰だってさ、人には見せない面ってのはあるんだよ。隠していたりね。見せる面を人によって変えるなんてのもよくある事」


 嘲笑を滲ませて私を見つめる勇の姿で勇ではない誰か。

 その姿でその表情を向けられるのは……思った以上に堪える事に気が付いて自分で自分に驚いた。



 言葉も……勇の事を言われている気がして、自分の無知さが腹立たしい。


「へえ……? 君って惨酷だよね、相変わらず。こっちはそいつじゃない今の君の周りの連中の事言ってるんだけどなあ」


 そこで言葉を切ってこちらを観察している誰かは、自己嫌悪している私を愉し気に嘲笑した。


「ま、論より証拠。体感してきなよ……君が見ていたのは――――綺麗な所だけだって」


 声が終わった瞬間、意識が遠くなる。

 底無し沼に沈んで行くように私は眠りに墜ちていくのを感じて、手を伸ばす。



 勇の姿をしていても、確かに勇じゃない誰か。

 それでも勇の姿が遠ざかる事が私には――――


「……ああ、質問がある。結局……君にとって、最も特別で、大切なのは――――誰だい? 」


 ブツリと意識が断ち切られて何も分からなくなった。

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