第453話 また再びのアンコール

「写真を撮ろうよ!」


 と、言い出したのは誰だったろうか。

 OBOGを含め、全員でやり遂げた舞台の後。お客さんが帰ってもまだ興奮冷めやらぬ中、湊鍵太郎みなとけんたろうはその声を聞いていた。

 体育館にはまだ、アンコールのときの熱気が漂っている。

 その雰囲気に浮かされるように、まだ現役生も卒業生も、テンション高くしゃべり合っていた。

 自分がを持ち出すのは、これがもう少し収まってからでいいだろう――その中で、鍵太郎は思う。

 鉄は熱いうちに打て。この場に関係者全員が集まっている今しか、言い出せないことがある。

 しかし、みながこちらの言葉に耳を傾けてくれるまで落ち着くには、もう少し時間がかかりそうだった。

「写真?」「写真!」と騒ぐみなに向かって、鍵太郎は言う。


「そうだなあ。せっかくだから、OBOGの先輩たちを交えて記念写真を撮ろうか。みんな集まったことだし」

「先輩、そしたら誰がカメラを持つのですか?」


 突発的な思い付きに、次期部長の宮本朝実みやもとあさみが訊いてきた。

 既にこの場には、観客はいなくなって関係者のみしかいない。誰かひとりが外れて撮影係になるか、タイマーをセットして急いでみなの輪に加わるか――色々と手段はあるが、いずれにしてもカメラ役として特別な人間が必要になるだろう。

「アタシが撮ろうか?」「僕がやろうか?」と顧問の先生と指揮者の先生が声をそろえて言うが、「ダメー! 先生は撮られる側に入るの!」「イケメンは被写体です!」と生徒たちに舞台側に引っ張り込まれている。

 撮影をするということで、他の部員たちもステージ前方に集まりつつあった。

 ぞろぞろと集結するみなを、どうしたものかと思って鍵太郎が見ていると。

 朝実が言う。


「それでしたら、うってつけの人物がいます!」



 ###



「なんで私が、他の部活の記念撮影に駆り出されなきゃならないわけ⁉」


 そう言って、渡良瀬鏡香わたらせきょうかは体育館にドスドスと入ってきた。

 いわずもがな、彼女は写真部の新部長である。

 そして、朝実のクラスメイトでもある――「あ、もしもし鏡香ちゃん? 展示ってもう片付け終わりましたよね? 撮ってもらいたいものがあるんですけど――」と携帯で話す新部長を、鍵太郎はしかとこの目で見ていた。

 今日の宣伝演奏ではひと悶着あった鏡香だが、朝実のがんばりもあって、その件は解決したらしい。

 かつ、二人の仲も良好であるらしい。文句を言いつつも、写真部の部長はカメラを持参し、撮る気満々の様子であることから、それは分かる。

 確かに、撮影においてこれほどうってつけの人材もいないだろう。どれほどの腕かは知らないが、彼女も部長を任されるほどなのだ。写真を撮ることにかけては、この場にいる誰よりも信頼できる。

 なんだか、コンクールの本番の後での記念撮影を思い出すなあ――と思いつつ、鍵太郎は舞台前方に集まった、部員たちの元に向かった。こちらは部長ということで、まさかの中央に配置されることになったのだ。

 現役生、卒業生、そして先生たち。

 全員が集まる場所の、中心に立つ。


「一番後ろの右端の人ー、入ってないからもうちょっとみんなに寄ってください。あ、OKです。真ん中のええと、フルート? の人? はい、顔が見えるように前の人の間に立ってください。宮本、あんたは小さいんだから一番前に来なさいよ⁉」


 なんだかんだ言いつつも、鏡香はきっちりと場を取り仕切ってくれている。

 他のメンバーたちもそれぞれ、撮影には協力的だ。小さい楽器の人間は手持ちのものを持ち込んだりと、なかなかに華やかな写真が出来上がりそうだった。

 構図的にはうまくいったらしく、写真部の部長はカメラをのぞいて「はい、じゃあ撮りまーす」と言ってくる。

 正直、コンクールのときより人数が多いので場所はぎゅうぎゅうだ。

 ステージに収まるくらいのスペースとなると、なかなかに密度が濃くなってくる。わいわいとしゃべる声と身体にくっつく熱気は、鍵太郎にこいつら本当しょうがねえなあ、という苦笑を浮かばせた。

 その表情のまま、シャッターが切られる。

 お堅い場ではないのだ。こういう感じでも構わないだろう――そんな風に思っていると、最初の写真を確認した後、鏡香が言った。


「はい、じゃあ二枚目いきまーす。なんか楽しそうな動きしてください」

「楽しそうな動き?」


 漠然とした指示に、鍵太郎だけでなく他の人間もまた、首を傾げる。

 大会のときもそうだったが、どうしてカメラメンというのはこう不思議なことを言ってくるのだろうか。

 きょとんとしていると、写真部の部長は言ってくる。


「あのですねー、写真を撮るときって人のそのままの表情を切り抜きたいので、その人の一番好きな動きとかをしてもらったりするんですよ。カメラを前にすると、みんなかしこまっちゃうでしょう? そういうのを取っ払うために、声を掛けたり撮影側自ら、笑えることをやったりするんですよ」

「なるほどー……」


 であれば、東関東大会でのあの一幕は、やはりプロの犯行だったといえるのだろう。

 取り繕いようがないほど、あのカメラマンには素の表情を切り取られた。ならば今回もあのくらい、弾けたいものだが――さて。


「楽しそうな動き?」

「好きなこと、かあ」


 やはりコンクールのときと同じよう、部員たちにはさざめきが起こる。

 いきなり笑えることをやれと言われても、困ってしまうものだ。流行りのポーズとか何か映えるようなこととか、うといこちらにはさっぱり――と。

 鍵太郎が思ったところで、耳慣れた楽器の音がした。


「んー、やっぱ楽しい動きって言ったらこれじゃない?」

「わたしたちにできる一番の好きな動きっていったら、これじゃない?」


 見れば打楽器の双子姉妹が、それぞれ小型楽器を持ってリズムを刻んでいる。

 カンカンココンココンカカンコンコ――。

 聞こえてくるのは『宝島』。

 先ほどのアンコールでやった、自分たちの耳によく馴染んだ音符たち。

 するとそれに乗っかって、一番端に楽器を持ってきていた打楽器の男の先輩が、ドラムを叩き始めた。その流れに「あ、打楽器ズルい!」「うちらどうする⁉」と他の部員たちも騒ぎだす。

 自分たちも席に戻って楽器を手に取り、一緒に吹き始めたいくらいだ。また再びのアンコール――あっという間に終わってしまった舞台を、もう一度呼び戻すために。

 過ぎてしまった思い出を、よみがえらせるために。

 そう思っていたら主旋律を取っていた楽器の人間たちが、ビートに合わせて自分たちのメロディーを口ずさみだした。

 それに苦笑して、鍵太郎は自分のリズムを手で叩き始める。この曲の大本、ただの単純な四分音符。

 全ての土台となる、低音の流れ。

 それに連なって。


「あたしもやるー!」


 同い年のアホの子が、同じリズムを叩き出した。

 笑いながら手を打って。自分の楽譜を、声に出して歌って。

 するとその波は、たちまち全体に広がる。

 そこにいる者たち全員で高く手を上げて、手拍子と共に大声で歌う。賑やかで華やかなそれは、再び大きな熱気を巻き起こし、どうにも笑ってしまうような空気をこの場に作り出していった。

「これでいいの⁉」「いいんじゃない!」「なんかこれでも楽しいね!」「ちょっと、今私のお尻触ったの誰⁉」などと、妙なテンションで様々な声が聞こえてくる。

 本当、なにやってんだか――でも、こんなくだらないことが本当に、楽しいのだ。

 シンプルなことのはずなのに、人と心を合わせて歌うことは、馬鹿みたいに面白い。

 気が付けば笑いが止まらなくなっている中、ビートを刻み続ける。

 周りではみんなも笑っていて、この瞬間が写真として収められるなら願ってもないことだった。

 今年で終わる体育館で行われた、最後のアンコール。

 実は鏡香は途中から、カメラをもう一台用意して、録画しつつシャッターを切り続けていたのだが――そのままの感情で彩られた、この表情たちの写真は。

 長く音楽室の片隅に、飾られ続けることになる。



 ###



「ありがとうございましたー、また撮影お願いしますね!」

「いい表情が撮れたからよかったけど、あんたちょっと人のことを都合よく使い過ぎじゃない⁉」


 そんな、新部長二人のやり取りを、やはり笑って眺めつつ。

 鍵太郎は、先ほどまでの歌の余韻に浸っていた。二回目のアンコールを終え、ようやくお腹いっぱいである。

 今日の本番は、これで終わり。

 あとはもう舞台を片づけて、会場から撤収するだけだ。

 それはすなわち、三年生の今日限りの引退を意味する。

 それを悟り、また待っていたのだろう。

 クラリネットのひとつ下の後輩が、話しかけてくる。


「先輩……おつかれさまでした」

「うん、ありがとう野中のなかさん」


 部長としての役目を終えたら、彼女を作ってもいいということでしょうか――かつてそう訊いてきた後輩は、その返事がイエスでもノーでも、こちらの答えを聞きたいはずだった。

 旅の終わり。

 たくさんのものを見てきた、湊鍵太郎が出す結論。

 接してきた人間たちで作られた、自分がを選ぶかを――


「……大変な役割だったと思います。部活も。先輩自身も。だからこそ――そんな先輩だからこそ好きになったというのは、あります」

「うん。あのね、そのことなんだけど」


 この後輩の好意は、正直ありがたかった。

 今の自分は、先輩と再会してどこか屈折していた思いも消え、やりきったという感情で満たされている。

 彼女に告白されたときと違って、ひょっとしたら誰かと付き合うということもあるかもしれない。そのくらいの心の余裕はできていた。


 でも、だからこそ。

 今日ここで、言わなければならないことがある。


 本番は大成功に終わった。

 OBOGとの演奏も、大いに盛り上がった。

 だったらまた来年――その流れは当然なのだが。

 あとひとつ、ステージの完成には足りないものがある。


「俺さ」


 仕組みシステム

 ここまでやってきた自分にしか、できないこと。

 円を描いた、人生そのもののステージにおいて。

 全ての縁をつないで、次にやることといえば――


「OBOGバンドを作ろうと思うんだよね」


 新たな生命みらいを。

 ここに作り出すことだと、全ての楽器の根底にいる人間は、思ったのだ。

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