第442話 陽はまた昇る
『というわけで、
リハーサル後の、衝撃の再会から一夜明けて。
鍵太郎も、かなり心配していたのだが――奏恵を保護した聡司たちの代の卒業生は、昨日の夜、あれから全員で話し合いをしたらしい。
ファミレスで騒ぎつつも、同い年を励ます先輩たちの姿が目に浮かぶ。そしてその結果、幽霊のようだったあのOGは、舞台に立てるだけの力を取り戻したようだった。
二つ上の先輩は、携帯の向こうで緊張と安心の入り混じった声を出す。
『しばらく吹いてないってことだが、まあ一曲だけだし他の連中もいるし、なんとかなるだろ。すまんな湊、迷惑かけて』
「いえ……むしろ豊浦先輩が顔を出してくれて、よかったです」
昨日の夜、出会った奏恵は確かに記憶にある姿とはまるで違っていた。
だがそれでも『楽器を吹きたい』という芯の部分は変わっていなかったのだ。その一点だけでも、救われた気分になる。
元より聡司に言われて奏恵用に楽器は用意していたし、パートの割り振りだって無理のないように手配している。
鍵太郎としては、吹けようが吹けまいが、舞台に乗ってくれるだけで十分だった。
音信不通だった人間が、せっかくやってきてくれたのだ。一緒にやれればいいに決まってる。
ブランクがあったって構わない。そう言うと、聡司は『……ありがとな』とつぶやいて、息をついたようだった。
『あいつほどのヤツだったら、すぐに勘を取り戻すさ。
「……そうですね」
その点に関しては鍵太郎も異存はない。
音楽を失って彼女は、
ただ――
「……けど先輩、その先はどうするんですか?」
今回、学校祭で演奏はできても、そこからはどうするのか。
とりあえず目先の心配はいらないだろう。奏恵は楽器を持って、本番を吹いて、周りの仲間と共に喜び合う。それについては全く問題はない。
しかし、その後はというと――彼女自身が「吹けていなかった」と言っていたとおり、続けられる環境がないのだ。
それではまた元の状態に戻ってしまう。あの状態の奏恵を、もう見たくはない――その一心で鍵太郎が言うと、そこは聡司も分かっていたらしい。
先輩は、しばらくの沈黙の後に言ってくる。
『……おまえの目は誤魔化せねえなあ。ああ、そうだ。その辺も昨日みんなで話し合ったよ』
今日の本番をただの、一時しのぎにしないためにもな――と、聡司は苦々しく言う。
それはつまり、彼の代のOBOGたちが話し合ったとしても、この話は結論が出なかったということでもあり。
未だ奏恵を、本当に助けられる手段がないということでもあった――その事実に鍵太郎が顔つきを険しくすると、先輩は続ける。
『大学の部活に入れればいいけど、豊浦の学校は吹奏楽部ないっていうしな。するってえと他の……たとえば
鍵太郎と同じ楽器の先々代の部長は、卒業してから大人の団体で吹いていた。
昨日持ってきた楽器も、そこで所有している備品だと聞いている。トランペットと同じ、金管楽器であるチューバ。
吹奏楽の根底を支える低音楽器。
大きくて重い、あまり世間では知られていない楽器――だからこそ。
『
「……なるほど」
奏恵の吹くトランペットは、自分でどうにかしなければならない。
現三年生の、鍵太郎と同い年の副部長のように早くからマイ楽器を持っている場合もあるが――あれだってかなりのレアケースだろう。
購入するといくらくらいかかるのだろう。以前に楽器屋に行って、ガラスの向こうのキラキラするトランペットを見たことを、鍵太郎が思い出していると。
聡司が言う。
『まあ、手軽にポン、と買える値段ではないわな。必死こいてバイトするか……中古とか、誰か使ってない人を探して貸してもらうって手もあるけど。昨日の今日だからそこまでは調べられてない』
「もし仮に、楽器が手に入ったとしても、今度はどこで吹くか。さらにどこかの団体に入ったとして、やっていけるのかって話にもなりますもんね」
『春日のとこでもいいんだけど、通うのもなかなか大変だからなあ』
車ないと、この片田舎じゃ移動もままならねえし――と、先輩はまたお金のかかりそうなことを言ってくる。
経済的な問題については、今年部活でも散々悩まされてきたので耳が痛い。
ただ、そこさえクリアできれば、奏恵についてはなんとかなるということでもある。
あとは一緒にやってくれる人がいれば、という話だ。あの自分と同じ楽器のOGがいれば心強いが、どうなのか――と鍵太郎が、色々と考えを巡らせていると。
先輩はそんな現部長に、苦笑い気味に言ってくる。
『ま、この辺りはおまえが悩むことじゃないさ。オレらの代のヤツのことだし、そこまで背負い込むことはない。だからおまえはおまえで、今日の本番のことだけを考えてほしい』
「う……。まあ、それはそうですけど。困ってる人を見ると、なんか放っておけないっていうか」
『そーいうとこ、おまえは昔と変わってないな。けどそれで、今日の演奏がグダグダになったら台無しだ。だから今回は豊浦を助けると思って、本番を盛り上げることに集中してくれよ』
頼む――と言われてしまっては、こちらもうなずかざるを得ない。
不承不承、鍵太郎が「……分かりました」と返事をすると、聡司は今日初めて、快活に笑った。
『ま、先々やらなくちゃいけないことはあるけど、今日は今日で楽しもうぜ。その後のことは、その後のことだ!』
「……先輩のそーいうとこも、変わってませんねえ」
『おうよ。しんきくせえ雰囲気のとこには、しんきくせえ話しか寄って来ねえからな』
だから声出して音出して、演奏で吹き飛ばすのよ――と、かつて同い年相手にそれをやってのけた先輩は言う。
懐かしい。シング・シング・シング――聡司の刻むドラムのビートが、落ち込んでいた人間を奮いたてたように。
自分も演奏で、身近な誰かの力になりたいものだ――そう考えていると、先輩は『じゃあな!』と言って通話を切った。
次に聡司と顔を合わせるのは、本番のリハーサルだ。それまでに、もう少しマシな顔になっておこう。
そう思って、鍵太郎は曇っていた気持ちを切り替えるため、ぴしゃりと頬を叩く。
「『いつも心に太陽を』――」
後輩の、コンクールの楽譜に書いてくれたメッセージが脳裏をよぎる。
ここから先は、ノンストップだ。
現役生活最終日。
これが終わればみんなとお別れ。
悔いのないように、走り抜けよう――精一杯楽しんで。
「……がんばろう」
ぽつりと、今日の演奏を見に来てくれる人たちと。
そして一緒に舞台に乗ってくれる人たちのことを考え、つぶやく。
奏恵のみならず、他の関係者に対しても恩返しをしたいという気持ちは、平等にあった。
それはたとえば、先ほどもたびたび話題に出てきていた、同じ楽器の先々代の部長も。
「……けど、春日先輩に頼るだけじゃなくて」
思い返せば、彼女にはいつも助けられていた気がする。
しかし今回ばかりは、あの先輩に頼りきりではなく、自分の力で何かできないかと思ったりもして――
「俺自身が役に立てることって、何かないかな――」
未だ明確な結論がないまま、鍵太郎は歩き出す。
これまでの旅路に、『答え』がある。
それだけは知っているから――これまで出会ってきた、多くの人が集まる舞台へと。
こうして学校祭の、二日目が始まる。
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