第103話

 自分の薄汚さに嫌悪感が止まらない。

 ルディアスに生まれてきて欲しかったのは、私のエゴだ。



 きっとルディアスには生まれてきたくなかった理由だってあるのだろう。

 なのにそれを聞く前に自分の我儘を押し付ける醜悪さに反吐が出る。



「……エルザ? 大丈夫か?」


 心配そうなルーの声で何とか戻ってきた私は、目を瞬かせてしまう。


「ええと、その、何か聞き逃していた?」


 ルーは不思議そうな表情になりながら、私を見詰める。


「エルザが私と出逢えて幸せだと、そう言ったと思ったが?」


 ならば大丈夫だ、良かった。

 ――――ルーから私の言った言葉を改めて聞くと改めて自己嫌悪に襲われたが、何とか落ち着かせた。


「……あ、大丈夫。ちょっと考え込んでしまって、その間に聞き逃したかと心配になったからで、その、話の腰を折ってごめんなさい」


 ルーが『話をしよう』と言って話し始めてから初めて表情が動いたことに驚きながら、ルーを見る。


「そうか、ならば良かった。エルザは本心から言っているのが分かるが、それは時期尚早かもしれぬな」


 彼はどこか突き放したような表情に戻ってしまい、また淡々と話しだした。


「何故産まれてくる気が無かったのかと問うたな。理由は単純だ。いずれ必ず死ぬ。ならば後で死のうが今死のうが同じと考えたまで。生きる意味が分からぬ。胎の中から全て分かるのだ。ならば生きようが死のうが同じであろう?」


 ルーの言葉を理解するのは難しい。

 産まれてから死ぬまでに体験する事が分かったと、そういう事だろうか……?



 ならばそれは産まれてくるのを止めてもおかしくない気がする。

 全て見た通りになぞるのならば、既知感だらけで何も新鮮な、所謂未知を体験することができないという事、なのだと思う。

 それは辛いと素直に分かる。

 どれもこれも見た事のあるものばかりで、きっと退屈でどうにかなってしまいそう。



 だからルーは、産まれてくる気が無かったのだろう。



「私を身籠った女は、私が産まれてくる事を望まなかった」


 なんの感情も籠らずにただそれが事実だと告げるルーの言葉に、心が一瞬凍った。

 私の前世の母も、きっとそうだったのだろうと今の私は気が付いているのだ。

 だからだろう、息が止まった様な錯覚を覚えたのは……



 ただ、ルーは母とも母親とも呼ばずに『私を身籠った女』と言ったのが気になった。

 まるで親だと思っていない様な響きを感じ、どうして良いか分からなくなる。



 私はまだ自分の心の整理が出来ていなくて、前世の両親や家族に対してどう思って良いのかが混乱している状態なのだと思う。

 けれどルーは、自分を産んだ人に対しての感情をとっくの昔に整理し終えているのだろう。



 だから客観的に物事を見ている、のだ。

 どちからというと、客観的というよりは達観視し過ぎていて、突き放して遠くから淡々と見ている様な気もするけれど……



「正確には私達兄弟が産まれてくる事を、だ」


 ルーだけではなく、二卵性だったという双子の弟諸共望まなかった……?

 仮にも帝国の第一皇子の正室が……?

 正室、だよね?

 正式な妻。

 奥さん。

 ルーの母親については不思議なくらい話題に上らないし、ルーも話さなかった上私も何も知らされていないが、皇族に嫁ぐくらいの方だ。

 普通に考えたらきちんと教育を受けた上位以上の貴族の令嬢だろう。

 それが、子供が産まれてくる事を望まなかった……?

 どういう事か分からず、私はただルーの話を聞く事に注進した。


「あの女は、私と弟を産めば死ぬ事が解っていた。だから私と弟を殺そうとした。私もそれで良いと思っていたのだ。弟は生きようと出来得る限り必死だったが、私にはどうでも良い事だった故無視をした。だが、私は心変わりをしたのだ。結果、女は死んだ。あの女は、母親である事よりも女である事を選んだ。国も家も一族も関係なく、ただ父の側にいる事を選択した。妊娠は既に周知だったが、あの女は私を、弟を、必死に殺そうとしたのだ。父の心が最初から自らに無いと知っていたにも関わらず。それでも父の妻という立場に執着した。妄執と呼べるかも知れぬがな」


 感情の籠らな声でただただ言葉を紡ぐルー。



 私に出来たのは、必死に内容を理解しようと頭を働かせる事だけだった。

 自分の前世過去を振り返ってみたばかりの思考力は、どうやらとても疲労困憊だったらしく、ろくに回転してくれない。

 まだ自分の心の整理さえままならないものだから、ルーの話を噛み砕くのにも難儀する。



 それでも私は、ルーの話をしっかりと受け止めようと思ったのだ。

 ルーが自分の事を話すのはとても珍しい。

 きっとそれだけいつもは内に秘めてしまっている事なのだ。



 だから、今、しっかりと聴かないといけない。

 そうしないと、ルディアスが大切だなどと言ってはいけない気がするのだ。



 ルーが私を見詰めていた。

 静かに、どこか遠くから。

 熱を一切感じさせない非情で冷酷な瞳の色を纏わせて。



 私は大きく深呼吸をして、ルーの話を咀嚼する作業に戻ったのだった。

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