第446話 朝実の冒険

「任せるとか言われても、困っちゃうんですよねえ」


 と、楽器を片づけ、本番までフリーとなった状態で。

 宮本朝実みやもとあさみはぼやきつつ、写真部が使っている展示教室に向かっていた。

 先ほど彼女の所属する吹奏楽部は、本番のための宣伝演奏を行ったわけだが。

 その後で部長である三年生と、写真部のクラスメイトが何やら話し合っていたのである。どうもその三年生の先輩に聞いたところによると、同い年のその子は、演奏がうるさいと文句をつけに来たらしいが――


「あの子に限って、そういうことしますかねえ」


 真面目なクラスメイトの顔を思い浮かべ、朝実は首を傾げる。

 渡良瀬鏡香わたらせきょうか――写真部の新部長。

 朝実の覚えている限り、彼女はそんな風に他人にきつく当たるような人間ではない。

 まあ、百パーセントそうではないと言い切れるほどではなかったが――それでも同じクラスである。それなりに付き合ってはきているので、表立ってそういうことをしなさそうだということは分かる。

 問題は、そんな他の部活の部長との和平交渉を任されたことだった。

 説得できる材料など、まるでないというのに。「ただ同じクラスというだけでそう言ってくるんですから、みなと先輩も困っちゃいますねえ」と口に出しながら朝実は歩いていた。この辺りはこの次期部長の、思ったことをブレーキなしですぐ言ってしまう性格が如実に出ている。

 しかもあの先輩、どうも今回のいざこざの原因について、多少の心当たりがあるようなのだ。

 どうにかできそうなら、自分ですればいいのに。こちらからすればほぼ万能、と言ってもいいくらいの能力を有している現部長の顔を思い出し、後輩は唇を尖らせた。

 まあ、そりゃ自分だって次の部長ではあるけれど。

 こういうのはあまり、得意ではないのだ――その得意ではない分野をなんとかしてほしいと、先輩は彼女を送り出したわけだが。

 親の心子知らず。

 朝実はまだ多少すねた気持ちを残したまま、写真部の展示室に到着した。


「部活で撮った写真の展示と、販売ですか。確か去年もこれでしたよね」


 学校祭らしく、教室の入り口には看板なども出ている。

 ただ立てられた看板はいささか雑な印象を受け、さして気合いは入っていないように思えた。

 毎年これだからと、惰性でやっている感がすごい。「これで文句を付けに来るほどですかねえ?」と決して普通の人には言えない失礼なことを口にし、朝実は教室の扉に手をかける。


「失礼しまーす」


 一応声をかけて入ると、飾られた写真たちが目に入ってきた。

 夕焼け空の写真。野に咲く花を映した写真。

 他にも、人の表情を切り取った写真など、色々――そして、その展示物の中に、埋もれるように。

 渡良瀬鏡香は、ひとりでぽつんと座っていた。


「あ、宮本……」

「こんにちは鏡香ちゃん。遊びに来ました」


 先輩には説得してこいと言われたが、朝実としてはこれが偽らざる気持ちである。

 新部長として何かやってこいとか、まじでくそくらえという感じだった。友達に対して下心を抱いて接するとか、そんな嫌なことしたくない。

 現にその態度は正解なようだった。鏡香はこちらの発言に目を輝かせ、「ほ、本当に? 本当に見に来たの?」と嬉しそうだ。


「な、なんにもないけどゆっくりしてって! 写真だけならたくさんあるから!」

「ほえー。でも本当に、たくさん飾ってありますねえ」


 勢い込んで言ってくる同い年の言葉に、改めて辺りを見回す。

 展示用パネルに貼られた、数々の写真たち。

 撮影者によって付けられたのだろう。下には写真のタイトルも記されている。

 中でもひときわ朝実の目を引いたのが――鏡香の近くに飾られていた、白いカモメが舞う写真だった。


「綺麗……」


 それは、海の写真だった。

 照りつける太陽を反射して、波がキラキラと輝いている。

 青の海面と空の中で、鳥がはばたき白い船も写り込んでいた。

 まるで、一番まぶしい瞬間をそのまま、切り取ってきたかのような。

 タイトルは『海』とそのまんまだが、その写真には確かに撮影者の意思が感じ取れる。すると朝実の声を聞きつけて、「それっ、それ、いいでしょ、分かってくれる⁉」と鏡香が食いついてきた。

 どうやらこの写真を撮ったのは彼女らしい。うなずく朝実を見て、鏡香は勢い込んで言ってくる。


「すごい撮影スポットがあるって聞いて、遠くまで電車を乗り継いで行ってみたの! 日光の具合とか時間帯とかも考えて、ここだ! って瞬間を待って――自信作! これ、ほんと誰かに見てもらいたかったの!」

「わたしは写真のこととかサッパリですが、それでもぱっと見ていいなーとは思いますよ」


 技術的なことに関しては全くもって分からないものの、素人目にもこれがいいものだというのは分かる。

 あと、鏡香が思いのほか、写真が好きだということも分かった。さすが部長に選ばれるだけのことはあるということだろうか。

 興奮した様子で、あのメーカーのカメラはどうの、レンズがどうのと写真部の新部長は語っている。その姿は、楽器のことを語る自分にも通ずるものがあるかもしれない。

 しかし、その情熱とは裏腹に――


「……のわりには、全然人がいないですよね」


 閑散とした教室が寂しくて、朝実は感じたままをぽつりとつぶやいた。

 これだけの熱意があるのに、教室にはまるで人が寄り付く気配がない。

 さらに言えば、部長である鏡香がずっとひとりで店番をしているというのも変といえば変だ。

 写真の個性が違うことからして、彼女以外も部員はいるはずだった。

 まあ、たまたま全員出払っていたかもしれないが――にしては、ここはさびれすぎではないだろうか。


「集客に苦労してるんですか? なら、わたしも協力しますけど――」

「……あんたに、何が分かるっていうのよ」


 朝実としては、純粋に好意のつもりだった。

 友達が困っているなら助けよう、というただそれだけのつもりだった。

 だが、その気持ちをどう受け取ったのか――

 鏡香は握った拳を震わせ、抑えきれない怒声を吐き出す。


「周りに助けてくれる人が大勢いて、見てくれる人もたくさんいて。みんながチヤホヤしてくれるあんたに、何が分かるっていうのよ……!」

「い、いや。全然チヤホヤなんかされてないですよ。むしろ先輩の使いっ走り――」

「帰って! 帰ってよぉ!」


 慌てて彼女をなだめにかかるが、もはや鏡香は何を言っても受け付けてくれる様子はない。

 ぼかぼかと殴られるままに、朝実は教室の外へと追い出される。

 振り向きざま、写真部の部長が――涙目でぎっ、とこちらをにらみつけてきたのが、やけに印象に残った。

 たくさんの写真に囲まれて、ひとりぼっちでいた彼女。

 バタン、と扉が閉められ、その中で泣いているであろう友達のことを思って朝実は言う。


「……どうすればいいんでしょうねえ」


 上機嫌に写真のことを語っていたと思ったら、急におかしな流れになってしまった。

 鏡香が写真を好きなのはよく分かった。そして彼女の情熱にアンバランスなほど、周りには誰もいないことも。

 どうにかしてあげたい、と思う。

 それは、単に先輩に任されたからという理由ではなく、はっきりとした朝実自身の心の動きだった。


「……よし」


 判断を下し、扉から手を放して、吹奏楽部の次期部長は歩き出す。

 そうしながら、指折りさっきの会話で得られた情報を反芻はんすうしていく。もう一度話をしてみたいと思うけれども、今は少し、時間を置いた方がよさそうだった。

 写真が好きで、一生懸命やっている友達。

 そんな存在が苦しんでいるというのだったら、たとえ拒絶されたとしても手を貸し続けたかった。


「待っててくださいね、鏡香ちゃん」


 つぶやいて、朝実は表情を引きしめる。

 脳裏には、彼女の撮った写真の景色が焼き付いていた。

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