第146話
闇が凝ったようだと思った。
暗い室内の中、白皙の妖艶な神域の禍々しい美貌と、血の滴る様な不吉で危険な真紅と黄金の瞳だけが浮き上がって見える。
窓からは月明りだろう、赤い不気味な光が入り込み、余計に不穏さを加速させている気がした。
いつもより、ルーから感情を感じる事が出来ずに困惑する。
無機質な濡れた瞳が凶暴な光を放っている気がして戸惑う事しか出来ない。
身体の奥の方から絶え間なく警報が鳴り響いているけれど、それはため息一つで放り捨てる。
うん、大丈夫。
あそこに居るのはルディアスなのだから、例えどうなっても構わない。
怖がるや拒絶するという選択肢は端から無いのだ。
だから、本能が止めたがる足を意志で強引にねじ伏せ、固まりそうになる表情筋を無理やり動かし微笑みながら歩み寄る。
「びっくりした。どうしたの?」
反応一つしないルーに、何故か身体は逃げたがるけれど無視をする。
「もう。だめじゃない。此処は女子寮よ。男子禁制です」
いつも通りを心がけ、話しながら近づく。
「ルー、何かあったの……?」
手が届きそうな距離に近付いて、固まっている様なルーの頬に片手を昔ながらの慣れた動作で伸ばした。
けれど……
「ルディアス……?」
頬に触れる寸前、ルーが私の手を唐突に掴んだ。
いつもならあり得ない事で、大切なルディアスを呼ぶ声は不安に揺れていた。
少し、ほんの僅か。
触れられるのも嫌なのならば、摑まれた手を引っ込めた方が良いかと動かそうとした時だ。
摑まれた手を強引に引っ張られ、瞬時に抱き上げられて強く抱きしめられていた。
ルーの首筋に私の顔がきているし、足は空中。
腕の力もいつもより強くて逃げるのは不可能だなぁと呑気に息を吐いた。
私の首筋に顔を埋めているらしいルーの吐息がかかる。
どうやら呼吸が荒い気がして困惑中。
「ルー、大丈夫? どこか悪いの?」
私が心配で訊ねると、ルーが低く皮肉気に嗤う。
「エルザは馬鹿か」
唐突に言われて苦笑しか漏れない。
「否定できないかなぁ」
久しぶりに聞いた気がするルーの声が嬉しくて、思わず微笑んでしまった。
「やはり愚かで馬鹿だ……何故逃げなかった……?」
ルーの声はいつもと違い酷く荒れていて危険な色を帯び、戸惑う事しか出来ない。
「ルディアスから逃げるという選択肢が私には無いから」
当たり前のことを伝える。
そう、それをするくらいなら、初めからルーの側に居ようとは思わない。
「……怖がりもせぬな」
確かにそうだ。
ルディアスを怖いと思った事も無い。
怖いと思う位なら、端から話しかけようとは思わない。
「拒絶も、された覚えがない」
ルーが吐き捨てる様に言うものだから、瞳を瞬かせる。
「……ええと、ごめんなさい」
それしか言えなかった。
――――私は、もしかしてルディアスに嫌われていたのだろうか……?
そう思い至ったと同時に、息が上手く吸えない。
胸は刃物でも刺されたように痛いのだ。
「……エルザは、どうしてそうなる」
吐息の様に告げられたルディアスの言葉に首を傾げる。
「あの、私の事が嫌いで疎ましいという話ではないの……?」
ルディアスが忌々しそうに吐き捨てる。
「ある訳なかろう」
それに萎んでいた心が素直に喜んだ。
「良かった。嫌われているのなら、もう近づかない様にしないとと思ったから」
ルディアスの荒れた声が響く。
「……近づかないというのならば、楽なのだがな」
ルディスの言葉は、今日は特に分かり難い。
「近づかない方が、良いの……?」
私の感情を表したかのように不安に揺れる声が漏れる。
「どうであろうな」
暗いルディアスの嗤う声がこだまする。
どうやら今までルーに多大に不快な思いをさせていたらしいと自己嫌悪。
気が付かなかった自分を殴りたい。
兎に角、諸々の私の感情や痛みは無視をして早急に私が出来る事。
息を吸っては吐いてを何度も繰り返し、私を拘束する腕から離れようと動いたと同時に、今までより強い力で束縛されて頭の中が大パニックだ。
「……逃れようとしたか?」
暗く嗤うルディアスは心底嬉しそうだ。
その事にも混乱する。
「……私がルーに近付くのが嫌なのでしょう……?」
私の返答の何がそれ程気に障ったのか、抱きしめられたまま顎を強く掴まれて顔を強引に覗き込まれた。
「……エルザは、私の側に居るのが嫌にはならぬのか?」
紅いはずなのに、どこまでも暗く輝く瞳。
浮かべている表情は、どこまでも皮肉気に歪んでいて困惑する。
あまりルディアスのこういう表情は見た事が無い。
先程までの無機質さとも違い、毒々しさがあふれている。
危険な不穏さと不吉さプラスに禍々しさはより色が濃くなっている気がした。
返答を間違ったら取り返しがつかないという確信はあったけれど、それでも目の前に居るのはルディアスだ。
いつもとどれだけ違っても、確かにルディアスだと思えるのは……
うん、私の直感でしかないという保証も何もないものだけれど、それでも、私にとってルディアスであるならば、返答はとっくに決まっている。
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