第452話 その島の名は、宝島
人生は舞台のようだ、と誰かは言った。
本当にそのとおりで――円を描いて戻ってくるサーカスのステージのように、いつか同じ場所に帰ってくるのだと思う。
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『ありがとうございました! 最後の曲はサーカスマーチ「
顧問の先生の司会の声が、体育館にこだまする。
学校祭二日目。これで引退となる最後のコンサート。
その中で
けれどもその熱を冷まさないまま、まだあと一曲をやることになっている。
二年前もそうだった。あのときは燃え尽きないうちに早く、早くと思っていたけれど――今は違う。
むしろその火にさらに熱を加えるように、先輩たちが客席でソワソワと出番を待っているのだ。この後にやるのはアンコール。OBOGを加えた演奏。
席を増やしたり楽器を準備したりとステージの上が忙しくなるので、先生がその間、司会で間をつなぐことになっている。
終わったと思いきや生徒たちがバタバタと動き回り始めたので、客席も何が始まるのかとざわついた。
鍵太郎も卒業生たちの椅子を用意しながら、顧問の先生の口上を聞く。
『さて、今年は本部活も大きな節目を迎え、また卒業生たちも多くなりました。今回はそういったOBOGたちの声もありまして、在校生と卒業生、両方を交えてのステージを行いたいと思います』
今回のために、先輩たちは楽器だの所連絡だの、色々な手間をかけさせてくれた。
けれどもそれは、それだけこの人たちと一緒に演奏するのが楽しかったからだ。
あの舞台を、もう一度――今度はあのときよりもう少しだけ成長した、自分と。
そしてこれまで出会ってきた、仲間たちと共に。
『おかげさまで本校吹奏楽部は、創部初めての東関東大会に行くことができました。これも日頃から環境を支えてくださる、みなさまの応援あってのことです。感謝の気持ちはやはり演奏で返そうと、こういった機会を設けさせていただきました』
ステージ上にある椅子が、爆発的に増えていく。
楽器を持った先輩たちが、喜び勇んで駆けつけてくる。
譜面を広げて座ったら、準備はOK。
左隣には
二つ上の先輩と二つ下の後輩という、チューバパート、あり得ない組み合わせの出来上がり。
「湊くん、がんばりましょうね」
「はい!」
美里が声をかけてくるのに、もはや反射的に即答する。
隣から芽衣が若干の冷たい眼差しを向けてくるが、こればっかりはしょうがない。この人は、何も知らなかった自分に大事なことを教えてくれた、大切な人なのだ。
これが終わったら、また頼れる先輩に戻るから。
今だけは勘弁してほしい――部長ではなく、ただの奏者に戻ることを。
『準備はそろそろできたでしょうか? いいかな。じゃあそろそろ始めましょうか。最後に相応しく、華々しい曲をお届けしたいと思います』
その人の音はその人にしか出せないと、かつてこの二つ上の先輩に言われた。
音はその人そのものだと。
その音のことを、この人は『たからもの』と呼んだ。
そしてこれから演奏するのは、それを持ち寄ってできた夢の産物。
全員が全員、やりたいことを持ち寄って、できあがった旅の終着点――
『それでは聞いてください、アンコール、「宝島」です!』
それを心の底から求めないで、どうするか。
今だけは立場も何も関係なく、素の自分の音で行かせてもらいたかった。
カンカンコン、カンカンカコンコン――とアゴゴベルを鳴らすのは、同い年の打楽器の双子姉妹。
この二人は本当に、会ったときから最後までマイペースを貫いてくれた。
だからこそ、先陣を切るには相応しい。ごく自然と入ってくるのはドラムの二つ上の男の先輩。この人もいつまでもこのまんまだ。
大体、OBが曲の要になるドラムをやりたいと言うなんて前代未聞である。
こういった舞台では普通は現役生がメインになる楽器をやって、OBOGはそのサポートに回るものだけど。
このメンツに限って、そんな常識は通じないらしかった。やりたいやつが、やれるものをやれればいいという感じで――そういう自由なところを、自分は気に入っている。
打楽器連中が道を整えてくれたら、あとは突っ込むだけ。
大量の水が滝になってなだれ落ちるように、全員で曲を吹き込んでいく。
一瞬で最後に向けた寂しい気持ちが、燃え上がるような陽気なものに変わった。しみったれてもしょうがない。だったらとことんまで、こいつらと一緒に歌うだけだ。
この曲をリードするのはやはり煌びやかな楽器の連中だ。サックスのOGのよく立つ音が、耳に届く。
この人も合奏になると、本当に生き生きし始める。トランペットの二つ上の先輩のことを言えない。たぶん心の半分が楽器でできているのだろう。そう感じさせるくらい、彼女の音は奥底までよく響いてきた。
そういう人たちの受け皿になりたかった。あてもなく、行き場を見失っていた人たちを集めて、どこか楽しい場所に向かいたかった。
そう思う自分も、なかなかに狂っているのだろう。自分からいろんなものを背負いにいくのだから、どうかしている。
けれども、追い詰められられた分だけ力を発揮するタイプだ、と最初に言ったのは、あなただったろう――と、内心で笑いながら鍵太郎はそのサックスの先輩のソロを聞いていた。
ブランクなんてひとつも感じさせない、どこまでも飛んでいく伸びやかな音。
卒業しても、どこかで吹いていたのだろうか。そうとしか思えない華麗な演奏っぷりだった。
負けないぞ――と、この代の先輩たちをずっと追いかけてきた身として、思う。結果的に距離は詰められなかったけど、こっちだってずいぶん経験を重ねてきたのだ。
二年前できなかったことが、今ならできる。
皮肉なことにひとつの舞台が終わった分だけ、そのときやった曲は上手くできるようになる。あのとき、このくらいの演奏ができれば――なんて思うことはしょっちゅうだ。
けれども、その分だけ自分は成長できているということだろう。歩けば歩くたび新しい嵐にぶつかって、本当に昔より上手くなっているのか首を傾げたくなることばかりだったけど、こうして元のところに戻ってくるとほんの少し、前より進んでいることが分かるのだ。
そしてその実感を得て、また先に進む。
サックスの音の裏で、ホルンが吼えているのが聞こえる。先輩は来ていないから、きっとあの音は同い年だろう。
気高く鋭いその音色はやはり彼女そのもので、鍵太郎にこれまで交わしたやり取りのひとつひとつを思い出させた。
思い返せば、この同い年に関しては言い争うことの連続だったのだ。
初めは彼女自身と。そして和解した後は彼女の周りについて――メロディーの裏で繰り広げられた闘争は、ただ綺麗だった出来事より印象に残っている。
というか、むしろ楽しい思い出より、そういった辛い思い出の方がこの三年間は多かったのだ。
けれども本番が来るたび、やっていてよかった、また次もと思ってしまうのはなぜだろう。
全員が本気で何かをやろうとするときのパワーが、そうさせるのだろうか。やりたいことをやるときの眼差しはみんな輝いていて、そんな人たちと一緒にいるのが大好きだった。
だからもっと、続けたい。
終わりなんか来ないで、永遠に吹き続けていたいのだ。
願わくば、自身にしかないものを持った、こんな大好きな連中と一緒に――。
休みの間の小節を数える。フィナーレまでのカウントダウン。
これが終わればみんなとお別れ。
分かってはいても惜しいなという気持ちは湧いて出る。
鈍りかけた決意を叱咤するように、打楽器の前部長のサンバホイッスルが鳴り響く。最後の最後まで、舞台の人間であれ。彼女の鋼鉄の精神力には、毎度ほとほと恐れ入る。
足を緩めるな。最後まで走り抜けろ。
終わってしまうならまた集まればいい。
機会がないなら作ってしまえばいい。
最上段にいるトランペットとトロンボーンの連中が、立ち上がって思い切り吹き始めた。
その中にはもちろん、昨日漂流するようにしてこちらにたどり着いた、二つ上の先輩もいる。
もちろん、同い年のトランペットの副部長も一緒にいる。彼女たちは隣合わせで、今にも笑い出しそうな顔で楽しそうに楽器を吹いていた。
一日前は死にそうな顔をしていたのに、なんて変わりようだ。そのさらに隣には同い年のトロンボーンのアホの子もいて、やっぱりいつものようによく通る音で同じ旋律を吹いている。
息がぴったり、とはこういうことをいうのだろうか。
付き合いが長いだけあって、お互いの呼吸の取り方はよく分かっている。彼女たちはメロディーを力を合わせて作り上げ――
そして、空に解き放った。
ぎゅん――と、風速が増したように思える。
花火すらあがったように思えた。賑やかで華やかで、そして楽しかった旅路。
ずっとずっと航海を続けてきた船は、ようやく目的の場所にたどり着いた。
その島の名は宝島。
全員がそれぞれの
何者でもなかった自分が、これまで接してきた人たちによって作られたというのなら。
この舞台は。『たからもの』は。
自分の音は。
今までの、関わってきた人間全員で作られたものなのだ――そんなことを、楽器から出てくる音と、周りの音を聞きながら。
鍵太郎は、最後のフレーズを吹き続けていた。
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巡り巡って元の場所に帰ってきたように、ひとときの安息を得て航海は続く。
また、新たな島を求めて。
その胸に、それぞれの宝物を秘めて――。
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