第147話

 私を覗き込む瞳がとても綺麗だと思う。

 血が滴って濡れている様で禍々しいほどの真紅の瞳。

 それにいつもは無い黄金色の部分が更に忌まわしさを加速させている。



 普通ならば、脱兎のごとく拒絶してしまいそうな程壮絶に不吉で危険なモノなのだろう。



 私にとっては、昔から知っている綺麗すぎる程綺麗な神々しい瞳でしかない。

 その瞳が暗く凝っている様だけれど、底の底にルディアスの抑えきれない不安が見える気がして、自然と微笑んでいた。



 ……顎を掴む指の強さでかなり痛みを感じるのはこの際無視だ。


「ルディアスの側に居る事が嫌になる事は無いよ。未来永劫無い。誓っても良い。命を賭けても良い。もし破るのならルディアスの好きにしていいから」


 なんとなくだが、ルーは私が居なくなることが怖いのではないかと瞳を見ていて思ったから。

 ルディアスに安心して欲しくて自分に約束できる全てを告げる。



 だが、ハタッと気が付いてしまったのだ。

 自分の迂闊さにはホトホト呆れてしまう。


「――――ごめんなさい。私に出来る精一杯の約束だけれど、私、もうすぐ死ぬから長い間は不可能よね……ごめんね、ルー」


 途端、ルディアスの瞳が酷く凶暴な光を放った気がした。


「……エルザは、私以外にも同じことを言うであろう……?」


 瞳は強く凶暴な光で爛々としているのに、声は凍える様に無機質だった。


「ルディアス……?」


 思わずルーの名前を呟いてから彼の言葉を考えていると


「ギルベルトの側に居る事が嫌にはならぬだろう?」


 私の思考を遮る様に淡々と確認するルーに何の疑問も無く肯いた。


「エドヴァルドの側に居る事はどうだ?」


 あまりに簡単な問いで直ぐに言葉は零れ出る。


「嫌になる事は無いわ」


 更に禍々しい色を湛えたルーの瞳と歪められた美貌に困惑する。


「アンドレアスもフェルディナントもシュテファンもディルクもイザークもユーディトにアウレーリアにカタリーナ、大切だと思いさえすれば、エルザは私に告げたモノと同じことを言うのだろう……?」


 ルーは、あまりにも強い激情を、溜めにためて決壊寸前な気がした。

 声は無機質すぎる程に感情がこもらず淡々としているのに、瞳が凶悪なまでに荒れた光を炯々と放っているのだ。



 けれど私には分からない。

 ルディアスがどうしてそれ程怒り狂っているのかがどうしても……


「……そうだな。そうであろうよ。エルザはそうだ。大切だと思ったら優劣は無いのだ。そればかりかどうでもいい輩の為にも心を砕き、その身を危険に晒す。分かっている。ああ、そうだとも……――――だが!」


 ルディアスが私の顎を掴む力を一層強めて引き寄せる。

 余計に顔を近づけ鼻と鼻が、吐息さえ容易に触れる距離で吐き捨てた。


「フリードリヒは、違うだろう?」


 どうしようもなく歪めた、凶悪なのにどこまでも整った神域の白皙の美貌の中、何より綺麗な濡れた様な真紅と黄金の瞳が、不思議ととめどなく泣いている様で、どうにか動く右手でルーの頬に触れようと手を伸ばす。

 ルーが泣いているのなら何かしたいけれど、今の彼に何をしたら良いかがまったく分からない。



 無意識にいつもの様に安心して欲しくて触れたのだ。



 ピクリと動いたけれど、手を振り払われることは無くて安堵した。

 ホッと息を吐いた私に、ルーは歪めた美貌のまま瞳を閉じて言葉を吐き捨てる。


「……実に、エルザらしい]


 私の何がルディアスをそこまで追いつめているのかが本当に分からない。


「……私の中では、フリードリヒは大切だけれど、ルディアスも大切よ。違いは無い、と思うのだけれど……」


 どうにか絞り出した言葉には力が無い。



 考えてみてもこれっぽっちも分からない。

 フリードリヒを私は大切に思っている。

 これは確かな事で、フリードリヒが助かるなら私は死んでも良いと思う。

 それが必要だと言われたら躊躇はしない。



 これは私にとっては当たり前のことで、シュヴァルツブルク大公爵家の娘なら、アンドラング帝国民なら、ましてや皇妃候補の筆頭であるのならば当たり前のはずだ。



 ――――……そういう意味ではない、のかな……



 ならばと考える。

 シュヴァルツブルク大公爵家の娘でもない、アンドラング帝国民でもない、皇妃候補の筆頭でもない、エルザで瑠美でもある私自身の気持ち、思う事。



 ――――つまり、フリードリヒが私の特別であるか、という事、で良いと思うのだが……



 けれど、ルディアスもエディアルドも、ギルベルトを含む彼に挙げられた皆も特別だと思えて混乱する。



 たぶん、私は彼等彼女等を大切で特別だと認識してしまっているのだと思う。

 それ故に差異が無い。

 出逢った時期は違っても、フリードリヒではないけれど、私の懐に一度入れてしまったからもうそれ以上は深く考えてはいないのだろう。



 大切で特別だなどと考えるまでも無い。

 懐に入れたというそれだけで私には十分過ぎたから。



 そしてそれらには優劣など無い、のかもしれない。

 少なくともルディアスの目からはそう見えているのだ。



 そして、ルディアスには私がフリードリヒをその中でも別格に思っていると。

 彼はそう認識している、のだろう。



 ふと浮かんできたのは、リーナとの先程の会話。



 リーナは、一緒に死んでも構わない人だという。

 それは私にも納得できることだったから肯いたのだ。



 確かにそれでも良いと思う。

 思うけれど、私は少し違う様な気がした。

 うん、それは正確でもない気がする。



 ああ、そうだ、リーナでもあり加奈ちゃんでもある彼女に、私は……共に地獄に堕ちるならば、この人とならば地獄に堕ちても構わないという人だと答えたのだ。



 それは、今日調理しながらも思考に上った事だった。

 私にとっては、特別の特別とでも言えばいいのかなという感情を抱く相手は――――

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