第145話
まるで現実感が無い。
すべてが幻の出来事の様な、夢の中なのではないかと思えてしまう。
暗闇の中で幻想的に真紅の桜の花弁はただただ散っていく。
湖に反射している全ての満月さえ、本来全て色が違うはずなのに統一された様に真っ赤で、不吉なのに美しい。
更に街の明かりが湖に映り込み、ますます現実の事とは思え居ない夢幻の中のよう。
兎に角みんなの側でディート先生に言われた通りの処置を施した後、力が抜けたようになって座り込んでいた。
大勢の大人達が桜の咲く島に上陸し、ディート先生が指示しているのもどこか遠い。
大人達はそろいの見た事がある様な制服を着ているなあと、頭の片隅で思いながらフリードをぼんやりと見ていた。
そう、皆が皆意識を失って倒れ伏す中、どうにか動けた事にどこかホッとしながら、座り込んだ私の隣で意識のないフリードの瞼を閉じた顔が苦悶の表情なのが気にかかる。
どこか夢の中の様な不確かさが私の脳内を占めていたけれど、それでもフリードが心配で、眉間によった皺に手を伸ばした。
けれど、いつの間にか桜の幹から移動したのか、ルーが私のフリードに伸ばした腕を掴んで離さない。
幻想の中を彷徨っているようだからか、それに上手く反応できず私は停止してしまう。
真紅の血の滴る様なルーの瞳に、懐かしい黄金が混ざっている様な気がしたけれど、それ以上は頭も体も起動終了の様でただただ座り込む。
だからだろうか、エリザベートやヨハネ教官、ディルクが何かの装置に包まれて運ばれていったのを呆然と見詰めていた。
記憶がある程度振り返る事が出来るのはそこまで。
ブランシェをはじめとした我が家の侍女達に連れられ、気が付いたら寮の自室だった。
お風呂に入れられ着替えも全てしてもらい、ベッドで天蓋を見詰める。
そういえば、ブランシェがお風呂のお湯を帝宮の温泉にしたのだと言っていた。
お風呂から上がる直前に冷水のシャワーを全身に浴びせてもらったから、どうにか意識が保てたのだとも思いながら記憶を掘り起こす。
確か、温泉というものは浄化や生きていくのに必要な心と体のエネルギーを補給してくれるのではなかっただろうか。
特に帝宮に湧き出る温泉はその効果が高かったはず。
それに冷水を頭から浴びるのは、簡易的な滝行代わりで浄化効果があったと思い出している。
……つまり、私は何か穢れを受けてしまったという事なのだろうか……?
お祖母様にもディート先生にも、それからアギロにもだ、そろって私に穢れに気を付ける様にと口を酸っぱくして言われていた事が脳裏を過る。
私はどうやら極端に穢れというモノに弱いらしいのだ。
その”穢れ”が何かを説明してもらった記憶もあるのだが、今は思い出せず煩悶とする。
ベッドサイドにおかれた桃のジュースでも飲もうかと起き上がり、どうにか飲み干し人心地。
中からすっきりした気がする。
不思議と、先ほどいた島に到着して間もない会話が思い出された。
リーナが一緒に待っている様にと言うから首を傾げている間、皆がお花見の準備を進めて行く。
シート自体は既に引いてあったけれど、お箸やらお皿やらカップやらを並べようとするのを手伝おうとしたら、リーナに止められる。
「良いの、良いの。エルザはここで大人しく待つ」
皆から離れているからだろう、リーナの口調は砕けたものになっている。
「でも、あの……」
リーナは苦笑しながら桜を見上げ、息を吐く。
「綺麗な桜だね。桜の散る中か……前世で友人とした花見を思い出しちゃったよ」
懐かしそうなリーナの表情を見ていたら、私もそう言えばと思い出す。
「私も、前世の友人と花見したなぁ……」
そして、その時の会話があふれてくる。
「加奈ちゃん、加奈ちゃんの基準で、恋愛感情を持つ人、好きな人ってどう思う人?」
初恋さえした事が無かったけれど、もし、恋をするのなら、愛するのならばの基準が話題になったのを思い出したのだ。
「……一緒に死んでも構わない人、かな」
桜を一身に見詰めながら、ポツリと囁く加奈ちゃん。
「成程」
なんだか納得で、静かに私は肯いた。
「あ、重いよね、私」
照れたように早口で言う加奈ちゃんに首を振る。
「そうは思わないけれど」
頬を掻きながら、舞い散る桜の花弁を見詰める加奈ちゃん。
「ありがとう。ほんと、私、愛が重い人って言われてたものだから」
苦笑する加奈ちゃんに、私も桜を見上げながら相槌を打つ。
「そうなんだ」
大きく息を吐きながら、加奈ちゃんは遠くを見詰める。
「うん。危険と隣り合わせで、それでも生きたいから生きてたんだけど、だからかね、添い遂げたい人って、一緒に死んでも構わない人になっちゃって。あ、もちろん、一緒に老いたいし、下の世話も嫌じゃないし出来るっていうのは最低ラインだなとは思ってるんだけど」
そこまで思い出して、ふと手の中の空のコップに視線が向く。
ああ、そういえば、桃も浄化の効果があったなぁとぼんやり考えながら、私はどんな言葉を返したのだったかと思い出そうとしつつベッドに向かおうとした時、誰かに見詰められている気配がして窓の方を思わず振り返った。
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