第150話 閑話

 いつの間に寝たのだろう……?

 おそらくこれは夢の中、だと思う。



 暗闇をひたすら墜ちて行っているのだから、この頃よく見る前世での記憶、だろうと予測する。



 何かから逃げているのか、大切な事だからなのかは分からないけれど、きっと私に必要なのだろと納得させる。



 幾つかの光の膜を突き抜けた後、目的はこれだとでも言うように、目もくらむ程の光に包まれた。



 目をどうにか開けて周りを見てみる。

 ああ、前世の例の事件があった後、退院してだいぶ落ち着いた頃合い。

 ようやく勇から許可が出て、朝早く一緒に散歩した時に気が付いた、ゴミの集積場。



 私に待っている様に言ってから、珍しく一人で先に行ってしまったのだ。

 角を曲がって勇の姿が見えなくなってから、何か胸騒ぎがして、勇に言われた事を破って後を追った。



「……勇、何をしているの……?」


 ゴミの集積場から血臭が立ち込め、ドロドロとした嫌な気が立ち込めている。

 禍々しい死臭も充満していて気持ちが悪くなるのを必死に耐えた。



 それ程の毒々しい場所の中、不思議と膝をついた勇だけがクリアに見えて困惑する。


「ああ、子猫が死にそうだから、殺している」


 何でもない事のように返してきた勇に咄嗟に声をかけた。


「ま、待って! 」


 勇が典雅に立ち上がりこちらを見る。


「何だ?」


 その足元、黒いゴミ袋に入っている物体から、どうしようもなく危険な何かが漂っていて不安が湧いてくる。


「…………全部、殺した、の…………?」


 分かっているのに思わず訊ねていた。

 もう命が絶えているのは見なくても確信していたのに……


「そうだが?」


 当たり前の様な声音。

 無機質な表情。

 いつも通りで何も変化は無い。



 ――――そのことが、たまらなくなって言葉を続ける。


「……どうして……?」


 勇は無感動に吐き捨てる。


「虐待されて全部死にかかっていた。助からん。もう半分魂が出ていたが、肉体がまだ持つから死ぬに死ねない。この方が楽だろう。復讐したいなら好きにすればいい」


 それは、私に言っている様で、子猫たちに言っているのだと分かってしまったから。


「……勇は、余計に苦しまない様にしたのね。ありがとう、勇」


 ゴミ袋の前にしゃがみこみながら、静かに勇に感謝を告げる。


「……何故瑠美が礼を言う。普通は私を非難すると思うが」


 不可解そうに私を見下ろす勇に苦笑しながら言葉を返した。


「そうかもしれないね。でも私は、それを分かった上で実行出来る勇は凄いと思うよ。ありがとう、勇。私に出来るのは、この子猫達が安らかに眠れる様に、お墓を作る事、かな……」


 私に出来る事は少ない。

 勇のように苦しまなくて済む手段を私はとれないだろうと思う。



 ――――どのような状態でも、命を奪う選択がどうしても出来ないのだ……



 だから、いつも勇にばかり迷惑を掛けてしまう。

 ……本当に、どう恩を返して良いかが分からない。

 感謝してばかりで何も返せてはいないのだ。


「死んだらそれまでだ。墓に意味があるのか?」


 突き放す冷たい言葉に息が止まりそうになるけれど、それでも真摯に答えたいと思った。


「……魂があるのなら、せめて最期は優しいと良いなぁと思って……うん、この子猫達は、最期に勇に逢えて良かったと思うよ。苦しませない様に、子猫達の事を考えてくれる人に出逢って……私には、最期まで側に寄り添って撫でて、少しでも痛みを和らげたらとか、独りにしないとか、そういう事しか出来ないから……病院で痛みを取り除けるならそうしてから側に寄り添えたら寄り添いたいけれど……お墓を作るのは生きている人のエゴなのは分かっているの。それでもせめて魂が安らぐように祈る場所があったらなぁって……」


 自分の無力さが情けない。

 治す事も楽にすることも出来ないのだ。


「埋葬した後お墓を作ってどうか安らかにと祈るのもダメなのかな……」


 ポツリと言葉を続けたら、勇が酷く忌々しそうに吐き捨てた。


「瑠美はそれだから有象無象が縋り付く」


 その、毒に塗れに濡れ歪めた表情にも目を丸くする事しか出来ない。


「……え?」


 激しい怒りを内包した表情と声音に困惑も湧いてくる。


「寂しい輩、寂しいとさえ気が付いていない輩、藁にも縋り付きたい輩には瑠美が手を無償で差し出す行為は猛毒だ。縋りついて離れまい。しかも瑠美は腕を引き千切られても殺されても引きずり込まれても、一切相手を恨まないときた」


 勇の瞳が炯々と黄金と真紅に染まっている様な気がして混乱も併発。


「勇……?」


 底知れない怒りも感じてどうして良いかが分からない。


「喰い物にしようとする輩にとってもな」


 これで仕舞というように一番毒々しく吐き捨てた。


「……ごめんなさい……」


 思わず謝ってしまう。

 おそらく私が悪いのだ。

 そして勇は私のそういうところを心配しているのが分かるから。


「瑠美が謝る必要は無い。瑠美は悪くない。寄ってくる輩が目障りなだけだ」


 そう言った後、目を眇めて呟く勇。


「……面倒だな……」


 何を見てそう言ったのかが分からないから、勇の名前を呼んでいた。

 私かもしれないと思うと、申し訳なさばかり湧いてくる。


「……勇……?」


 勇は表情を緩めて私を見詰める。


「瑠美がじゃない。まあ、瑠美が墓を作るなら、こいつらは痛みと憎悪、絶望から癒されて悪霊にもならんだろ。思うに、瑠美の側に居るようになるかもな。成仏するより、瑠美の側は温かいから。いいのか?」


 どこか面倒そうな勇に思わず笑みが漏れてしまった。


「それは構わないし、癒されるなら嬉しいけれど……」


 心からそう思う。

 少しでも楽になるのなら否やは無いのだ。


「……瑠美なら、こいつらを見たら悲しむと思った。ずっと死ぬまで側にいて世話をやくだろうと……――――それが嫌だっただけだ」


 勇は瞳を伏せて心底腹立たしそうに呟いた。


「……それでも、どんな気持ちだったとしても、してくれた方には関係ないよ。少しでも早く痛みから解放されて、良かったと、思う」


 何もしない善より、実行する偽善の方が私は好きだ。

 ――――私が偽善以前に出来ないから、もあるのだろうけれど……


「……どうやらそうらしい。忌々しいな……」


 何かを見ているらしい勇は激しく苛々している。


「……勇?」


 勇の不機嫌の理由が分からないから当惑しきり。


「気にしなくていい。で、墓を作るんだろう」


 勇は表情を優しいものに変えて私を見詰める。


「はい!」


 嬉しくて元気に返事をしていた。

 勇が私の気持ちを尊重してくれるのは本当に心が温かくなるのだ。


「何故元気に返事なんだ」


 呆れたように私を見詰める勇。


「勇が手伝ってくれるから、かな」


 そう、勇と一緒に何かをするのが本当に楽しいし嬉しい。

 子猫が安らいでくれるのなら更に喜ばしいけれど……


「……図にのるが」


 ボソリと無表情に呟いた。


「……え?」


 聞き返すとどこか嬉しそうな勇が答える。


「独り言だ。運ぶぞ」


 そう言って、勇は子猫が入っているらし先程より禍々しさが不思議と失せているい黒いゴミ袋を持ち上げた。

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