第67話

 そうして、これも話しておこうと思い、どうにか口を開く。


「前世でね、多分、”オチタモノ”か”ハザマノモノ”のどちらかは分からないけれど、襲われた事がある、と思う」


 私の告白に、リーナは目を見開く。


「――――え!? 大丈夫だったの? よく無事で……」


 私は目を閉じながら、その光景を思い出す。


「この世界に来てから、あの幻獣の森の事件の後、同じ様な存在に前世で襲われたって気が付いたの。無事なのは、従兄妹の勇が助けてくれたからよ。私だけだったら間違いなく死んでいた、と思う」


 リーナは、更に目を見開いた。

 瞳が零れんばかりで心配になる。


「……否、否、否……だって、倒せるものなの? 人間に? 結構なんというか、ああいう感じの存在って強力で、普通の人じゃまず対処出来る訳ないと経験則で思うんだけど……私が無事だったのは、偏に欅の精の力だからね……欅の精特性お守り無かったら、それこそ確実に死んでるし……妖怪とか、性質の悪い悪霊、怨霊の類だって、霊力のある人間狙ってくるものなんだよ? 欅の精の話じゃ、”オチタモノ”はおろか、”ハザマノモノ”だって人間が対処するのは考えない方が良いって話だったのに! こっちの世界だと、魔力が強力だから違うとか? あ、でも、前世の話だよね……前世の世界には、対処できる人間は居ないという事だったけど……本当に、どういう事よ……」


 リーナは大混乱に陥っているらしく、首を傾げ、眉根を寄せ、額に手を置き、目を閉じている。


「……あのね、子供の頃だったわ。大きな犬に擬態していた、というか、憑りついてた、のだと思うけれど、それが私に襲い掛かってきたの。その大きな犬を勇が蹴り飛ばしたら、霧が晴れていくみたいに霧散したのよ……その、これをどう思う……?」


 リーナは目を開け、難しい顔に。


「どう、と言われると、悩むけれど……魔力で身体強化とか、魔力装甲纏うとかでもないのなら……訳が分からない、かな……」


 そう、この世界の人達は、まず魔力で身体強化を施してから、魔力を装甲の様に纏うのだ。

 これにより更に攻撃力や防御力が圧倒的に強化されるのだ。

 強化は身体だけでは無くて、物にも及ぼす事が出来る。

 魔力装甲はとても強力だが、ある程度の耐久力が無いと身体も物も耐えられない。

 それだけ強力だともいえるが、だからこそ、まず体と物を強化してから使用しなければ危険が伴う代物である。

 それから分かる通り、身体強化の魔法より魔力装甲の魔法の方が高度で難しい。



 私も今考えれば、あれを倒すのがいかに難しいかが分かる。

 あの幻獣の森の事件の時、襲ってきた相手自体には、攻撃は通っていなかったと思う。

 吹き飛ばす事や防ぐことはできた。

 だが、訓練された騎士でも、決定打は与える事が出来なかった、と思うからだ。



 幻獣達の攻撃は通っていたから、幻獣達は人間よりも優れて能力が高いのかもしれない。

 あれ? あの時、一番の要の存在はディート先生が倒したと思うけれど、ディート先生ってもの凄いのかなぁ。



 って、思考を逸らしている。

 分かっている。

 今から言おうと思っている事から、逃げているのだ。



 だがそれでも、言った方が良いとも思っているから。



 深く息を吸って、長く吐いた。

 うん、ちょっとは落ち着いた、かな。


「……リーナ。あのね、大人の男性を、十歳に満たない男の子が蹴ったとして、壁に吹き飛んで粉々になるって言うのは、その、人間業だと思う……?」


 当時も今も、私は一向に気にしていないが、客観視したらどういう事態なのか、気になったし知りたいと思った。

 そう、私は気にしなかったが、当時の周りはどう思ったのだろう……?


「ええとね、その、ね。どういう状態で蹴ったのか聞いても良い? それによっては色々違ってくると思うのよ」


 加奈ちゃんの言葉を聴いて思い出そうと、する。

 あの感触と臭いが、容易に意識を占め、吐き気が、する。




 ――――怖い。

 ――――だが、それよりなにより気持ちが悪い。

 ――――何をされるのか分からないけれど、心の奥底から恐怖が湧いてくる。



 怖くて、怖くて、怖くて――――


「瑠美! 大丈夫!? 顔、真っ青だよ? 震えているし、あの、辛い事なら、良いよ。大丈夫だから」


 リーナが私を抱きしめながら背中を撫でてくれるのを感じる。



 うん、大丈夫。

 人肌は、嫌いじゃない。



 大人の男の臭いではないから、大丈夫――――


「――――……大丈夫……あのね……四つん這いに、なっている所を、右腕の所を蹴った、と思う。それで、その人が、吹き飛んで、壁に激突した、はずなの。でも、実際は、内側から弾け飛んで、壁には赤黒い飛沫しかなかった。身体は、原形を留めていなくて、その、爆散、みたいな感じ、です」


 そう、今でも鮮明に思い出す事が出来る。

 嫌悪感も、恐怖も、鮮烈なままだ。



 だが、私にとって重要なのは、勇が助けてくれた事、勇に怪我をさせてしまった事。

 ――――……何よりも、勇に人を殺させてしまった事。



 それ以外は、私の記憶からは顔が無い状態だ。

 男達が何人いたかも、朧げ。

 私の様に連れ去られて、裸で犬用の首輪を嵌められていた人達の顔も、朧げだ。



 そう、その後の、彼等や彼女達がどうなったのかも私は知らされず、だから、顔が無いのかもしれない。

 あまりにも色々とショックで、そう、同じ人間を人間扱いしない、物の様に扱う人がいるのかと、怖かったのだとも思う。



 勇が、何人殺したのかも、正確には分からない――――



 申し訳なくて、申し訳なくて、申し訳なくて、仕方がないのだ。

 手を汚してまで助けてくれたのに、私は結局何も勇に返せていない。



 ちょっと、深呼吸。


「……そうだね……客観視するのなら、人間業とは思えない、かな。何か兵器でも使ったんじゃなくて、ましてや子供でっていうのは……うん、人が出来る事とも思えない……でも、そんな事件、聞いた事ないかも……」


 リーナは私の顔を覗き込み心配そうにしながら、それでもきちんと答えてくれた。

 有り難い。


「勇の両親が揉み消したみたいだよ。どうも有力者の子供が複数関わっていたりしたらしいけど、その関わっていた子供達の両親も表沙汰になると困るから協力したって勇が言っていた、と思う。何人被害に遭ったかも、死んだのかも分からないけれど、勇曰く、殺したのが子供の上死因が死因だったから、警察もお手上げ状態だったらしいよ。死んだ人達が起こした事件は、被疑者死亡だから、捜査も打ち切りみたいな感じだったらしいし。尤も、圧力を加えられて表ざたにしなかったというのもあったみたい。被害者の事もあるし……警察官の人が来た時、血飛沫しかなくて、身体が無いから何人死んでいるのかDNE鑑定しかないとか、少なくても五人以上は死んでいた、みたいな事は漏れ聞いたよ。ただ、死体の状況が状況で、遺骨も無い様な状態だから……とか、あの人達、強姦だけじゃなくて、暴行とか、人殺しとかもしていたらしい、とか、死んでしまったから彼等が何人殺していたのか、その人達の死体が何処にあるのかわからないらしくて……今まで表に出なかったのは揉み消してきたからだとか、色々聞いたかな……あの人達、死んだ人達については、あまり良い記憶が無いのだけれど、その、どういう人達だったのかは、勇が心配して手を回してくれたらしくてあまり知らされなくて……事件に成らなかったのは、まあ、その、様々な要因が合わさって、だと、思う。被害に遭った人達もかなり居たのだけれど……その人達も治療が必要だったとは聞いたのね、でもその後どうなったのかは知らないの……」


 そう、被害に遭った人達。

 あの人達のその後も、勇が緘口令を敷いてしまってどうなったのかは分からないのだ。



 案じていた。

 だが、私には何も出来なかった。



 そう、その被害者の中の誰かが、他の被害者や私を、同じ被害者にするべく手引きした加害者なのだとしても、それでも、その人達を案じてしまう。

 そうせざるを得ない事情もあったのかもしれないのだ。

 だから責められないと私は思うが、引き込まれた被害者やその家族、引き込まれた被害者を大切に思っている人にとっては、違う意見になるのも理解出来る。

 だから、勇が被害者達に私を関わらせたくないのも納得で、それには不満は無いのだ。

 だとしても、被害者の人達が少しでもこれから救われて欲しいと、願わずにはいられなかった。



 その後の私への対応は真綿に包むものになり、勇が一層過保護になってしまって、勇が許可を出さないと何も出来なかった、と思う。



 それについては、私は何とも思っていない。

 ただ、被害に遭った人達の心配はしていた。

 彼等、彼女達には、勇が居なかった。

 私とあの人達を分けたのは、その一点の違いだけだ。



 だから勇が心配するのも納得だし、これ以上勇の手を汚させるのも迷惑をかけるのも嫌だった。



 そう、勇が私に構う事が、申し訳なかった。



 だというのに私は高校に入ってしばらくすると病に倒れ、死んでしまったのだ。



 本当に私は勇に迷惑しかかけていない。



 ああ、今でも思う。

 どう償ったらいいのか分からない、と。

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