第144話
ぬるいどこか不穏な風が吹いてきている。
微温湯の様で、だが確実に戻れなくなりそうな風。
その風に乗り、月の下で一様ではなく様々に光ながら花弁が湖に反射する様を見ていると、どこかの迷宮で一心不乱に月の華が舞を踊っているような気がした。
ああ、なるほど、確かに月華の迷宮だと何故か独り言ちてから、目の前の花弁に視線を集中させてしまう。
そして気が付いたのは、花弁が血が滴っているかのように真紅に光っている事。
赤い花弁が舞い踊るさまと、真っ赤な満月。
それらが何故か酷く馴染みのある大好きで大切なモノに感じる。
ああ、そうだ、ルディアスの瞳みたいなのだと思った瞬間、身体の硬直がパチンと外れた。
動けると認識した瞬間、兎に角倒れた三人の元へと急行する。
ディルク、アイク、ハンバートの三人は、静かに寝息が聞こえるから深く眠っているだけのよう。
手を取っても何も反応が窺えないから、よほど深い眠りなのだろうと結論付けた。
脈も息遣いも問題ないと判断し、安堵の息を吐く。
それから静かだけれど大きく深呼吸して、改めてエリザベートに視線を移す。
フリードはまだ動けないのか硬直したまま。
それに気が付いているのか、どうでも良いのか、エリザベートは抱き着いて幸せそうにただただ笑っている。
何か話しかけている様だが、小声で良くは聞こえない。
近くに居た時には笑い声だけが響いていたけれど、まるで呪いの様に何かを囁き続けていたのだと今ならば分かる。
止めさせないと、フリードまでもおかしくなるかもしれない。
不思議とそう思えたから、逃げたくなる心と、足が震えそうになるのを叱咤し、意を決してフリードとエリザベートに走り寄る。
瞬時に反応したのは何故かヨハネ教官。
私の腕を掴んで離さない。
いつもの手加減してくれている力ではなく、ギリギリと骨にめり込むような痛さに息が止まる。
ただ、もう少しでフリードに届く所までは走り寄れた。
それで良しと判断し、フリードに話しかけるために、頭の芯に響く痛さを無理矢理ねじ伏せ息を吸い込んだ。
「フリード、全然動けない? 私の言葉、聞こえる? 瞼は動く?」
矢継ぎ早に問いかけると、瞼だけが静かに動いたのを確認し、力を使うためにどうにか痛さを封じ込めて息を整えようとした。
――――だが、唐突に腹を思い切り蹴られて息が出来ない。
ゴホゴホと咽てしまう。
喉の奥から上がってきて口から零れ出た赤いものを見なかったことにする。
お腹を摑まれていない手で押さえ、焼けた火箸を押し付けられたような鈍痛を無視し困惑気味に蹴った相手を見ると、それはディルクだったのだ。
訳が分からず混乱する。
間違ってもディルクが私を蹴るとは思えないのもあるが、あれ程深く眠っていたのにいつの間にというのもあって反応できない。
「はい、そこまで」
軽いディート先生の声がした途端、ディルクが崩れ落ちた。
それと同時に私の身体から痛みがすべて綺麗に消えたのだ。
「ディルク……? ディート先生、何かなさったのですか……?」
声のした方にどうにか視線を向けると、気を失っているらしいエリザベートを引きずりながら近づいてきていたディート先生に首を傾げる。
もう頭はパンク状態で、事態が上手く飲み込めない。
どうにか辺りを見回すと、ルーを除いて皆が倒れていた。
ヨハネ教官もいつの間にか私の腕を離して倒れている。
目を瞬かせてキョロキョロと何度も周りを見回す。
頭が付いていかずパニック状態だったのだろう。
ルーが我関せずと無表情で桜に寄りかかっているのがいつもと違うように感じていまい、不思議で、思わず名を呼んだ。
「ルー?」
だが、私が名前を呼んでも無反応。
此処ではない何処かに視線を向けて、ここに居る誰も、私も見ようとはしない。
ルーがどうしてそうなっているのかが分からず、不安があふれてきていた。
この異常な状態よりも、ずっとルーの異変が気になって止まらない。
赤い桜の花弁も、赤い満月も、ルーの瞳の様だと思ったけれど、実際にはルーの瞳の方がどうしようもなく赤くて禍々しく不吉で濡れたように輝いている。
あの瞳が、私を写さない事等、出逢ってから今までなかった。
先程より多大に重症な混乱が襲って動けずにいると、声がかかる。
「エルザ、ルディアスの事は今はおいとけ。他の連中が重症だ。救援は呼んどいたが、エルザ、エリザベートを除いた全員の側で自分の魂を意識してもらえるか?」
ディート先生の心配そうだけれど温かな声と言葉が染み込んできてから、大いに慌ててしまう。
皆が重症だというのだ。
それでも救援を既に呼んだのだからと言い聞かせ、先生の話に返答する。
「それは構いませんが……あの、何故ですか?」
ディート先生は苦笑しながら
「エルザの力を使うのが手っ取り早いがエルザの命に関わる。魂を意識して周囲に力を及ぼすなら危険は無いってのが理由だ。頼む」
ディート先生の告げる言葉に、まだ回転不足の頭は完全には理解が出来ていない。
けれど兎に角皆の側で魂を意識すればいいのだとは分かったから、側で倒れているヨハネ教官とディルクの近くに出来る限り早く移動し、まだ混乱しきりの心を静めようと深呼吸を何度も繰り返し、精神を集中させるために目を閉じた。
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