第143話
黄昏の温かな光の中で、どこか異界から湧き出た様な異質な印象をまとわせながら、エリザベートとヨハネ教官が陽炎の様に立っていた。
逆光だからだろうか、二人の表情が読めないから違和感を感じるのかもと瞳を瞬かせる。
何故、ヨハネ教官がエリザベートと共に此処にいらっしゃったのかが分からない。
ヨハネ教官は、エリザベートとは明確に距離を置いているのだと教えてくれたのは侍女のカーラだったか。
それが二人連れ立っている事の不自然さを不気味に感じてしまう。
何よりエリザベートは何処でここに居るという情報を得たの……?
ヨハネ教官がまさか教えたとでもいうのだろうか……?
訳が分からず混乱しているから、私の周りの騒然とした喧騒も、頭が追い付かないのも手伝いどこか遠くに感じる。
そんな中、ディルクとアイク、ハンバートがあっという間に靴を履き皆の前に立ち塞がり、エリザベートと対峙しているかの様に見えた。
カーラは私のすぐ横で視線も険しく臨戦態勢だ。
リーナもユーディも私を守る様にして警戒しているのが分かる。
「ヨハネ、何故此処に?」
ディート先生が静かにだが不信感を隠そうともせずヨハネ教官に問う。
先生も私の横にいつの間にか移動していたのにも驚いて目を見開いた。
「エリザベート様がフリードリヒ殿下を探しておられたのでお連れしたのです」
答えるヨハネ教官を、いつものどこかぼんやりで眠そうな雰囲気のままだけれど、どこか別人の様に感じるのは何故だろう……?
ヨハネ教官なら本来しないだろう行動を取っておられるから……?
「異能力もある皇位継承権まで保持した正真正銘の皇族でもあるお前が、エリザベートに様付けとはな」
皮肉気に笑うディート先生の言葉に、ヨハネ教官は露骨に不快そうに眉根を寄せる。
「なにもおかしくはないではありませんか。エリザベート様は皇帝陛下の孫であり第三皇子殿下であらせられるゲオルグ殿下のご息女です」
カーラが息を飲む音と、隣に居るフリードが目を見開くのをどこか別の世界の様に感じていた。
――――スローモーションの様に、エリザベートがフリードに飛び跳ねて抱き着いたからだ。
土足でシートの上を無神経に走り寄り、並べてあった重箱や取り分け用の紙皿、箸にスプーンにフォークの類さえ目に入らなかったのだろう。
料理も何もかもがグシャグシャで、怒りより先に悲しくなって呆然としてしまった。
まるでこれから全てが壊れてしまうのだと象徴しているようにも感じて、心底から怖くてたまらない。
ディート先生が何かしようとして固まったように動かなくなるのが分かっても、上手く頭が回らない私は呆然と座り込んだまま。
ヨハネ教官はまるで操り人形の様に凡庸としているように感じてしまい、これも混乱を加速させる。
フリードに絡みつくように抱き着きながら、エリザベートの楽し気な笑い声ばかりが不気味に響く。
「いつの間に近付いて来たんだ? ディルク達は何を――――」
近くに居たエドが珍しく怒りを瞳に宿してエリザベートを見てから、ディルクとアイク、ハンバートに視線をやってから唐突に黙った。
「エド?」
フリードからエリザベートを引き離そうとしていたギルとアンドが、私の心配そうな声でエドの視線の先に目を向けやはり固まる。
私も唐突に黙るいつもとは違うエドに疑念を生じ、彼の見ている方向へと視線を注ぐ。
それを目撃し、やはり私も理解が及ばずただただ硬直する事しか出来ない。
ディルクもアイクもハンバートも力なく倒れ伏している。
ピクリとも動かない三人の容態を見なければと思うのに、どうしてか身体が動かない。
皆がまるで石化でもしたかのように固まっている中で、エリザベートはフリードに頬を摺り寄せ幸せそうに笑う声がこだまする。
フリードをどうにか伺えば、彼はエリザベートにも、この状況にも混乱しているのが分かるし、だからこそ皆同様に停止してしまっているのだ。
――――いつの間にか出ていた四つの月。
本来ならばもう少し暗くなってから全ての月が出るはずだった。
それなのに月は四つ既に当然の様に上っている。
――――血が滴っているかのような真っ赤で不吉な満月が……
それだけでも訳が分からないのに、一番大きな月を中心に、そこから闇の帳が広がっていく。
急速に拡大する闇を前にして、身体が言う事を聞いてはくれないのことに忸怩たる思いが沸き上がる。
フリードや倒れた皆の様子を今すぐ見に行きたいのに、身体がまったく動かないのだ。
まるで赤い月と闇の帳に標本さながらに縫い付けられている様で、恐怖が後から後からあふれてくる。
本来の夜が到来する方角とは違う所から暗くなっていくのだ。
どうしてなのかも分からない。
それが余計に恐怖を煽ってくる。
この闇が皆に何か危害を与えるのではないかと怖くて、すぐにでも何かしたいと身体を動かそうと必死に心は思っているのに、身体は何故かピクリとも動かない。
どうしてエリザベートが問題なく動けるのだろうかと頭の片隅では思うけれど、それ以上に皆が心配で心配で気が狂いそうになる。
そんな私の目の前を、光る桜の花弁が踊る様に舞い降りて行った。
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