第35話
炎を無心にただただ見詰めている。
ゆらゆらと揺れる炎を見ているだけで、心が少しずつ落ち着いてきている気がしていた。
今日はただでさえ落ち着かなくて、絞り出した脳味噌さんに従い湖に癒しに行った結果、更なる心労が加算される事態に心は悲鳴を上げているらしい。
炎を見ていると段々鎮まっていっている……気がする。
湖からどうにか足取り重く戻ってから、残っていてくれていた加奈ちゃんに直ぐ話をした後、彼女は驚愕に固まった表情だったけれど、それでも私に言葉をかけてから自分のテントへと戻って行った。
……ギュンターに言われて尤もだと思ったのだ。
彼の言葉を思い出しながら炎を見つめ続ける。
「良いかい。君に憑いている輩は、きっとこれもカードにしてくると思う。上峰加奈子と君との間に信頼関係があり、お互いに友情もあるというのは実に利用しやすい。だからだ、まず君が伝えるべきだ。考えを押し付けている様で申し訳ないけれど、その方が良いと思う。気が重いだろうけれど、絶対に君の口からアレより先に伝えなくてはいけない。それは君も分かるだろう?」
ギュンターは表情を引き締めているけれど、瞳には心配の色と親愛、それらを込めながら真摯に伝えてくれているのが分かる。
そして彼の言う通りだと私も思ったのだ。
自分にとって様々な意味で重要な事を知っているのだとしたのなら、教えて欲しいと思う。
見ず知らずの相手から突然知らされたら、信頼していた相手が知っているにも関わらず教えてはくれなかったことまで告げられたなら、その教えてくれなかった相手に不信感を抱く可能性だってあるだろう。
否、疑念を抱くのが普通、なのかもしれない。
そしてそれは信頼感への亀裂を生じさせる一手になる。
結果、私に憑いているという存在にとって有利になるという。
……私に憑いているという存在は、一体何がしたいのだろう……?
おそらく、あの夢の中の禍々しい声の主、なのだと思う。
少年の様な声。
愉悦に滲んだ声。
彼が知っていて、私が知らない事。
まだまだあるのだろう。
能天気に、無知に、恥知らずに。
無頓着なまま彼の側にいた私は何も知らない。
――――ギュンターも、おそらく知っているのだ。
言っていたから。
まだ知りたい事があるのならいつでもおいでと。
本来交わらないはずのギュンターと私との間に縁が今回出来た特異な状況下だから、彼も私に逢えるのだという。
ギュンターは、私よりも勇の事を知っていた。
そして間違いなく私に憑いているという存在もそうなのだろう。
――――私は、本当に何も知らなかった。
勇に守られていた事さえ知らなかったのに、勇がどれほどの覚悟で私の側にいたのかさえ知らなかったのだ。
知らなかったからというのは、免罪符足り得ない。
無知も罪だ。
未必の故意だなどというのさえ生ぬるい。
今、勇は一体……
あの夢が、不吉な予感しか想起させない。
私が、先に死んだから……?
それとも、死に様が――――
……――――ふと、前世で死んだ時の事が脳裏を過る。
この期に及んでかもしれないけれど、自分の記憶に違和感を感じた。
私を殺したのは従姉妹の英里。
そのはずだ。
年齢が違うのは置いておくにしても、彼女が、私を殺した……?
何故、今更それが気になるのだろう。
違う違うと心が大声で喚いているのだろう。
死んだ時に彼女が側にいたのは確かだ。
だが……
――――私を貫いたのは何等かの長い刃、だったろうか……?
どうしてそれが気になるのだろう。
何故それに違う違うと私の内側は叫ぶのだろう。
……同時に、知らない知らないと泣き叫ぶ魂に困惑する。
――――何故、カタカタと私の全身は瘧さながらに震えているのかさえ分からない。
……吐き気がする。
何か思い出してはいけない気がする。
触れられるのが、否、触られることに激しい拒絶を抱くのは……
――――嗤っている英里。
これは間違いない。
彼女はとてもとても愉しそうに嗤って――――
愉悦に滲んだ眼差しも、声音も、あまりにも鮮明だ。
ただ、彼女が何を言っていたのかの大半は記憶にない。
それはそれは嬉しそうに、彼女は狂笑していた。
もう子供は産めないと、凶笑していた。
粘り付いた様な、歪な嘲笑。
――――そうだ。
彼女は、私の顔を正気とは思えない喜悦を瞳にも表情にもありありと浮かべて覗き込んでいたけれど、上には――――……
――――……果てしない底なし沼に堕ちる様に心が沈んでいく、沈み込んでいく。
勇……勇! 勇、私……――――
「ちょっと大丈夫!? ほら、ゆっくり息を吸って、吐いて、もう一度ゆっくり吸って吐いて!」
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