第443話 吹き続けるための条件
「なにやらバタバタしていましたが、解決したのですね」
よかったです、と事情を話すと、
学校祭一日目の昨日。
突如現れたOGに、一部の世代が騒然としたのだ。
かつてのリードトランペットが落ちぶれた姿でやってきた。そのことだけでも鍵太郎たちにとってはショックな出来事である。
ただし、現一年生である芽衣にとって、その卒業生は『面識のない先輩』なのだ。
よく知らない人がやってきて、先輩たちが妙にざわついた――後輩にとっては昨日の出来事は、その程度のものだったのだろう。
けれど、だからこそ不安を残さないようきちんと説明しておく必要がある。自分には関係ないところで起こったことが、嫌な空気を漂わせている。そんなどこか心配になる雰囲気は、払拭しておかなければなるまい。
まして、今日は学校祭二日目。
この一年生と一緒に演奏できる、最後の機会になるかもしれないのだし――そう思って鍵太郎は、芽衣に言う。
「うん。OBOGの問題は、OBOGでどうにかできそうだよ。だから大月さんは、今日は気にせず演奏してくれればいい」
「分かりました。影響がないならなによりです」
先輩の言葉に後輩は、素直にこくりとうなずく。
それで当面の問題はなくなった――はずなのだが、鍵太郎の胸には小さなざわめきが残っていた。
なぜなのかというと――
「……どうかしましたか?」
「あー、いや、まあ……。俺も今日の本番が終わったら、しばらく楽器を吹けなくなるんだよなあ、と思って」
あのOGに突き付けられた言葉が、他人事ではないからだ。
「いつまでそんなことやってるの?」――そのセリフは、今日で引退する身にとっても、突き刺さるものではある。
『終わり』を宣告されて、かの先輩は音楽を続けることをためらってしまった。
その結果、心が委縮して疲れ切ってしまった。やりたいことができなくて窒息してしまったのだ――その姿はただ単に、尊敬していた先輩が変わり果てていたというだけではなく。
もっと身近な『無くなる』という怖さを鍵太郎に与えてきた。
それが棘となって、心に刺さっている。
「いつまでも楽器なんかやってないで勉強しなさいとか、それが正論なんだろけどさ。なんつーか……それだけじゃないだろ、って言いたくなるんだよね」
確かに、音楽なんてものは娯楽で、生活の中からは真っ先に切り捨てられるものなのだろう。
現実的に考えれば、優先順位は低い。
自分にとって大切なものではあるけど、世間的には大したことはない――よくある話ではある。
けれど。
「……でも、先輩は卒業しても楽器を続けるつもりなんですよね?」
「うん。そのつもりだったんだけど……それも、結構難しいことなんだなあって思ってさ」
それでも自分は、なんらかの形で続けるつもりではあった。
しかし、今朝卒業した打楽器の先輩と話していて、分かったのだ。演奏を続けられる環境。それがなければ安易に「これからも」なんて言えない。
楽器があること。
練習場所があること。
一緒に吹いてくれる人がいること――それらは、みんなみんな。
決して『当たり前のこと』ではない。
そんなことを、改めて思い知った。
「大学に行って、部活があればいいけどさ。受験の時期だってもちろん、大人しくしておくつもりでもあるんだけど。吹き続けるって、思ってたより大変なんだなあって思っちゃって。まあ、何かしら手段は見つけるつもりではあるけれどね」
あのOGと同じく、自分もなんとかして音楽を続けるつもりではあった。
この問題を繰り返し、しつこく考えてしまう理由はここにある。
先輩の抱えている課題は、こちらと同じものなのだ――吹ける環境。
これまで当然のようにあったものが、なくなってしまうから。
彼女の窮地を救うことが、自分のためにもなると思ってしまうのだ――OGのあの姿は、ある意味では自身の将来の姿でもある気がするから。
どうしようもなく解決しなければと、思ってしまうのだ。
「どうしようかなー、卒業したらどこに行こうかなーって。考えちゃってさ。ごめんね大月さん。こんなこと言って。これこそ関係ない話だと思うけど――」
「……関係ないわけでは、ありません」
すると、苦笑いするこちらに、後輩は。
いつものように口をへの字に曲げて、少し怒ったように言ってきた。
「楽器もない、場所もない、一緒に吹く人のあてもないなら――またここに来ればいいんです。学校に遊びに来てください。先輩」
「へ」
それは、卒業したら外に出て、どこか他に吹ける場所を探さないといけない、と思い込んでいた鍵太郎にとって。
目から鱗というか、盲点となる回答だった。
「へ、ではありません。前の部長さんだって最近、しょっちゅう来てるじゃないですか。あんな風に卒業してからもここに来て、吹いてくれれば……そ、その、私も、助かりますので」
「で、でも、楽器……」
「来年、後輩が入ってくるかも分かりません。もしかしたら先輩みたいに、しばらくひとりで吹くことになるかもしれません。そのときは、使わない楽器が一台できますし」
「あ、ああ、そうか……」
現在、川連二高吹奏楽部にあるチューバは、二台。
芽衣が入部してくるとき、彼女の楽器は長期間使っていなかったから手入れした。それはつまり、誰か使ってくれる人がいればちょくちょくメンテナンスする手間も減るということであり。
かつ卒業生が吹ける場所が、最低限確保できるということでもある。
もちろん、様々な条件は付くだろうが――あれ、そう考えるとあんまり悲観することもないのか? と、鍵太郎が目をぱちくりさせていると。
後輩は、うつむきがちに言ってくる。
「そ、それに……私はまだ、先輩に教わってないことがあると思います。そういうのをこれからも色々言っていただけたら、いいなと、思ってます……」
「あ、それに関しては確かに、もうちょっと続けられたらと思うけど」
今日で最後となってしまったが、まだまだ芽衣には伝えたいことを伝えきれていない。
あれもこれもと、教えたいことはたくさんある。
顧問の先生や次の部長の許可が出れば、自分だって前部長のように指導に来たいくらいだった。
今回の騒動とはほとんど関係ない、部外者だからこそ出る冷静な意見。
無関係だと思っていたが、彼女は案外これからの自分の行く末に、深く関わってくるのかもしれない。
大切なものを理解して、共有してくれる仲間。
楽器も場所も提供してもらえるのはありがたいが――なにより、芽衣のその心遣いが嬉しかった。
「現役生が指導を受けられて、卒業生も吹く場所ができるっていうウィンウィン――そうか、それを取っ掛かりにしていくっていう手も、あるにはあるな」
「あ、あの、先輩。私は先輩に教えに来てもらえるのは嬉しいですけど、あんまりいっぱいで押し寄せられると――」
「よし、どこか他のところを見つけるまでのつなぎになるかもしれないけど、今度
「……まあ、いいです。私らチューバ二人だけじゃ、合奏になりませんもんね、うん……」
彼女の発言を元に色々と考えを巡らせてみたら、なぜか後輩はどんどん半眼になっていった。
理由は分からないが、ともかく芽衣の言うとおり、人数が集まらなければ演奏が成り立たないのは事実である。
「先輩がそういう人だっていうのは知ってましたよ、ええ……」というセリフとともに、後輩は楽器を持って音出しを始めた。見れば周りの部員たちも、今日の本番に向けて練習を始めている。
大事なものを持ち続けている仲間たち。
それらの音を組み合わせたら――もしかしたら。
「『未来は読むのではなく、作るものだと思います』――か」
やりたいことをやり続けられる。
そんなこれまでにはなかった、理想の姿が見えるのかもしれない。
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