第447話 新米の部長たち

宮本みやもとさんは、もうちょっと人の話を聞きなさい」


 宮本朝実みやもとあさみが写真部の教室を後にして、先輩に事情を話すと。

 あらましを聞いた湊鍵太郎みなとけんたろうは、半眼でそう言ってきた。


 学校祭二日目。昼時の三年生の教室。

 焼きそばめしなるものを販売している先輩は、エプロンなどつけて働いていた。

 人に仕事を押し付けておいてよくもまあ――と言いたいところだが(実際に言った)彼も今日で引退、明日からは朝実が部長である。

 これからの他の部活との関わり合いには、後輩を出すべきだと判断したのだろう。

 そんな今日限りの吹奏楽部の部長は、次の部長に対して、相談された内容を確認する。


「で、写真部に行ったら部長さんが一人でいて。教室に誰も来ないことを指摘したら、追い出されたと」

「はい。お客さんどころか部員さんもいませんでした。鏡香きょうかちゃん一人で」


 新しく写真部の部長になったクラスメイトは、教室の隅にぽつんと座っていた。

 飾られたたくさんの写真に、埋もれるようにして。

 掲示物の出来に関しては自信があるようだったが、いかんせん誰にも見てもらえないのは寂しい。

 すると現部長は「――ふむ。お客さんが来てないのは予想してたけど、部員さんもいないのか。なるほど……」などとブツブツ言い始める。

 元はといえばこの流れは、彼が宣伝演奏の際、その写真部の部長に「演奏がうるさくて人が来ない」と言われたことに端を発しているのだ。

 その物言いから客入りが少ないことは予測できたが、まさか本気で閑古鳥が鳴いていたとは。

 しかもそれを口にした途端、朝実は教室を追い出されたのである。「どうしてですかねえ」と首を傾げると、先輩はまた半眼に戻って言ってくる。


「あのねえ、誰もいないのを気にしてたところに、悪気がないとはいえ事実を正面から指摘されたら、誰だって怒るでしょうが……」

「そーいうもんですかねえ。現状の改善が最優先だと思うんですけども」

「宮本さんのその行動力は称賛に値するけど、人の心はそれだけじゃ収まらないこともあるから、それは気にしといて」


 だから『人の話を聞け』って言ったんだよ――と、鍵太郎はため息をつく。

 この辺りは一年間、女子だらけの吹奏楽部で部長を務めてきた彼らしい。

 徹底的に自分とは違う存在と相対してきた先輩。

 対話において非常に苦労をしてきたがゆえに、その発言には奇妙な説得力があった。


「どうせその口ぶりだと、ロクに事情も聞かずに自分の意見をいきなり言ったんでしょう。まずは彼女の置かれた状況を理解しなさい。それから一緒に考えてこそ、共生の道が開けるってもんです」

「むー。そういうこと言うんだったら先輩が、鏡香ちゃんのところに行けばよかったじゃないですか」

「俺じゃダメなの。宮本さんが行くから意味があるんだよ」


 どことなく偉そうな三年生の先輩の言葉に、思わず不満の声が漏れる。

 どうにも彼は写真部の部長の件について、解決法など薄々勘づいている節があった。

 だからこそ、朝実も最初は鍵太郎が赴けばいいと思っていたのだ。まあ、今は友達が苦しんでると知ったから自分が行こうと思っているけど――だとしても、正解が分かっている者に分かっていて指導されるというのは、あまり気持ちのいいものではない。

 まるでここを歩いていけば安全だよと、後ろから指図されているような。

 期待されていない感を、覚えてしまうのだ。「わたしって、そんなに信用ないですか……」と朝実が、店の机に突っ伏してぼやくと。

 先輩は、目の前に売り物の焼きそばめしを置いてくる。


「……これは?」

「お土産。これからまた会いに行くのに、手ぶらじゃなんだろう。あげるからまたその子のところに行ってきなさい」


 できたてらしい。湯気の感触とほのかに漂ってくるソースの匂いが、ささくれた心にほわりとした温かみを呼び戻す。

 どこか懐かしいその香りに誘われるように、先輩はかつての思い出を語った。


「宮本さんは昔、俺より先に友達をかばおうと飛び出していったことがあるだろう」


 それは去年、初心者で入った一年生が、コンクール前に同い年の部員を守ろうとしたときの出来事。

 無我夢中で走り出した、ただ人を助けたい一心で行動したときの記憶――

 それを思い出して顔を上げる後輩に、三年生の部長は語り掛ける。


「そういうとこ、すごく信用してる。迷わずに突き進める精神は、俺にはないからさ。

 ただもうちょっと、周りの意見を聞いてほしいだけだ。いってらっしゃい宮本さん。今度こそ、ちゃんと話してこられるといいね」



 ###



 手土産を持って写真部の展示室を訪れると、渡良瀬鏡香わたらせきょうかは苦々しい顔で出迎えてくれた。


「……なによ」

「謝りに来ました。ご飯付きです」


 手に持った袋を掲げると、鏡香は渋々といった感じで教室の中に入れてくれる。

 ほんの十数分前に口ゲンカをしたとは思えない対応だが、それはこちらが下手に出たからかもしれない。

 ケンカといっても、鏡香の方が一方的に朝実を追い出しただけなのだ。

 むしろそうなった理由を知りたくて、朝実はこうしてまた訪れたのである。

 そして入った教室にはやはり、先ほどと同様に人がいなかった。


「鏡香ちゃん。何があったんですか。わたしでよければ話を聞きますけども」

「前から思ってたけど、単刀直入すぎるわよあんた……。まあ、いいわ。ちょっとだけ話すわね……」


 小細工は苦手なのですぐに本題に移れば、写真部の部長は顔を引きつらせつつもそう返してきた。

 お詫びの品と、先ほど彼女の方が激高してしまったことが効いている。なんの事情も打ち明けず怒鳴ってしまったことは、このクラスメイトも反省しているのだ――基本的には真面目な人間だという印象は、やはり正しかった。

 そう口にしかけたが、先輩の言っていたことを思い出して、朝実は言葉を飲み込む。

 その沈黙があったこそだろうか。

 鏡香は落ち着いたようにひと息ついて、自らの事情を語り始めた。


「……写真部はね。先輩たちが引退してから、ぜんっぜんやる気がなくなっちゃったのよ」


 聞けば学校祭前、三年生の先輩たちがいた頃の写真部は、それなりに活発に活動していたらしい。

 季節の撮影スポットに行ったり、公募に作品を出したり。

 写真好き、機材好きが集まって、各々楽しくやっていた。

 だがその空気は、役員の切り替えと共に一変することになる。


「なんとなく、先輩たちとしゃべるのが楽しくて来てた子たちが、来なくなっちゃって……私は写真を撮るのが好きだから、それまでどおり来てたけど。だから余計にそういう子たちと、意見が合わなくて」


 今回の学校祭の展示も、体裁を整えるので精一杯だったと、誰もいない教室で、写真部の部長はつぶやく。

 他の部員との温度差。

 なのに部長だからと、そういった人間とも関わらなければならないというストレス。

 そういったものに、最近はずっと悩まされてきたという。


「今日も私の他の部員は、みんなサボってどこか行っちゃって……。宣伝も何もできなくて。元から地味な展示だから、誰も来てくれなくて……近くで聞こえた、そっちの宣伝の演奏に噛みついちゃったの。ごめんね」

「先輩の言っていた、『人が集まらない八つ当たり』っていうのは本当だったんですねえ」

「ひ……人が大人しく事情を話してれば、本気で無神経ね、あんた……⁉」


 ついうっかりと本音をポロリとしてしまったら、それに反応して再び鏡香はまなじりを吊り上げた。

 しまった、やってしまった――と朝実は思うが、もう遅い。

 ようやく態度が軟化してきたところに爆弾をぶち込んでしまって、相手の溜め込んできた不満が一気に爆発する。

 部長だからと、誰にも言えなかった気持ちが。

 他の部の部長が来たことで、ようやく吐き出される。


「あんたはいいわよ! 周りにいっぱい人がいて、上手く回ってるところの部長になって! 能天気に他の部活に遊びにこれらるほど余裕があるってことでしょ⁉」

「い、いや。そうでもないんですが」

「あんたみたいな恵まれてるヤツに、私の気持ちなんか分かるわけないじゃない! ひとりでがんばってるヤツの気持ちなんか、分かるわけないじゃない……!」

「……」


 感情と共に涙もあふれさせる鏡香を、朝実は何も言わず見つめた。

 それは、人の話を聞けという先輩からの助言もあったが――何より彼女自身この気持ちをどう表していいか、分からなかったからだ。

 確かに吹奏楽部は、写真部と比べれば人はたくさんいる。

 部員たちもそれなりに協力的だし、先輩が引退して、明日からもなんとかなるかもしれない。

 けれど――それにしたって、不安がないわけではない。

 これから部長として。

 全員の代表としてやっていく、ある意味では孤独な立場に、寂しさを感じないわけではなかった。


「誰も部活に寄り付かない。いい写真を撮っても、展示をがんばっても、誰も見向きもしない……! 分かってるのよ、大して期待なんかされてないってことは! けど私は、ここを守らなきゃならないの、誰も来てくれなくたって私は、この部活の部長なんだから……!」


 泣きじゃくる鏡香は、自分より何十倍も大きな不安に苛まれている。

 それに対して、安易に「気持ちは分かる」などとは言えなかった。

 写真が好きで、ただそれだけで部長にされた彼女。

 けどそれでも頑張り続ける同い年のことを、朝実はただただすごいと思った。

 何も期待されていなくたって、やらなければと突き進んだ志が――と、そこに行き当たったところで。


「――ああ、そうか」


 期待、という単語にピンとくる。

 これからについて、期待されていないのはこっちだって感じ取っている。

 たとえば、学校祭の準備をしていたときに、先輩が浮かべた表情とかで――


「わたしだって、立場は同じですよ」


 部長としてやっていけるかどうか、不安を覚えられていることは分かっているのだ。

 信用はしている、と先ほど先輩は言った。

 けれども今以上に、部活を発展させられる人材と考えられているかというと、かなり疑問は残る。


「わたしだって、明日から部長やれって言われて、上手くやれる自信なんてありません。鏡香ちゃんが言ったとおり無神経なとこありますし、おまえなんか期待外れだって総スカンされちゃうかもしれません」

「――嘘」

「嘘じゃないです。わたしが正直なところしか話せないの、鏡香ちゃんはよく知ってると思いますが」


 本当のことを言うと、鏡香はうっと言葉を詰まらせた。

 虚をつかれたその表情が、彼女のを表しているようでとても可愛らしい。

 そう思って笑いつつ、朝実は続ける。


「この間のことなんですけど。演奏会のパンフレットを作るのを任されまして。けどわたし、やらかしちゃったんですよね。そのとき先輩に苦笑いされて。その顔を見て――ああ、わたしってダメな子扱いされてるんだなって、そう思っちゃって」


 学校祭のコンサートで配る、パンフレットの制作を任されたとき。

 そして、取りまとめに失敗して、締切に間に合わないと報告しに行ったとき――先輩は、とても困った顔で笑った。

 結果的に周りに助けられて、本番には間に合ったものの。

 その表情を向けられたときは、やはり悲しかった。


「その後で先輩がささーっとわたしの失敗を処理した時も、ああ、フォローできる範囲でしか任されてないんだな――って、思って。ちょっとすねてたんです。まあ、普通に考えればできる範囲しか任せないって当たり前なんですけど。なんか、わたしってこんなことしかできないのかなあって、落ち込んだりして」


 あのときは、現状の回復が最優先だと思って、自分のそんな気持ちなんて口にする暇はなかった。

 けれど事態が収拾した後も、先輩に謝ろうという気には、全然なれなくて――それは彼に対して若干のすねた気持ちがあったことの、現れだったのだと思う。

 自分はできない子だと、周りに考えられている悔しさ。

 現状に全く追い付いていけていない、けどやらなければいけないと考えている苦しさ。

 それは、目の前で泣いている写真部の部長と全く同じ感情だった。


「部長って、嫌だし面倒くさいですよね。みんなが避けて通ることも、やらなきゃいけなかったりして……損な役回りです。すごい気が重くなりますよね。だから」


 でも、がんばろうと思うことを否定するつもりはない。

 できなくても周りからどう思われようと、任されたことはまっとうしようと思う。

 だから。


「誰もいないかもしれないけど、わたしが鏡香ちゃんの傍にいることは、できると思うんです」


 同じ部長同士。

 彼女の力になることは、できると思うのだ。

 ひとりぼっちが二人で、戦うことはできると思うのだ。

 ほんの少し前、自分がここに飾られた写真の感想を言って、彼女が喜んでくれたように。

 その日あったささやかな出来事を言い合って、明日からまたがんばろうと思えるくらいには、付き合えると思うのだ――そう言うと。

 鏡香は信じられないとばかりに、小さくつぶやく。


「……なんで、あんたがそんなことするのよ」

「んん。ひとつは鏡香ちゃんもいた方が、心強いからですかねえ。ふたつめはあの先輩を、偉くなって見返したいというか」

「あんたって、本当正直よね……」

「あとは、鏡香ちゃんが友達だからですね」


 まだすねた気持ちは、若干だが残っているのだ。

 こればかりは、自分が何かを成し遂げねば払拭できない。たとえば今の部長ができなかった、東日本大会に出場するとか。

 全くもって大それた夢だが、周りに張り合いになる存在がいればできる気がする。

 ここにいる、友達――必死にがんばっている写真部の部長がいれば。


「一緒に部長、がんばりましょうよ。それならちょっとは、怖くないんじゃないですかね」

「ううう、ううぅぅー……!」


 そんな風に、これまで誰にも言えなかった本音を、朝実が口にすれば。

 鏡香はそれまでの悔し涙を別のものに変えて、その場に崩れ落ちる。

 必死で突っ張っていた気持ちが解けて、ようやく安心できる場所にたどり着いた。

 そんな友達を、朝実はぎゅっと抱きしめる。


「泣いてもいいですよ。どうせ誰も来ないんです。思いっきり泣けばいいじゃないですか」

「ひとこと多いのよ、ばかぁ……っ」


 学校祭の片隅でふたりの部長は、そうやってお互いの存在を認め合った。

 ぼろぼろと泣く鏡香の背を撫でながら、落ち着いたら先輩のくれたおにぎりを一緒に食べよう、と朝実は思う。

 こうなることが分かっていたようで、どうにもしゃくではあるけれど。

 今日だけは、先輩に甘えて、明日からがんばろう――期待はされていなくても。

 自分なりにやっていけると、信用されているとんだと受け止めてやることにしよう。

 明日からの部活が、一体どうなるか想像がつかない。

 けれども誰かと一緒なら――なんとかなるのではないか。そんな風に思うのだ。



 ###



 写真部と吹奏楽部の関係について、これ以降は表立って語られることはない。

 ただ――次の年、学校祭のこの教室にて。

 展示の作品の中に、楽器を持った誰かの写真があるのを、来訪した客は見ることになる。

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