第10話

 私の周囲は陛下のお言葉で瞬時に凍り付いたのが察せられた。

 それでいながら私も含め、無意識の内に聞き耳をたてながら、素知らぬふりで注視している状況へと変わるのも。



 陛下の側にいらしたルーの父親であるアルブ殿下が、表情も変わらず、何ら気負うことなく答えていた。


であらせられるでありにしてであるをしたものですから、退室させましたが」


 陛下がやれやれとでもいう様に、それでも、困った愛しい子を見る温かさで溜め息を吐かれた。


「仕方のない子だ。呼び戻そう」


 それにルーが冷静に答える。


貴族を害した場合、が普通です。ましてやエルザはでしょう。それを呼び戻すと?」


 陛下の眉根が寄る。


「それでは余りにエリザベートが哀れではないか。彼女は従姉妹だろうに、其方は身内に冷たすぎるのではないか?」


 どう反応したらよいか分からない様な陛下の言葉に、ルーの方こそ眉根を寄せている。

 そんなルーの肩を叩き、アルブ殿下が答えた。


と?」


 陛下が重い溜め息を吐きながら、呆れた様に言葉を零す。


「其方ら親子は情が無いな。まあ、それは仕方がない。特にルディアスは昔から無表情無感動であるしな」


 陛下の言葉と態度にに耳と目を疑う。

 エリザベートに対する時は、あんなに小さな大切な宝物でも思うような温かい表情だったのに、ルーやアルブ殿下に向けた表情は氷の様な冷たさだった。

 アルブ殿下は息子で、ルーだって孫の一人だろうに、どうしてそんな酷い事が、あんな表情で言えるのか。



 陛下は峻厳な容貌で厳しい印象だが温かで優しい、心遣いも出来る方だったはず。

 少なくとも何度もお会いして私はそう思っていたし、お祖母様達からもそう聴いていた。

 だというのに、今の心無い言葉と表情にはまるで別人の様な印象を受けてしまう。



 大体ルーだってここ四年は会ってはいなかったけれど、少なくとも、四年前の時点で出会った頃とは比べ物にならない位、表情も感情も豊かになったのに。

 ルーの成長を無かった事の様に仰る陛下が、どうしても分からない。



 憤っていた私に、ルーが気が付き、ちょっと微笑んで大丈夫だと言う様に肯いた。

 アルブ殿下もルーの肩に手を置き、心配げになさっていたが、そちらにもルーは肯く。


「エリザベートは今日が社交界デビューだ。それ故出席させない訳にはいくまい。呼び戻せ」


 陛下の命が下る。

 アルブ殿下がそれを受けて、お祖母様の方にチラリと視線を寄こし、お祖母様が肯いてから答えていた。


「では、呼び戻すように致します」



 その言葉を聴いて不安になり、周囲に目を配ってみれば、お祖母様は淑女らしい慎ましやかな微笑を浮かべているが、直視できないレベルで、何というか、怖い。

 どうも怒り狂っているのじゃないかと思ってしまう。

 でも雰囲気は普通な様子に視えるのだが、私にはどうも怖くて堪らない感じがするのが不思議だ。



 お祖父様やお父様にしても、ギルの両親である大将軍閣下夫妻も、アンドの両親である宰相閣下夫妻も、フェルの両親である魔導師総長閣下夫妻も、そしてエドの父君である国家安全保障省の大臣も何か平静な様子でありながら、どこか不穏な印象を受けた。



 更に外側に注意を向ければ、側にいる大貴族達は、何というか、徹底的な無視を決め込んでいる様だった。

 それでも分かるのは、かなり確かに憤っているという感じだろうか。

 それでいながら、とりわけお祖母様の方を注目している様な印象を受けた。



 私がこの状況に不安になってしまって、どうしたら良いか分からなくなっていたら、手を握られて、握った相手を見る。


「フリード、様……?」


 彼は労わるように私に微笑む。


「案ずるなエルザ。大丈夫だ」


 その言葉とフリードの体温で、乱れていた心が落ち着いてきた。


「ありがとう、ございます、フリード、様。もう大丈夫、です」


 私もお礼を言って微笑み返した。



 しばらくすると、アルブ殿下が陛下に告げる声が耳に届く。


「エリザベートは会場に戻りたくないと申していますが、いかがなさいますか?」


 陛下は苦笑しつつ答える。


「仕様のない子だ。視てみたが、確かにそう言っているな。ならば無理に戻す事もあるまい」


 その言葉に周りが安堵っぽい雰囲気になった様な、気がする。


「ハインリヒ。エリザベートを不問にせよ。単なる細やかな嫉妬に過ぎん。私も注意しておこう」


 それだけ仰った陛下は、早々に退室してしまわれた。



 まだ舞踏会は中盤にも至っていない状況で帰られてしまったのだから、流石に私達よりだいぶ離れた所にいる下位の貴族、士爵や騎士階級、平民達だろうの驚きの声がこちらにも届いていたが、それどころではない静かな喧騒が私達の周りには漂っている。



 そう、根本が取るに足りない嫉妬だとしても、行った行為は平民による貴族への暴力である。

 だというのに陛下は不問にせよと直々に仰った。



 この陛下のお言葉を聴いてしまったのはごく一部だろうが、明日からはどうなるのか、不安が尽きない。

 それにも増して不安を掻き立てるのは、呼び戻そうとしていたのに、エリザベートが拒んだらあっさりと意見を翻してしまわれた事だ。

 本当に、これからの学校生活は不安で一杯にならざるを得ない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る