第11話

 皇帝陛下が、貴族を始めとした全ての階層の一番大事な社交界デビューの舞踏会を、特に理由もなく、途中退席する、という異常事態に騒めく会場を、上手くアルブ殿下が落ち着かせて、何とか事なきを得た。



 ただ、私は今日色々な事がありすぎて許容量の限界に至ってしまったらしく、陛下が退席されてからの記憶が曖昧になってしまったのだ。

 せっかく皆と久しぶりに会えたというのに、本当に私は仕方がない。



 それでも倒れたり意識を失ったりはせず、きっちり最後まで出席出来たのは良くやったと、自分で自分を褒めてしまったのだから、自分に甘すぎると反省しきり。

 自画自賛は否めないが、あの気持ち悪さから解放されたとはいえ、良く吐かなかったな、とか、拒絶反応で意識を失わなかったな、とか、硬直して動けなく成らなくて良かった、と本当で思った。

 それ位私の気分は最悪の状況に陥っていたのだ。

 ルーやフリードや皆が居てくれたから、まだちょっと気分が持ち直したのであって、全身を、突然、見ず知らずの人に舐め回されている様な感覚からは、容易には回復出来なかった。



 寮の部屋に戻り、ドレスから解放されて、身体を洗ったからこそ一息吐きつつ、浴槽に浸かっていたら思い出したのは、陛下が退席された舞踏会の曖昧なはずの記憶の中の一場面だった。



 そう、私が具合が悪そうだった為、ユーディやリーナが私を気遣い、一緒に壁際で休憩しつつまったりしていたら、離れた所にいたアンドがギルやエド達と話しをしている声が、何故か聞こえてきたのだ。



 その話によると、どうもガラス片は大きさや鋭さから、首にでも刺さったらどうなっていたか分からないレベル、だったらしい。

 加えて、私があのまま転んでいたら、ガラス片は首や目や口に直撃だったらしい、とも。



 それを聞いて、純粋に怖くなった。

 そして只々私を助けてくれた人に大感謝である。



 今日はもう難しい事は考えられない位には思考が麻痺していたので、ガラス片については考えるのを止めにした。





 夢を見ていた。前世の夢、だと思う。



 あれは私の家、だな。

 幼稚園の頃に引っ越した、大きな家だ。



 私にとって家というと、幼稚園の頃に引っ越した家か勇の家かになる。

 勇の家は沢山行ったから、とても馴染みがあるのだ。



 私と勇が庭で遊んでいる。

 広い芝生があって、とても居心地が良い綺麗な庭。



 ああ、あの感じは、私達がこの家に引っ越してしばらく経った頃、かな。

 庭で遊んでいるというより、私が庭に出たいと言って、勇が心配して付いてきてくれた感じっぽい。

 私の目元と頬にガーゼが張ってあるし、腕や足には包帯が巻かれているから、家で遊んだ方が良いだろうと心配そうに勇は言っているのだが、私は庭でちょっと息継ぎをしたかったのだ。



 自然の中にいると不思議と癒されるのは昔からだ。

 だから庭の芝生や木々に癒されたかった位には私はクタクタだったな、そういえば。

 日々の暴力と暴言で、ライフポイントがかなり削られていたのに加え、堪忍袋の緒が切れた上に、怪我までして、相当に堪えていたのだ。



 あの怪我の感じと年齢から察するに、幼稚園での乱闘事件の後だろう。

 あれは本当に痛かったし、下手をしたら目を傷つけられて失明しかねなかったと、目の近くに爪を立てられた跡を視て、医者の先生が言っていたっけ。

 腕や足も棒で思い切り殴られたから、骨に罅がはいってしまったのだ。

 でも、私は後悔していないし、あの事件の直後から舞ちゃんと仲良くなったのだったから大丈夫、と懐かしく思い出す。



 ああ、無表情ながら勇が怒っているのが分かる。


「瑠美は怒らないな」


「怒るよ。だから怪我したんだし」


 私の言葉に、勇は溜め息を吐いた。


「自分の事を言われても傷ついてはいても怒らないのに、両親の事を言われたとたんに怒ったな」


「それは、その、大切な人を貶されたら怒ると思うよ。でも、どうして私が怒っただけで皆暴力揮ったのだろう?」」


 私が答えたら、勇は目の近くの傷と包帯の撒かれた手足を視て、悲しそうな、感じになる。


「あいつ等は瑠美の興味を引きたかったんだ。自分より下だと思っていた瑠美が怒ったから、二度と逆らわない様にしようと思ったんだろ」


「私、下に見られていたの? だからいつも色々言ってきたり、叩いてきたりしたのかな……」


 下を向いたら涙が思わず出そうになって、慌てて顔を上げる。


「そう。親にでも瑠美の生まれの事を聞いていたんだろ。だから自分より下だと思っている様な連中だしな。それなのに自分より下だと思っている奴に興味があるなんて、下手なプライドが邪魔をして面と向かってとても言えないから、暴言を吐いて暴力を揮っていたんだ。馬鹿な連中だ。瑠美が悲しそうな顔をするのも面白がっていた。瑠美が止めなければもっと早くに壊してやっていたのに。そうすれば瑠美がこんな怪我をする事なんてなかった」


 勇は憤懣やるかたないといった様子だ。


「でも、私は大丈夫だよ。勇になにかあったら大変だし。この前は助けてくれてありがとう。勇が怪我しなかったのは嬉しかったし、勇なら問題ないのかもしれないけれど、それでも勇が心配だよ。それにあの人達、大丈夫かな……? 良く見られなかったけれど、結構酷い事になっていたかもしれない。あまり痛くないと良いけれど……あの人達も心配だけれど、勇が警察に逮捕されるのも私は嫌だよ」


 私が勇に一生懸命に届ける言葉に、勇は鼻で笑った様だ。


「私の心配は無用だ。あの程度で怪我などしない。したとしてもすぐ治る。ただ、何故あいつ等の心配までしているんだ。その必要は全く無い。命があるだけ瑠美に配慮した。どうせ瑠美はあいつ等でも死んだら悲しむだろうと思ったし、あいつ等の為に瑠美が悲しむとか論外だ。本来なら完全に壊している。大体あの両親が私を捕まえさせるものか。別に私が大事な訳じゃない。私が何をしようと関係ないんだ。単に自分の汚点にしたくないからだけど」


 その、勇の冷めきった瞳に悲しくなった。


「勇は、お父さんとお母さん、好きじゃないの?」


 勇は凍えた瞳と声のまま答える。


「別に。どうでも良い」


 そんな勇が悲しくて、私なりに一生懸命言葉を届ける。


「私は、お父さんも、お母さんも、大好きだよ。でも、勇も大好き。勇のお父さんもお母さんも、私達家族に良くしてくれたし、この家もプレゼントしてくれた。だから、感謝してるし大切に思っているよ。それより何より勇に逢わせてくれたから」


 勇は、不気味なほど静かな目で私を視る。


「私の両親も、何より瑠美の両親も、瑠美が感謝したり大切に思う価値は無い」


「私が、感謝したり、大切に思ったりしたら、いけないのかな……」


 泣きそうになった私に、勇は冷厳に告げる。


「違う。あいつ等は、瑠美が感謝したり大切に思うに値しないと言っている」


「勇?」


 訳が分からず涙の溜まった目で勇を視る。


「ねえ、あいつ等を、君は大切に思っているのかい?」

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