第451話 チューバ奏者は樹を植える
透き通った、緑の風のような曲が流れていく。
『アルヴァマー序曲』。丁寧に手入れされた芝を駆け抜けるようなその曲に、
思えば、この曲の楽譜を拾ったときから、もう既にここに至るまでの流れは始まっていたのだ。
譜面の舞い散る中にいた彼女の姿は、今でも鮮明に思い出せる。
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学校祭、二日目。
これで引退となる、三年生最後のステージ。
その
全ての土台。吹奏楽の根。
『世界を変えることのできる素敵な楽器』。
そんな風に言われたこともある。なんだかんだ色々あったけれど、その全ては楽器を通しての出来事だった。
演奏するのは『プリマヴェーラ』。自分の三年間を象徴するようだと言われた、今年のコンクールでやった曲。
既にトランペットの同い年はソロを終え、ハーモニーは展開し次の場面へ移っている。こんな大勢の前でソロを吹けるようになったのだから、彼女も入部当初からはだいぶ変わった。
出会った頃は楽器を辞めようかと思っていたこの同い年は、今では卒業したらどういった形で吹き続けようかと考えるまでになったのだ。
そして彼女と同じ楽器の先輩も、みなに支えられて活力を取り戻していた。
だったらそんなステージを、またこの先も続けていきたいと思う。
先ほどOBOGを前に『来年もまたここに集まって、合奏をしよう』と言ったことは、冗談でもなんでもない。
本気でこの本番を成功させて、この先もまたこんな夢のような光景を作り出すつもりだった。
これまで関わってきた人間全員が、本番に集う夢。
以前は成しえなかったそんな荒唐無稽な話を、今度こそ実現させてみようと思う。
ただまだほんの少しだけ、材料が足りない――と、鍵太郎はリズムを刻みながら考えていた。
そんなことができるのか、と本番前に訊いてきた前部長の言うとおり、詰められる部分はまだ残っている。
部長として、個人として。
自分にやれることは、まだ残っているはずだった。
最後のステージに賭けるようにして、思いを形にしていく。全員の土台になる振動が、会場を満たしていく。
演奏自体はとてもうまくいっている――下手をすれば、東関東大会のときより上手くいっている。
だとしたら、それ以外。『舞台』そのものを成立させる材料が、まだ必要なようだった。
楽器と、場所と、人。
そして機会――それらがそろったとして、足りないものはなんだろう。
自分のやりたい未来を実現させるために。
自分がやるべきことは、なんなのだろう――そんなことを、同い年のバスクラリネット吹きのソロを吹きながら、鍵太郎は考えていた。
『未来は、作るものだと思います』。
そうこの楽器の先輩に、生意気にも語ったことがある。去年のコンクールで。
あのときも、演奏ではなくそれ以外のことが問題で、部活が大変になったのだった。
『答えは、きみの歩いてきた道の中にあるんだよ』。
そこで指揮を振っている先生は、そのときそんな風に言って自分を導いてくれた。
あの当時の自分は立場も何もなかったので、周りを味方につけて徒党を組んで先輩たちに立ち向かった。
それがきっかけで、部長に祭り上げられることになって――そこで演奏を聞いている他校の部長と組んで、合同バンドをやることになったのだ。
一緒にやるにあたって練習場所を開放するため、そこで壁にもたれて聞いている進路指導の先生と取り引きをして、音楽室を開けてもらった。
あの先生もまた、かつての仲間と演奏をするための場所を、どこかに求めていた。
念願かなってテーマパークで演奏できることになって、部員たちの奔放っぷりに冷や冷やしながらも会場に着いた。
たどり着いたのは草も生えていない泥だらけの荒野。
けれどもそこにいた人は、夢を守るために何よりも現実を大切にしている人だった。
時間を計り、夢と現実を結び付けるトロッコに乗って、自分たちは裏と表を往復した。
揺れて音を立てる汽車と同じように、歯車をもって成立する舞台に乗ったことがある。
東関東大会。楽典という音楽の仕組みを得て、顕現した神さま。
『
散り散りの低音を象徴するように、未来の欠片たちが次々に現れていく。
誰もがみな、それぞれの大切なものを守るために必死に戦っていた。
彼ら彼女らに共通するものは、一体なんだったろう。
機械仕掛けの舞台。
夢を守るために現実をとことんまで見つめた、テーマパークの一員。
卒業後に連絡を受けて、再び舞台に上ることを決めた先生。
同じ部長として先輩なき後の部活を必死に支えていこうとした、他校の生徒――。
そして周りの誰かを守るために、新たなシステムを作ろうとした自分。
過去に聞いたセリフと、今考えていることが頭の中にこだまする。
終わりを前にして、窮地を前にして、いつも自分は何をやってきたか。
練習も、合奏も、音楽室の外で話したことも。
結局全部、本番につながっている。
来年にはないこの会場の跡地には。
きっと、新たな
更地だった場所にも、新しい建物ができるように。
一年後に集まるとしたら、新しくできた体育館になるのだろうけど――それでもここであった出来事は、自分たちの心に深く焼き付いている。
舞台はなくなっても、また新しく作ればいい。
廻る
回る歯車。
それらを得て、できた新しいシステムは――。
「――ああ」
『その未来』を見て鍵太郎は、自分をその一部にすることを決めた。
全ての土台。吹奏楽の根。
『世界を変えることのできる素敵な楽器』――だとしたら。
「俺が、
楽器と、場所と、人。
そして、機会――それが揃ったら。
あとはそれを動かす仕組みが必要になる。
やっと、自分にできることを見つけた。
全員にとってのハッピーエンドへの鍵。
終わりを前にしてようやく、答えは常に自分の傍にあったのだと知った。
こんな簡単なことに気づかなかったのだから――我ながらとんだ、お笑い草だ。
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